2016年 03月 28日
伊丹の酒蔵
近畿の清酒の銘醸地といえば、灘や伏見を思い浮かべる人は多いでしょうが
かつては兵庫の伊丹が、それらを凌駕する一大生産地であったことを知る人は
それほ多くないかもしれません。
伊丹の酒 今朝飲みたい
徳利のお土産なによりイタミ入り
こんな回文や洒落が流行語になるほど、旨い酒といえば伊丹
伊丹の酒 今朝飲みたい
徳利のお土産なによりイタミ入り
こんな回文や洒落が流行語になるほど、旨い酒といえば伊丹
・・・という等式は、江戸の人々にとって自明のことだったのだそうです。
現在、兵庫県伊丹市の酒造業者は、「白雪」でおなじみの小西酒造と
かつて江戸幕府の官用酒(御免酒)だった「老松」の老松酒造の2軒を残すのみですが
18世紀のはじめには72軒の造り酒屋が軒を連ね、銘醸地として栄華を極めていました。
名高い「剣菱」や「松竹梅」も、もとはといえば伊丹の銘酒なのだそうです・・・
現在、兵庫県伊丹市の酒造業者は、「白雪」でおなじみの小西酒造と
かつて江戸幕府の官用酒(御免酒)だった「老松」の老松酒造の2軒を残すのみですが
18世紀のはじめには72軒の造り酒屋が軒を連ね、銘醸地として栄華を極めていました。
名高い「剣菱」や「松竹梅」も、もとはといえば伊丹の銘酒なのだそうです・・・
伊丹の酒が大坂はもとより、大量消費地である江戸や、伏見さえ抑えて京の都をも席捲したのは
それまで幕府直轄領だったこの地を引き継いだ近衛家が酒造業を強力にバックアップしたこと
猪名川の水運を活かした地の利など、いくつかの理由が輻輳していますが
決定的だったのは、それまでの日本の酒にはない、卓越した品質の酒を「発明」したことによると考えられます。
猪名川の水運を活かした地の利など、いくつかの理由が輻輳していますが
決定的だったのは、それまでの日本の酒にはない、卓越した品質の酒を「発明」したことによると考えられます。
伊丹市は「清酒発祥の地」を標榜しています。
が、奈良も同様の主張をしており、それまでの「どぶろく」のようなものから
「清酒」に近いものを創り出したという意味では、もちろんこちらの方が先行しているわけですが
濃厚な甘口のそれらとは一線を画する辛口の酒を効率的に大量生産する製法を開発した
という意味では、伊丹発祥説も頷ける・・・という風にまとめることができるかもしれません。
鴻池財閥の始祖にあたる人物が「木灰清澄法」なる濾過技術を開発し
「双白澄酒(もろはくすみざけ)」を造ることに成功。これをもって清酒発祥とする
濃厚な甘口のそれらとは一線を画する辛口の酒を効率的に大量生産する製法を開発した
という意味では、伊丹発祥説も頷ける・・・という風にまとめることができるかもしれません。
鴻池財閥の始祖にあたる人物が「木灰清澄法」なる濾過技術を開発し
「双白澄酒(もろはくすみざけ)」を造ることに成功。これをもって清酒発祥とする
・・・という旨の石碑が、伊丹市北部の住宅街にたっています。(鴻池稲荷祠碑)
鴻池ゆかりの人物により建立されたものだそうです。
鴻池ゆかりの人物により建立されたものだそうです。
それにしても・・・
大阪、神戸の衛星都市、ベッドタウンとして、高層マンションの林立する伊丹の町を歩いていても
72軒もの造り酒屋が軒を連ねたという、かつての銘醸地の面影は感じられませんが・・・
JR伊丹駅の西旧岡田家住宅・酒蔵(奥)その敷地に移築された旧石橋家住宅(手前)や
すぐ近くの小西酒造の長寿蔵 ブルワリーミュージアム辺りにかつての銘醸地の名残りを見出すことができます。
伊丹の酒造家・松屋与兵衛により、1674(延宝2)年に建てられたこの町屋は
日本最古の酒蔵として、国の重要文化財に指定されています。
邸内と酒蔵が無料で一般公開されており、これが圧巻です。
明治になってこれらの建物を所有した岡田氏は名だたる銘酒を手がけたそうですが
その頃には、伊丹の酒は灘や伏見の後塵を拝する立場にあったのかもしれません。
しかし、この巨大な酒蔵を眺めていると、活気に溢れた酒造りの様子が浮かんでくるようです。
その幻影の向こうには、銘醸地として殷賑を極めた伊丹の風景さえ仄見える気がします。
