イタリア時間で今日は冬至です。
一年で一番、夜が長い日、陰の日であります。
そして明日からはその陰から陽に向かって行くので。今日は陰の底の日ともいえるでしょう。
そんな冬至の日、カッラーラは晴天。
とても空気が澄んだ晴れやかな日でした。
最近は、ワインの受賞の話ばかりのブログでしたが、ここで私の心の独り言を共有したく思います。
12月は師走なのですが、イタリアでは一年の最大行事のクリスマスがあります。
それはイエス・キリストの誕生日だといわれています。
それは日本のお正月に匹敵する行事です。
それに合わせて12月8日はクリスマスツリーを飾るといわれているインマコラータ、無原罪のマリアの日があります。
それは無垢な心をもっていたマリア様が処女でイエス・キリストを懐妊するという日です。
もう一つの説ではイエス・キリストを懐妊する事によって、母であるマリア様の罪は全て清められるという説があります。
なるほど、、、両方考えられますね。
子供を授かるというのは、尊い事で、その子供は自分のものでもなく、分身でもない、、、
勿論、親と子になるのですから、深い深い絆、縁はあるのでしょうが、その縁は、上とか下ではないと思います。
そんなインマコラータがあって、冬至がきて、クリスマスが来る。
イタリアのクリスマスは、実はとても静かな印象があります。
街はライティングされますが、日本のようなギラギラではなくて、静かな印象が私にはあります。
それは私が、カッラーラという田舎のそれもまた山の街にすんでいるからかもしれませんが、、、
でもその静寂な空間に身を置く、という事が、好きでもあります。
静寂に浸っていると、自分のうちなる声が聞こえてきたりします。
今年は、人は一人では生きていけない、という事を感じています。
そして自分は何も分かっていない、という事も、、、
まだまだ学ぶ事だらけな気がしています。
それは、肉体をもって今を生きているから学べるんだと思うと、生きているという事は尊い事ですね。
時に、自分が居なくなれば全てがうまくいくのかな?なんて極論に陥りそうになりますが、それは間違い。
居なければいい人、なんて居ない、、、命ある限りはその命を使って行く、、、それが使命なんでしょうね。
でも人生、半世紀も生きていると、なるほど、と分かる事もあったりします。
長生きするというのは、馬鹿に出来ませんね。
実は父親か危篤状態で、病院に居ます。
理由があり、今すぐ日本には帰れませんが、生死をさまよっている父の魂と、静寂の中に居る私の魂は時々、交信している気がしています。
小さい頃、父に怒られた事がありました。
その時の理由が小さい私にはわからなくて、その事を思い出すたびに泣いていました。
今の私は、、、、父は私の魂の欠点を指摘してくれていたのだと、感じています。
訳があって、1月の中旬までイタリアに居ます。
それが済んだら日本に帰ります。
父が生きてくれていたら、今生のお別れをする、出来ればそうしたいですが、それが無理であっても、魂は交信していると信じています。
最近の私の心の独り言でした。
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