【明智光秀と信長:新章】人と人との出会いと結婚は偶然なのか運命なのか。(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)
明智光秀の放浪、妻との山越え
100年に及ぶ戦乱の世である。
たとえ家があっても誰もが疲弊し農民も武士も貧しいものが多い。
御所に住む天皇や公家でさえ、塀の修繕さえもままならず、近くの百姓たちから食べ物を恵まれ、なんとか生きながらえるという惨状であった。
そもそも、天皇家は地方の領地からの年貢で生活していたが、戦国武将たちが領地を奪い統治したため生活費を得るすべを失った。
落ち武者となった明智光秀もしかりである。
家もなく、畑なく、そして金もわずかという浪人者となり、食べるものにも困窮していた。いわば、戦国時代のホームレスである。
1556年頃。
光秀は、妻煕子(ひろこ)とともに、朝倉家を頼って山を超えようとしていた。
当時、食いはぐれた野盗も多く、貧しい夫婦連れに襲いかかる者もいる。襲ってくる野盗を、武芸に秀でた光秀が追い払いながらの危険な旅であった。
妻は妊娠していた。
険しい山越えにもかかわらず、煕子はグチひとついわず付いてくる。
この後も光秀は、この妻ひとりを生涯守った。側室はいない。
信長の子どもは20人以上、側室も7人ほどいたが、当時の武将としては少ないほうらしい。光秀の生涯妻ひとりだけというのは、当時として、いかに異例かがわかる。
「乗れ」
その場にしゃがむと、光秀が言った。
妊娠中の妻は声もでないほど疲労しているのは明らかで、途中、足を痛めたのか、歩みが遅れがちであった。
「と、とんでもございません」
「いいから、乗れ。わしにできるのはこれぐらいじゃ」
「殿・・・」
「殿・・・、か。城どころか雨露をしのぐ家もない、殿ではないぞ」
光秀は笑った。
「さあ、乗れ。日暮れてしまって危険だ。日のあるうちに寝所を確保しないと、後で困る」
「はい」
煕子がおぶさると、光秀は力強い足取りで先に進んだ。
馬や駕籠をやとう金はなく、歩くしか方法はない。
夫婦は美濃から越前を目指した。現代でいえば、岐阜から福井県へと歩いていたのだ。朝倉家に仕官するためであった。
光秀を迎えいれる朝倉家も、戦国大名のご多聞にもれず、周辺との軋轢から小さな戦は日常である。
国境を接する国どうし、常に領地を取ったり取られたりを繰り返した時代であって、この感覚、特に陸続きの国境がない現代の日本人の皮膚感覚としては、捉えるのは難しいように思える。
中東をイメージしたほうが、よほどわかりやすい。
イスラエルに対するエジプトやアラブ連合、イランやイラクの戦争。ともかく、常に国境を接する国どうしで紛争が起きている。その状況と戦国時代は、ある意味で似ている。
室町幕府将軍、足利義昭との出会い
朝倉家で光秀は懸命に働いた。
もともと器用で頭が回る男である上に努力を惜しまない。本好きで教養もある。朝倉家で重用されるまでになっていた。
越前の冬は暗い。
北陸地方特有の低く暗い雲がたちこめ、海の近くではゴウゴウと風が鳴り、大粒の雪が降り続く。
冬の海を眺めていると、寂寥感に襲われる。
暗い海に立ち、光秀はなにを思っていたのだろうか。
数年後・・・
織田信長が今川義元を破り、尾張での勢力固めをしている頃、朝倉家に次期将軍足利義昭が逃れて来た。
1565年、京では大事件が発生した。
時の将軍足利義輝が、京の実権を握っていた三好三人衆などに討たれ、弟である義昭に将軍職になる機会が降って湧いたのだ。
義昭も投獄されたが家臣団に助けられ京を脱出、その後、彼は京都から流れ流れ、朝倉義景のもとに落ちてきた。
朝倉家に心ならずも寄生する義昭は、京へ復帰して将軍職を継ぎ権力を再び得る道を模索していた。しかし、そのための援助をどこからも得られない。
彼は焦っていた。
そんな義昭に、光秀は良い話相手となっている。
「朝倉殿は、なんで動かへん」
「時期が悪うございます」と、光秀は答えた。
「そいで、なんといわはってんや」
(京都弁訳:それで、なんと言っているのか)
「朝倉の殿は、嫡男である阿君丸さまが亡くなり、悲しみのあまりに・・・」
「もうあかしまへんか、そういうことでっしゃろ」
(京都弁訳:もうだめですか、そういう意味ね)
息子を亡くした朝倉義景は政治に関心を失っていた。政務を近親者へ譲ると、朝から酒をのみ、女を侍らしては遊ぶようになった。
殿は生きていくことへの執着を失ったと光秀は思った。
光秀にとっては予想外の状況であったが、朝倉を頼ってきた義昭にとっても失意の日々であった。
だからこそ、織田信長という新興勢力に、光秀の目は向き信長の身辺を探らせていた。
10年をかけて美濃を平定し、信長は波に乗っている。
「織田信長ですが」
「そないな男、知りまへん」と、足利義昭はとぼけた。
この狐が、心のなかで苦笑いしながら光秀は続けた。
以前、義昭は斎藤家と織田家の和議を画策した。
