第147回  冠雪の甲斐駒ヶ岳  - 風来梨のブログ

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第147回  冠雪の甲斐駒ヶ岳 

『日本百景』  秋  第147回  冠雪の甲斐駒ヶ岳  〔山梨県・長野県〕
 

冠雪の甲斐駒ヶ岳頂上
 
この山行にお題を着けるとしたなら、「秋を訪ねに行けば冬だった・・」が妥当だろう。
表題を示したこの山行であるが、「豪華絢爛の秋模様を・・」と、いつもと同じく何の下調べもせず、何の訓練もせず、過去の“既に使い果たした”貯金のみをアテに、前回よりも一段とキツイ南アルプス・鋸岳への『紅葉狩り』を目論んだその結果が、『お題』通りになったという訳である。
 


 

「秋を訪ねに行けば冬だった・・」山行 行程図
 
    行程記録             駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 広河原よりバス(0:30)→北沢峠(0:35)→仙水小屋(0:35)→仙水峠
     (1:40)→駒津峰(1:45)→甲斐駒ヶ岳
《2日目》 甲斐駒ヶ岳(2:20)→駒津峰(2:00)→仙水峠(1:00)→北沢峠よりバス
     (1:05)→戸台よりバス(0:35)→高遠バス停
 
 《1日目》 鋸岳まで行くハズが・・
この“何の考えもナシ”に企画実行した山行で、唯一“考えた”事はコレだろうか。 
コレとは、南アルプスの登山基地である《広河原》までのアプローチ手段である。 周知の如く南アルプス林道は一般車は通行止で、林道バスが唯一のアプローチ手段となる。
 
そのバスは夏のシーズンを終えると、《北沢峠》付近を散策する行楽者目当ての運行形態となるのだ。
即ち、早朝便が減便されるのである。 これは山に登ろうとする者にとっては、かなりイタイのである。

そして値段も高いので、最も安くて最も時間に無駄が無いようにせねばならない。
で、考えたのが、甲府までの夜行高速バスを一つ手前の韮崎まで乗って、韮崎からタクシーで一般車通行止となる《芦安駐車場》まで乗りつなぐ・・という方法だ。
 

甲斐駒ヶ岳より望む仙丈ヶ岳

なぜ《韮崎》かと言えば、これも考慮の結果だ。 今の南アルプスへの行楽は《芦安駐車場》へ車で向かう人がほぼ100%といっていい程で、バス便は《芦安駐車場》よりのシャトル便となっているのだ。
 
そして甲府駅からこの《芦安駐車場》へのバス便は、利用者減少のアオリを受けて「利用できるものならしてみやがれ!」って位に、減便&林道バス無接続の時刻設定となっていたのである。
時の流れか、余裕のなさか、『利益のないモノは廃されて然るべき』という経済の基本が完全履行されてるし。

まぁ、そういう理由を全てひっくるめて最も安く最も効率的にアプローチした結果が、登山口の《北沢峠》到着が9:30と、過去の私ならば「山のセオリーに背く」と批判していたような時刻である。
しかし、「現実はこうなってしまったので受け入れよう」と、己が吐いた言葉のブーメランを己に甘い自己弁護の言葉でかわす私。
 

“既に使い果たした”貯金のみを
アテにしたタワケの今回の目標はコレ
見るからにキツそうですねぇ
 
さて、バスは定刻に着き、即座に出発。 水場のある《仙水小屋》経由の道を取る。 なぜなら、今日の宿泊予定である《六合石室》は水がないからである。 そして、最初の登山口から3リットルの水を持つよりも、30分でも3リットル=3㎏を軽くしたいとの腹づもりである。

始めは沢に沿った平坦な道で、これが《仙水小屋》まで続く。 ここまでは約30分。
たった30分、獲得の標高差ほとんどナシで、+3㎏の『十字架』を背負わされる訳である。
そして、ここを境にペースがドンと落ちていく。 《仙水小屋》からは溶岩帯の縁を伝って、また30分程で《仙水峠》へ。

この《仙水峠》では、甲斐駒ヶ岳の支峰である摩利支天峰が一枚岩盤の姿を魅せていた。
もちろん、秋色に飾られた美しい姿で。 でも、曇っていてくすんでいたが。 ザックを下ろし、この山行でのファースト・ショットを撮る。
 

往きは(これから頂上で吹雪くので)
雲ってくすんでた
掲載写真で《1日目》に撮ったのコレだけ
 
でもここは、ほんとに『峠』を実感できる所である。 これから向かう駒津峰へは急登の坂が連なっている。 そして対面を向けば、鳳凰三山の前衛峰となる栗沢山からアサヨ峰へのラインがこれまた急激な傾斜を魅せている。
 
