廃線鉄道 第126回 留萌本線・その1-2 (留萌~増毛) 〔北海道〕今や線名の留萌さえも行かなくなった日本最短の『本線』・留萌本線※ 峠下にて留萌本線(るもいほんせん)は、北海道(空知管内)深川市の深川から雨竜郡沼田町の石狩沼田駅を結ぶJR北海道の鉄道路線である。 だが、路線名の『留萌』が示す通り、かつては留萌管内の振興局所在地の留萌市にあった留萌及び、北海道増毛郡増毛町に所在した増毛までを結んでい...
廃線鉄道 第125回 留萌本線・その1-1 (留萌~増毛) 〔北海道〕留萌本線と名乗る通りかつては留萌の先の増毛まで結んでいた路線であった留萌本線(るもいほんせん)は、北海道(空知管内)深川市の深川から雨竜郡沼田町の石狩沼田駅を結ぶJR北海道の鉄道路線である。 だが、路線名の『留萌』が示す通り、かつては留萌管内の振興局所在地の留萌市にあった留萌及び、北海道増毛郡増毛町に所在した増毛までを結んでいた鉄道...
羽幌線在りし時は、幌延から深川への直通列車内で全区間5時間半爆睡して、留萌で長い跨線橋があった事を寝ぼけ眼で見た記憶しかないですね。 羽幌線も豊崎~初山別の金駒内川橋梁の海に向かって下る橋梁で夕日をバックに撮れる名撮影地を知ったのが、廃止となってJRになったその日ですね。 羽幌線は、国鉄最後の廃止線だそうで・・。 ちなみに、その時は湧網線(1987年3月20日廃止)及び士幌線(同3月23日廃止)に入れ込んでいました。 あぁ・・、悔しいなぁ。
留萌本線に立ち寄るなら、北秩父別がお薦めです。 国道のバス停『6条3丁目』から3~400m歩いて、留萌道の下をくぐると踏切と駅がありますので、駅寝の必要はありません(笑)。 頑張って深川始発に乗れば、折り返しで下車もできますよ。 滞在時間1時間で次の列車で戻れます。
『第552回 北秩父別駅』 https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-2522.html
留萌駅はたぶん取り壊してる最中化と。 増毛駅は町の観光施設として改築されているようです。 それと、峠下駅舎が雪の重みで倒壊したとの事。 その他は、ロケセットとなって残る恵比島駅舎以外は全て撤去されたとの事です。
廃線鉄道 第118回 小清水軌道・北見鉄道 〔北海道〕小清水駅跡地に立てられた小清水駅跡の案内板※ 小清水町のウェブサイトより小清水軌道(こしみずきどう)は、かつて北海道斜里郡小清水村(現・小清水町)にあった北海道製糖が運営する軌道路線である。現在はラーメン屋がテナントとして入る無人駅・止別がこの鉄道の開基点だった※ ウィキペディア画像を拝借国鉄釧網本線(当時の網走本線末端区間で網走以東)の敷設に...
廃線鉄道 第110回 鴻紋軌道 〔北海道〕住友の鋳型微視菱の社紋が記された鴻紋軌道の客車:山奥で砂金の鉱床が発見され日本有数の金山となり住友財閥が鉱山を買い取って鉱山従事者や鉱石輸送の為に敷設した軌道である※『懐かしの鴻紋軌道』より鴻紋軌道(こうもんきどう)は、かつて北海道網走支庁管内の紋別郡紋別町(現在は紋別市)に存在した軽便鉄道路線である。 我が国で第三位の金の産出量を誇った鴻之舞金山(金の他...
廃線鉄道 第101回 興浜北線・その2 〔北海道〕オホーツクの風が荒れ狂う厳寒の中をゆく単行列車※『鉄道ジャーナル別冊・'85 日本の鉄道』より興浜北線(こうひんほくせん)は、かつて国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅で天北線から分岐し、オホーツク海沿岸を南下して枝幸郡枝幸町の北見枝幸に至る国鉄の路線で、浜頓別を終点とする興浜線の北側の先行部分として開業した路...
学生時代に北海道の鉄道を乗り回していたのですが、この路線は大好きでした。
斜内山道も印象的でしたが、沿線の駅にも惹かれました。
夏の豊浜駅ではホームでお昼寝もしました。贅沢に時間が使えた時代でしたね。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-393.html
恐らく、最も乗りたいあるいは乗りたかった廃止路線ですね。 興浜北線は。
私は最初の旅でフイルム間違いで撮った写真が全ボツとなってからは、リベンジに燃えてました。 だから、冬に駅寝も辞さなくなったのですね。
私は専ら、北見神威岬でした。 徒歩『撮り鉄』なら1ヶ所で撮るのが限界ですから。 廃止になってからも、クッチャロ湖の白鳥と撮るときに必ず立ち寄ってますね。
撮っててよかった、幸運だったって事ど、なぜもっと撮らなかったのだろうという公開がありますね。 この興浜北線には。
廃線鉄道 第100回 興浜北線 その1 〔北海道〕岬灯台の下を急カーブに車輪を軋ませながら行き交っていた興浜北線列車興浜北線(こうひんほくせん)は、かつて国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅で天北線から分岐し、オホーツク海沿岸を南下して枝幸郡枝幸町の北見枝幸に至る国鉄の路線で、浜頓別を終点とする興浜線の北側の先行部分として開業した路線で、南側部分の興浜南線...