蔵から発掘された酒搾り遺構。
切断された男柱が腐らず地下に残っていたため、その上に接ぎ木をして復元されたものだそうです。
対照物がないので、写真ではよくわからないかもしれませんが
どうやって使用されていたのかピンとこないくらい巨大です。
伝法船で上方から江戸に下ってきた酒は、「下り酒」と呼ばれ重宝されたそうですが
上方から下ってこない(江戸でつくられた)は「下らない酒」といってまずい酒の代名詞となり
これが取るに足りないモノゴトを表わす「下らない」という言葉の語源となったとか・・・
日本酒の歴史を書いた本には、必ずといっていいほど出てくるこの説は
実は根拠に乏しいようですけれど
同じように上方から江戸へ下っていった醤油などが早くから関東でも醸造されるようになったのに対し
江戸時代を通じて上方の酒の優位は揺がなかったようです。
江戸時代を通じて上方の酒の優位は揺がなかったようです。
が、18世紀も後半になると、伊丹の酒は、台頭した灘に追い抜かれ、江戸市場でのシェアも逆転します。
伸びの利く酒造りを可能にする「宮水」の発見、蔵元が海岸線に集中して輸送コストが削減できる
・・・といった合理化や、酒造りのさまざまな技術革新
なによりも新興勢力としての気概がこの逆転を生んだといわれます。
「老松」を販売する店舗の脇には、地下100メートルほどから汲みあげられる水
「老松丹水」と持ち帰る人が列をなしています。銘酒「老松」の醸造に使われる水です。
「白雪」小西酒造の私設「長寿蔵 ブルワリーミュージアム」
阪神淡路大震災直後、古い酒蔵を改築して開設されたもので
館内には、麹づくりの室や木桶など昔の酒造りの道具が展示されています。
小西酒造さんは、清酒のほかに、ビールの醸造や
ベルギービールの輸入にも力を入れられていて、この建物の1階はビアレストランになっています。
昼下がり、ここでビールを飲み(日本酒ではなく)この日の酒蔵散策は終了です。
次回は池田の酒蔵、その次は灘、伏見編へとつづきます(笑)
昼下がり、ここでビールを飲み(日本酒ではなく)この日の酒蔵散策は終了です。
次回は池田の酒蔵、その次は灘、伏見編へとつづきます(笑)
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ei5184 at 2016-03-29 08:09
良く調べられていますね~ へえ~と思わず口にしています!
伊丹の酒蔵は一度も訪ねた事がありません。
箱階段の部屋なんか 好いですね~(ちょっと違う場面が過りました。 笑)
>池田の酒蔵、その次は灘、伏見・・・
この辺りは何れも馴染のある処ですが、 視点の違いを楽しみにしています。
伊丹の酒蔵は一度も訪ねた事がありません。
箱階段の部屋なんか 好いですね~(ちょっと違う場面が過りました。 笑)
>池田の酒蔵、その次は灘、伏見・・・
この辺りは何れも馴染のある処ですが、 視点の違いを楽しみにしています。
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by
dendoroubik at 2016-04-01 20:24
☆eiさん
観光案内のビラに記載されている程度の内容で
お恥ずかしい限りです・・・
伏見は幼い頃に住んでいた場所なので馴染みがありますが
大阪 兵庫の酒蔵ははじめて訪れるところばかり
とても新鮮です
暇を見つけては西宮 灘を巡っています
でも 春祭りシーズンのピークに突入しましたので
しばらくはお休みになりそうです・・・(笑)
観光案内のビラに記載されている程度の内容で
お恥ずかしい限りです・・・
伏見は幼い頃に住んでいた場所なので馴染みがありますが
大阪 兵庫の酒蔵ははじめて訪れるところばかり
とても新鮮です
暇を見つけては西宮 灘を巡っています
でも 春祭りシーズンのピークに突入しましたので
しばらくはお休みになりそうです・・・(笑)
by dendoroubik
| 2016-03-28 21:18
| 兵庫
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Comments(2)