今朝(3/12)のじゃかるた新聞のトップ記事です。
震災後も存続支える
震災から1年の気仙沼
魚の町とインドネシア【上】
昨年三月十一日の東日本大震災から一年。津波と火災が襲い、漁港周辺や市街地が壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市では震災前、多くのインドネシア人が働いていた。昨年六月にはユドヨノ大統領が訪問し、津波の被害にあった漁港や仮設住宅で被災者を慰問したことで、日本を代表する遠洋マグロ漁業の基地である気仙沼とインドネシアの結び付きの強さに改めて注目が集まった。震災を機に協力関係強化の道を探る漁業の町とインドネシアとのかかわりを追った。
気仙沼でインドネシア人が船員として働き始めたのは約三十年前。現在、遠洋マグロ漁船の三分の一の船員が日本人幹部で、残りの船員はすべてインドネシア人。
じゃかるた新聞
http://www.jakartashimbun.com/
関連記事
2011年 06月 20日
インドネシア 気仙沼市に復興資金200万ドルを寄付
http://gadogado.exblog.jp/12923037/
2008年 02月 22日
気仙沼港祭りをインドネシア語で読む
http://gadogado.exblog.jp/6823231/
2011年 10月 30日
インドネシア大使が気仙沼市の小中学校にアンクルンを寄贈
http://gadogado.exblog.jp/13909933/
追記(2017/2/15)
【魚の町とインドネシア】(上)
震災後も存続支える 震災から1年の気仙沼
http://www.jakartashimbun.com/free/detail/3972.html
【魚の町とインドネシア】(中)
「家族のような存在」 生活に溶け込んだ研修生 震災から1年の気仙沼
http://www.jakartashimbun.com/free/detail/3993.html
【魚の町とインドネシア】(下)
友好と復興の象徴に 「バリ・パレード」再開期す 震災から1年の気仙沼
http://www.jakartashimbun.com/free/detail/4011.html