この情景を目にして中学の国語の教科書で『峠』という詩があった事を思い出したが、正にこの状況を描いていたのである。 そう、どちらにしても行き詰まり、そしてどちらかに向けて急登をこなして行かねばならぬ事が課せられた場所なのだ。 そしてこの苦難を拒否したくば、来た道を退く以外にはないという事も・・。 まぁ、少々オーバー目な表現であるが。

摩利支天峰を撮って、さぁ・・登高開始。 一度降ろした水3㎏入りのザックは『重い』。
そして、前の幅広ザックと違ってアタッカータイプ(縦長のスラッっとした形)なので、荷の背が高くなって=重心が高くなって歩きにくいし、よく転ぶっていうか以前もよく転んでいたので、それに輪をかけてよく転ぶのだ。
 

北岳の勇姿
余裕があれば好展望を
欲しいままにできるのデス

まぁ、前のザックは17年も使って(安物にしてはよく持ったよ)去年肩の部分の縫製がちぎれてしまったが、たぶん私の登山スタイル(スタイルといえる程にまともなのか?)では、幅の広いザックの方があっていると、この山行で実感させられた。

なにせ、ポリタンで水持ったり、鉄とプラスチックとガラスで構成されて、ザックにつめると歪な形にならざるを得ない“余計なモノ”約4㎏を、ザックの上部に爆発させる形で詰めなければならない。
今まで、こんな状態でバリエーションルートや沢登りをやってきたんだなと思うと、『なかなかやるジャン、ワテ』と自分を褒めてみたりしたくなる。

まぁ、こんな風に“寝言”をほざいても解決しないので、とにかく登る。 始めの標高差300m位はノンストップで一気に登る。 ここまでは前と同じ。 でも、ここから続かないのが今のワテ。
だが、『脂肪まみれの上半身』っていっても、以前より痩せているのだが。
 
やはり、ここでも『過ぎたる脂肪は力なり』という、我が持論の正しさが証明された訳である。
誰か、この学期的な論評を取上げてくれないだろうか。 これが取り上げられる事で、世界何億という肥満体型人の彷徨う心が救われるのであるから
 

仙丈ヶ岳の勇姿
でも今の私は『ヘロヘロヘロ』になって
写真を撮る余裕がありませんでした

まぁ、こんな『寝言』をブツブツいいながら、2分歩いては2分立ち止まる・・といった事を繰り返す。
疲れとヘバリが増していくとこれが1分毎となり、50歩になり30歩になる。 
立ち止まる時間の変化はないが。
 
そして、立ち止まる毎に対面にそびえる栗沢山との位置を確認する。 なぜなら、栗沢山の頂が2714mで、この山の頂付近までくれば標高2752mの駒津峰も“もうすぐ”という訳だ。 山の高さの差が埋まる事だけを心の頼りに、ヘロヘロヘロと登っていく。
 

駒津峰とカールを抱く仙丈ヶ岳
 
やがて、森林限界を越えて稜線に出たのか風がやたらと強くなり、程なく駒津峰に着く。
12:15着。 もう、下山し始めている人が大半だ。 天気も崩れ出したし、と思えば霙から雪が降ってきた。 まぁ、ここでこの時間であれば下り始める人かまともで、これより登る者はセオリーに反しているのである
 

駒津峰から六方岩までが
甲斐駒ヶ岳への最もデンジャラスゾーンだったりする
 

六方岩と中央アルプス

まぁ、雪も降ってきたし、これより誰もいないだろうし、カッパ着て持ってきたオニギリをほうばってからノタクタと出発。 甲斐駒ヶ岳へのルートで最もデンジャラスな《六方石》への吊り尾根を伝って(難所の通過は、爆発した背丈の高いザックは邪魔だったりして)、直登ルートと巻道ルートの分岐の取付へ。
 

甲斐駒ヶ岳への直登コースを見上げる
かつては“喜んで”直登コースを行ったっけ(涙)
 
前に鋸岳へ行った『全盛期』は“喜んで”直登コースを行った(もちろん、今日と変わらぬ荷物の量で)が、今は“スンマセン、勘弁してください”と巻道を選択する。 その巻道ルートでは、いよいよ風は『木枯らし一号』を凌ぐ暴風一歩手前まで吹き付けてきて、また『ヘロヘロヘロ』から一段と成長(退化)した『ヘロヘロヨロヨロッピ』になった我が身体は、風に煽られて千鳥足で右往左往する。
 