廃線鉄道 第94回 留萠鉄道 〔北海道〕留萠鉄道は気動車での旅客営業も手掛けていたが主要は雨竜炭田からの石炭輸送を担う運炭鉄道だった※『北海道の炭鉱鉄道』より留萠鉄道(るもいてつどう)は、北海道雨竜郡(空知支庁管内沼田町)および留萌郡(廃止当時は留萌支庁管内留萌町で、現在は留萌市)で、それぞれ鉄道路線を運営していた私鉄である。 沿線の炭鉱の閉山により、沼田町内に所有していた路線(炭礦線)を最後に1...
廃線鉄道 第87回 興浜南線 〔北海道〕恐らくつながる事を夢見た興浜北線と共に最も復活して欲しいと思う路線だった興浜南線興浜南線(こうひんなんせん)は、かつて、北海道紋別郡興部町の興部で名寄本線から分岐し、同郡雄武町の雄武までを結んでいた国鉄の路線で、 浜頓別駅を終点とする興浜線の先行部分として開業した路線である。 当線の先行開業後も、興浜線(興部~浜頓別)全線開通を目指して延伸工事が行われたが...
突然のご連絡失礼いたします。
今現在、道北を中心に廃線訪問証なる「惜鉄訪問証」を制作、販売しております友井逸平と申します。
この度、「興浜南線」の訪問証を制作する事になり、もしよろしければ「風来梨」さまの素晴らしいお写真(我が生涯のお宝写真となる1枚をゲット)を使わせていただけないでしょうか。
もしメアドをお教えいただければ企画書をお送りいたします。また、多少ではございますが使用料もお支払い致します。
何卒ご検討いただけますと幸いです。
どうぞ、お使い下さい。
写真って見てもらってなんぼなので、存分に広めていだだけれは撮影者冥利につきます。
他の路線(興浜北線とか)構いませんよ。
なお、メールアドレスは公開しない方針(メールを信用してない)ですので、詳細は私のホームページ『日本百景』の掲示板に書き込みして下さい。
日本百景のアドレスは
http://nihon100kei.la.coocan.jp/
です。
コンテンツの『魅惑の鉄道写真集』の写真も使って頂けるのならお使い下さい。
完成した本を1冊送って頂ければ、お礼など不要ですよ。
写真は見てもらわなければお蔵入りするだけで、それは折角撮った写真に対しての不幸ですから。
お返事ありがとうございます。
早速掲示板でお送りしたいと思ったのですが、
「現在この掲示板へは書き込み出来ません。
管理者の方へ:重要なメッセージがありますので、管理者画面をご覧下さい」
と表示され、送る事ができませんでした。
何卒ご確認いただけると幸いです。
友井逸平
申し訳ありません。 更新が切れてたようです。 今週の土日に更新しますが、時間のロスもあると思いますので、今週の土日に友井様へ当方の住所等を記載した空メールをお送りします。
土日でないとメインのパソコンに触れない環境にいまして、平日はスマホのみの対応となっています。
手間と時間のご負担をかけまして申し訳ありませんが、土日までお待ち頂けれは有難いです。 宜しくお願いします。
承知いたしました。
気長にお待ちしております。
何卒宜しくお願い致します。
友井逸平
OSをグーグルクロームにして、メールをマイクロソフトのGメールではなくケーブルテレビにしている為に、アウトルックから嫌がらせ(送ったメールはGメール以外は全てそのアドレスは認識しませんなどと表示される)を受けているので、届いているか今イチ確信が持てませんので。 メールが嫌いになった訳の一つでもあります(笑)。
廃線鉄道 第78回 釧路開発埠頭 〔北海道〕 かつて鉄道を追っかけて北海道を旅した時に目にした新富士の貨物ヤード風景※『懐かしの鉄路・釧路開発埠頭』より釧路開発埠頭(くしろかいはつふとう)は、かつて北海道釧路市で貨物鉄道事業を行っていた第三セクター方式の会社である。 日本貨物鉄道(JR貨物)や釧路市・石油元売5社などが出資していた。雄別鉄道から承継した埠頭線と、東北海道各地への石油輸送を行っていた西...
廃線鉄道 第70回 大沼電鉄 〔北海道〕地元の方が個人で15インチゲージの動態軌道を製作公開している※ 『鹿部電鉄前面展望』(ユーチューブ)より大沼電鉄(おおぬまでんてつ)は、かつて北海道(渡島支庁(現在の渡島総合振興局))亀田郡七飯村(現在の同郡七飯町)と茅部郡鹿部村(現在の同郡鹿部町)の間を結んでいた軌道路線である。1929年1月に、国鉄・函館本線の大沼駅(現在の大沼公園駅)と大沼温泉や鹿部村を連絡...
羽幌線が生きていた頃の留萌駅は面白い構造だったんですね~。
今年の夏に北海道に行く計画を立てています。留萌や増毛に行く計画なのですが、果たして実現できるかどうか・・・。