「 念仏者は 無碍の一道なり 」 『歎異抄』 | 光華女子学園

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「 念仏者は 無碍の一道なり 」 『歎異抄』

 新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大によって、かけがえのないすべてのいのちが脅かされて不安な日々が長く続いています。この新型ウイルス禍は、私たちの生活を大きく一変させて、社会、経済、教育、文化、芸術、思想に至るまで深刻な影響を与え続けています。あたりまえにあったものが脆くも崩れていくような怖さと不安を日毎に強く感じます。社会的距離を保つことは大切ですが、心の距離までもが離れていかないか心配です。私たちは、これから如何に新しく生まれ変わることができるのか、正に今、その岐路に立たされているように思います。

 
 この言葉は『歎異抄』の「第七条」にある言葉です。「念仏する人は、何ものにもさまたげられることのない、何ものにも怖れることのないひとすじの大道を歩むものです。」と宗祖親鸞聖人が述懐なされたと記されています。親鸞聖人の信念の核心をもっとも力強くあらわされた言葉だと言えます。親鸞聖人においては二十九歳の時、よきひと(師)である法然上人と感動に満ちた決定的な出遇い(念仏の教えとの出遇い)をされて、「念仏もうさんとおもいたつこころ」が発起され、真に念仏する身となり「無碍の一道」に立って力強く人生を生き抜かれました。

 
 それでは、親鸞聖人の境遇においてさまたげになるようなことはなかったのでしょうか。
決してそうではありません。正に逆境と言える流罪、長男との義絶、戦乱、飢饉、火災、疫病など困難な出来事が繰り返し起こりました。人が生きていくには極めて過酷な状況(さまたげ)の連続であったと言える苦難の生涯に対して確信をもって「無碍の一道」と断言されて貫いていかれました。

 
 親鸞聖人は、念仏のはたらきについて、主著『教行信証』「行巻」において「功徳の極まりである念仏は、静かな風のようであり、絶え間ない波のごとく繰り返し起こる困難な出来事を転じていく」と述懐されています。困難で苦しい出来事が起こったときには、そこから逃避したり忘れようとするのではなく、現実のすべてをあるがままに真っすぐに受け止めて、真実の教えとはたらきを拠り所として本質的な苦しみの原因をしっかりと見つめて、自分自身で解決しなければならないことを教えられます。

 
 念仏者である親鸞聖人は、波のごとく起こる無数の困難を真実の教えに出遇い念仏のはたらきによって、自分にあたえられた仏縁としてあるがままを受け止められて、そのすべてが生きるためのこころの糧として転じていかれました。それゆえにその困難がさまたげになることなく、行く手を遮られることなく確かなひとすじの道として着実に歩んでいかれたのだと思います。
 
 今、私たちが直面している困難があります。その困難を如何に転じて乗り越えていくのか、その進むべき確かな道を親鸞聖人の歩まれた「無碍の一道」から見出していけるのではないでしょうか。(宗)

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