甲斐駒ヶ岳本峰と摩利支天
雪をまとった姿は見ている分にはいいんだけどね
 
また、雪は吹き溜まってきて、比較的安全なザラ場とは言えども雪が踏跡を完全に埋めて雪庇状に『進化』して、風に煽られるまま千鳥足の今の自分にはデンジャラスな状況となってきた。
砂礫に切られた幅30cm程のトラバースの踏跡が雪で埋まった所などは、安易に千鳥足で右往左往と“ふて腐れる”事はできない。 そんな事をすれば滑り落ちてしまう。
 

雪の乗ったザラ場は更に滑りやすく
 
でも、疲れでヘロヘロとなった我が身体は変えようのない事実だから、ここはピッケルを突いて立ち止まる以外に回避策はない。 という訳で、この砂礫の坂で30回以上は立ち止まったかなぁ。
誰もいなくて、醜態を見られずに済んで良かったよ。

それで、漸く頂上に着いたのが14:30。 頂上の祠の前で腰を下ろす。 でも、まだ今日の宿泊地である《六合石室》は、ここからコースタイムで1:30先だ。 ヘロヘロで下りが遅い私なら、2時間は見ておいた方がいいだろう。 となると、到着は16:30。 秋という季節を考えれば限界かもしれない。
で、疲れを背負ったまま出発。
 

下降路はこの岩のように
パリバリに凍っていますた
 
頂上は風雪が暴風一歩手前の様相で巻いており、その中を岩場下りで下っていく。
ちょっと下ると、本格的なガリガリの岩場となってきた。 そして、その岩は凍っている。
かなり躊躇する眺めであった。 下るのに躊躇していると、学生と思しきパーティが登ってきた。
話を交わすと、「《赤河原》へ下ろうとしたらしいが雪で断念した」との事。
 
最も体力がある学生(女の子もいたが)がダメで引き返したというモノを、『ヘロヘロヨロヨロッピ』の私が行くのはちょっと無謀だろうという事で、最初の大岩を下った所で引き返す。 この事で、この先の鋸岳へは断念と相成った。

で、残ったのは、登りでヘタって『ヘロヘロヨロヨロッピ』となった我が身体と、テントと水一式をパッキングして爆発したアタッカー・ザックのみである。 そして、頂上付近でタムろった為に時間も15:30と、下るにはタイムオーバーになっていた。 「これより下まで下っていく」という『無謀』を回避するには、「別の『無謀』を実行する以外にないねぇ」という事で、別の『無謀』をするべく場所探し。
 

デカイ岩が乱立する間は
少しでも風が防げると考えたのだが
 
頂上は風雪が吹雪一歩手前ではあったが、背が高く幅の広い天然の岩小屋のような岩が乱立していて、その岩に囲まれた中にテントを張ると、何とか凌げそうだ。  風が強い中でテントを設営するが、ペグを打つような余裕はなかったので、テントを設営してすぐさま荷物と自身をテントの中に放り込む。
そうしなければ飛ばされるからである。

まぁ、自分の体重はテントを支える『重し』代わりという訳だ。 疲れていたし、腹も減っていなかったので、「ここは寝るか」と寝に入る。 前の同じ時期の剱沢山行からの教訓で、プープークッション(エアーマット)は装備しているし、湯たんぽも持ってきた。 時計にある温度計を見れば+2℃位だ。
風は強くテントはバタついているが、状況的には去年の剱沢と同じようなものだ。
いや、最初にプープークッションを用意した分、「前よりも条件はいい」と思い込む事にしよう。
 

『天然』は明日の朝の天気を
御気楽に考えてます

で、すっかり暗くなる19時前まで、ぐっすりと寝れたよ。 この点、ノーテンキって身を助ける才能だなって思う。 目覚めてからすぐの二度寝も厳しいので、腹は特段減ってはいなかった(最初は食う気はなかった)が、メシを食う事にする。 腹を満たすというよりも、コンロで暖を撮るのが第一の目的といっていいだろう。 ついでに、湯たんぽもこしらえる。
 

頂上での極限(ノーテンキ)な一夜を過すと
素晴らしい情景が待っているのデス
・・たぶん

メシを食って、8時頃にまた寝入る。 相変わらずテントはバタついて、隙間から外を覗くと完全な吹雪模様だった。 その後、湯たんぽの効果が切れる12時前と3時過ぎに湯たんぽを仕立て直す為に起きたとはいえ、割と睡眠時間は取れた。 計算するとコマ切れだが、7時間以上寝てたりして。
あぁ、『天然』『無思考』っていう器量は、ほんと身を助けるね。 ちなみに、テント内の最低気温は-4℃だった。
 