義昭の仲介にも関わらず、しばらくして信長は美濃を攻め、斎藤家を滅ぼし、いわば、義昭の顔をつぶした形になっている。
光秀は苦笑するしかなかった。
「数年前に今川義元殿を打ち破った武将です」
「そないな、ど田舎のことなど、うっとこにはなんも関係おへん」
(京都弁訳:そんな、ど田舎のこと、こちらには関係ない)
「今、もっとも勢いがある武将でございます」
「信長・・・、信長・・・か、あないな田舎者になにがでける」
「ウツケという評判ですが、そうでもないかと。実は、ご正室の帰蝶さまを幼いころから存じておりますゆえ。そのツテから織田殿にあたりができようかと」
足利義昭は膿んでいた。京の都にしか住めない貴族的な、別の言い方をすれば都会的な男である。
北陸の寒さも田舎臭さにも、ほとほと嫌気がさしている。が、しかし、朝倉は彼の求めに応じて京へあがる気配がない。
(あの、ウツケの乱暴もの)
これが信長に対する印象であって、朝倉もだめ、頼みとする上杉からも連絡がない、しかし、信長はさすがに・・・
義昭の憂鬱は深い。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康―――
戦国時代の武将といえば、この3人がまず頭に浮ぶ。
しかし、当時では桶狭間の戦いで今川家を破ったとはいえ、織田信長はまだ知名度においては低く、当時の感覚としては・・・
おっ? 誰だ、尾張の田舎もの織田かといった感じである。
現代に置き換えれば、大手テレビ局のバラエティー番組に対して、YouTuber(ユーチューバー)の「ヒカキン」や「はじめしゃちょー」がでてきた頃の感覚と似ているかもしれない。
足利義昭は、光秀の思ったとおり、少しごねてから下りた。
「尾張の田舎ものでおますか、ま、あんじょうしてや」
(京都弁訳:尾張の田舎ものですか、ま、うまくしてくれ)
「お任せくださいませ」
「細川をいかせまひょ」
こうして、織田家への使者に、足利家の幕臣である細川藤孝たちが発ったのだ。光秀は仲介役として信長の妻帰蝶への連絡をしたようだ。
その後、彼は、お付きのひとりとして信長の元へ赴いた。
正使者である細川が信長に拝謁したのち、光秀は内々に話があると誘われた。
ひとり残っていると、座敷に通され、しばらくの後、ドカドカという遠慮のない足音が廊下から響いてきた。
「殿が参りました」
案内の声に光秀は平伏した。
その横を風が通った。一陣の風。その風には土と汗の匂いが混じっている。
男は光秀の正面にどかりと立膝ですわると、いきなり尋ねた。
「義昭とは、どういう人物だ」
呼び捨てであった。
光秀は迷った。
「足利さまは」
「面をあげよ」
「は!」
「申せ」
信長がいた。
考えていたより細面で髪はざんばら、着物をだらしなく着崩している。
将軍からの伝言を聞く者の態度ではない。
まさか正式の使者、細川殿とも、この姿で会ったのだろうかと光秀は訝しんだ。
だが、しかし、男前だ。
この男はウツケではない。
権威や形式をバカにしているだけで、決してアホではない。
光秀は瞬時に悟り、そして、本音を語ろうと思った。
そうしなければ、おそらく先はない。
「足利さまは京への上洛をお考えであります」
「そんな表向きの話を聞いてはおらん」
するどい声だ。並の人間なら恐れを感じるかもしれない。
光秀は心を整えた。
「さすれば、織田殿にとって京への上洛のために利用する、その価値があろうかと」
眠そうだった信長の唇が端にあがった。
「さようか」
光秀は平伏した。
「なぜ、そう思う」
「織田様の今後を考えますれば、尾張は治水上、コメの栽培は難しく、特産の蚕など貿易で財を伸ばす必要がでましょう。さすれば上洛は必須。足利将軍家を利用なされば、ご上洛の道理ができまする」
信長の顔がにやりとゆがんだ。
「そなた、名は」
「明智光秀と申します」
「であるか。では、細川殿に伝えよ、承ったとな」
おもわず、光秀は顔を上げた。
即決即断。
参謀はいないのか?
あるいは、いても聞かないのか。
小気味よいほどのスピードで彼は決断した。
思わず光秀の顔がほころんだ。
「ご苦労であった。今宵はやすめ」
信長と光秀、ついにここで歴史上の接点が生まれたのである。
―――――つづく
【明智光秀の謎|信長編】は下記ブログから始まっています。
『 1568年に書かれた『細川家記』(正式名称『綿考輯録』)が現代にも残されており、そこには「信長の室家(妻)に縁があってしきりに誘われたが大祿を与えようと言われたのでかえって躊躇している」という文章がある、これは光秀のことであり、使者として行ったさきで信長に気に入られ、仕えるように誘われたようだ』
*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。
*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。