 

冷気のもやが晴れていくと
昨日断念と相成った鋸岳が勇姿を現した
 
 《2日目》 冬から秋へ戻っていこう・・
3度目の湯たんぽが切れる6時前に目覚める。 コリは、いつもよりもよく寝れたんでないかい。
たが、6時前という事はとっくに陽が昇っていたりして。 という事は、こんな事(頂上でのビバーク)までして、朝日を撮り逃したりした事実(醜聞)が明らかになったりして。

でも、昨日からの吹雪の様相を呈した風雪は収まっている。 多少の風はあって、テントは揺らいではいたが。 そして、テントはパリパリ凍ってるよ。 こりゃぁ、撤収する時にかさ張るかもね。
さて、朝日を撮り逃したのだから、時間はたっぷりある。 そして、中途半端に『重し』である我が身体をテント外に出すと、テントが飛ばされかねないし。 という訳で、贅沢にティータイムを取る。
湯たんぽをこしらえながら。
 

パリパリに凍った岩が
昨日の判断を正しいものだと思わせる

で、テント撤収は7時前。 テントの撤収だけは慎重を期さねばならない。 油断するとテントが飛ばされてしまうから。 特に、中の荷物を出して『重し』がなくなった時がデンジャラスである
凍ってパリパリになったフライシートを剥ぎ取って、手前に荷物を置いて風の抵抗を極力避けるようにポールを抜く。 抜いたポールは凍って抜けなくなってたよ。
 

心の底では「やっぱり行けたかな」
なんて思いもチラホラ

仕方がないので、接続口の凍った部位を口で咥えて解かし、1ヶ所づつ引き抜いて袋に入れていく。
これは手間がかかる。 全部の接続口を解凍するのに10分位かかったよ。 
ポールを抜きペシャったテントから荷物を抜いてたたむ。 凍ったテント布はかさ張り、丸めて袋に入れるのが精一杯。
フライまで入らなかったよ。
 

雪と氷に囲まれた氷点下の楽園

そして、フライの凍り方は『爆発』状態で、ザックの別のポケットに押し込む以外に手はなかった。
その状態はパリパリとなって「♪降ろしたてみたいぃ~ キーピング」の様相であったが、普段の2倍強にかさ張って「とっても着心地の悪い布」と化していたよ。
 

北岳と間ノ岳が角を突き合わせた
山岳風景も欲しいままに

まぁ、何とかパッキングをして荷物が飛ばされぬ『担保』を確保したなら、遅まきながらの撮影タイムだ。 空は、荒天が過ぎ去った後の雲一つない好天であった。 朝日に輝く頂上の祠や風雪にシバれた岩、昨日まで目指した鋸岳の勇姿、白銀をまとった北岳や仙丈ケ岳を撮りまくる。 
案の定、大した写真は撮れなかったが、昨日から今日にかけての体験は何かの糧になるだろう。 いや、「なってくれるんじゃないかなぁ」と淡い期待を抱いてみる。
 

凍てつく頂上の祠を印象深く・・
朝日は寝坊したのでこれが今回の一番星
 
それでは下っていこう。 下に広がるこれから歩くルートを見下ろすと、摩利支天峰の下位までが雪が被さっていた。 あそこが冬と秋の境目のようだ。 だが、あの秋の所まで行くのが、ちょっとコワい。
全く踏み跡のない雪庇状態で、ルート上に吹き溜まっているからだ。 踏跡がついて踏み固められた状態ならさして怖くはないが、全く踏み跡のない状態は結構“来る”ものがある。
 

頂上から樹氷を見ながら下っていく

ピッケルを土手に突き刺して、トラバースそのままの3点確保で下っていく。
時間がかかっても、滑り落ちるよりはマシだろう。 そして、頂上直下の七丈尾根との分岐点まで下る。
 

氷とブリザードは
翌日に宝石を創造する
 

昨日の寒気で凍れた樹枝
 
上を見上げると凍った枝がツララ状に下がり、それが陽の光を浴びてキラキラと輝くいいシーンがあったので、また余計に時間を食う。 でも、カメラを首にぶら下げながら下っていく、山に登っていて最も楽しいひとときだ。
 

枯れた枝がいっとき宝石となる
触れたら消える儚き宝石たち
 
あまりにも時間をかけ過ぎて、《六方岩》で早くも下から登ってきたトップ組の下りに抜かれる始末だった。 「写真撮りながら下ってるんだから、いいんだもぉぉ~ん」と強がってはいたが、内心はかなりダメージがあった。
 

摩利支天より下は
秋色が広がっていた
 
でも、すれ違う登山者からは、「足速いですねぇ」と声を掛けられる。 「いや、頂上に泊ったのに、下からの先頭グループに抜かれる位に遅いのですよ」というのが、正しい答だったりして。
そして、その真相を明かすと、大概が呆れ声を上げていた。
 

オベリスクの尖りを示す鳳凰三山
の背後に霊峰・富士が
 
《六方岩》を過ぎると、完全に冬から秋へ移行していた。 往路でも記したが、ここから駒津峰までは痩せた吊り尾根を伝うコース唯一のデンジャラスゾーンで、昨日の霙が所々で残っていて滑る。
 

雪をまとった美しい姿
でも初雪は踏跡がないだけに厄介だ
 
また、凍ったテントでゴワついて更に丈長となったザックが、ふらつかせて足元が甘くなる。
そして、ついに駒津峰手前で岩を昇り損ねて仰向けにコケる。
 

タワケの無様ぶりを絵で表すと

このコケ方は、生涯山行で1~2を争うヤバさであった。 背中の半分位が岩よりはみ出て宙ぶらりんになったから・・。 下の谷間が視野に入ったし。 必死になって、退化した腹筋をフル動員して起き上がる。 この時ばかりは、ヘタしたら“死んだ”と思ったよ。
 
腹筋で起きた後も足がガクガクと震え上がり、駒津峰までの僅か150m位が異常に長く感じた。
着いた駒津峰では、さすがに精神のクールダウンに時間を割く。 そして下山路も早く下山したかった気持ちはあったのだか、通った事のない近回りの《双児山》ルートはパスして、往路に通った《仙水峠》ルートを取る事にする。
 

頂の白と山稜の枯木色
そして山肌は秋色に彩られた十二単をまとい
 
この選択は、これらの事情以上に『正解』だった。 秋色に彩られた山々が広がっていたのだ。
これで、更に余計に時間がかかる。 この情景を目にすると、「バスの時間など今更どうでもいいか」との考えになっていた。 大胆に20分も、ひと所で撮影に興じたりしながら下っていく。
 

仙水峠より望む
摩利支天の秋模様
 

赤く染まる秋もあった
 

仙水峠の溶岩滞も
秋色に染まっていた
 
その如くノタクタと下って、《仙水峠》に下り着いたのは11:30。 ここまで4時間半もかかってるよ。
この後も《仙水峠》の溶岩帯で写真を撮りまくって、《北沢峠》に着いたのは13時10分前。
最後の林道はヘロヘロに疲れて、400mの林道で何度も立ち止まってヘバっていたよ。
 
足早に駆け抜けた3つの季節

頂上の初冬
 

峠の晩秋
 

車窓の秋

《北沢峠》では、運良くバス発車の15分位前だった。 後はバスの中から、今回断念と相成った鋸岳の秋模様を見る。 でも、南アルプス林道から見る鋸岳の《角兵衛沢》のガレはそそるなぁ。
前はアレを下ったのねっていうか、アレを下るつもりだったのね。
 

バスの窓より望む秋色の鋸岳
アレを下るつもりだったのね
 
まぁ、今回は頂上ビバークという違う『無謀』を体験したが、この体力でアレを行こうと考えるのも『無謀』だったかもしれない。 でも、決して褒められたものではないが、私は今まで何度も『無謀』をして、その都度で知恵を使って何とか乗り越えてきた。 そして、それらが『私の体験力を豊かにしている』という事だけは『その通りだ』と思うし、そう信じたい。

   ※ 詳しくはメインサイトの『撮影旅行記』より秋を訪ねに行けば冬だった・・』を御覧下さい。
 
 
 
 


 
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No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
冠雪の甲斐駒ヶ岳頂上、清々しいですね。

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。 見て頂いて、有難うございます。

初冠雪は、魅惑的な情景を魅せてくれます。
でも、そこに辿り着くのが厳しいですね。

だから、その瞬間にいた幸運を喜びたいです。

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No title

冠雪の甲斐駒ヶ岳頂上、清々しいですね。
2014-11-28 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。 見て頂いて、有難うございます。

初冠雪は、魅惑的な情景を魅せてくれます。
でも、そこに辿り着くのが厳しいですね。

だから、その瞬間にいた幸運を喜びたいです。
2014-11-28 * 風来梨 [ 編集 ]