- 作者: 玉手義朗
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2019/04/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
- 作者: 玉手義朗
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2019/04/18
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内容紹介
驚愕の破滅人生!
著名な大金持ちが大転落、貧しく寂しい末期を迎える。
歴史に残らなかった12人の栄光と挫折に学ぶ、失敗学。◎ テスラCEOも惚れた天才科学者
◎ フランス中央銀行総裁に成り上がったギャンブルの奇才
◎ 三菱、三井を超える巨大商社を率いた名参謀 ……あれほどの成功をつかんだ男がなぜ――?
競争戦略にマネジメント論、マネー論など、
経営学と経済学の切り口から、
「残念な偉人」を徹底解剖。
僕は伝記好きなのですが、成功者の栄光に満ちた人生よりも、「栄華を極めたにもかかわらず、さまざまな理由でうまくいかなかったり、挫折したりして、破滅していく人生」が気になるのです。
単に「他人の不幸のほうが面白い」のかもしれませんが、自分自身がそんな思い切った賭けに出ることができない分、大きく勝負した人の「滅びの美学」に心惹かれてしまうところもあって。
この本では、科学者や発明家、事業家、相場師などの12人の「絶頂から転落した成功者たち」の物語が紹介されています。
最初に登場してくるのは天才科学者二コラ・テスラです。彼は交流モーターを開発し、直流派だった、「発明王」エジソンとの熾烈な主導権争いを制し、富と名声を手にします。しかしながら、あまりにも壮大な無線通信と無線送電を一度に成し遂げようとして、十分な成果をあげることができませんでした。
著者は、二コラ・テスラが、なんでもひとりでやろうとせずに、しっかりした財務担当者を据えて、まずは無線通信から段階的に実現していれば、雑事に振り回されず、その才能をもっとうまく発揮できただろうに、と惜しんでいるのです。科学者としての仕事に専念し、実用化・事業家は他人任せにしていれば、科学者としての名声は揺るぎないものとなっていたのではないか、とも述べています。
実際のところ、テスラは無線通信の技術で最先端を走っていて、事実上マルコーニよりも先に成功していたとすら考えられる。しかし、世界システムという壮大な構想に邁進していたテスラは、無線通信という大成功を通りすぎてしまったのだ。
その点から見れば、テスラのライバルだったエジソンは徹底した事業家であった。エジソンが生み出したのは、実用に適する発明であり、即座に事業に結びつくものであった。そして、その権益を守るために徹底した特許戦略を展開している。
映画撮影機などの特許を取得していたエジソンは、使用料を支払わない映画制作者を見つけだすと、スタジオに乗り込んで機材を破壊するほどであった。執拗な取り立てに嫌気がさした一部の映画制作者は、エジソンの目を逃れるために西海岸へ向かった。彼らが新たに映画制作を始めたのが、当時は未開の地であったロサンゼルスのハリウッドだったのである。
エジソンが「事業家」であったとすれば、テスラは本質的には「科学者」であった。もしテスラが、大学や研究機関で真実の探求だけを行っていたら、輝かしい名誉を得ることができただろう。実際にテスラは、ノーベル物理学賞の候補になっていたが、エジソンと同じく受賞には至らなかった。
むしろ、「エジソンって、そんなにお金にこだわる人だったんだ……」ということに驚きながら読んでいたんですよね。
この本に出てくる「転落した天才」のなかには、「本人は没落して窮乏生活をすることになったけれど、その仕事は後世にも大きな影響を与えたり、つくった会社は大企業として存続している」という事例もあるのです。
極貧のなか勉強し、神戸で外国産の砂糖を扱っていた鈴木商店で働き、頭角を現して店の経営を任された金子直吉さんの項では、第一次世界大戦の「戦争景気」に乗じて急成長を遂げた鈴木商店の栄光と没落が描かれています。
商社の生命線であるとして、直吉は早くから造船事業に力を入れていたが、これも大きく開花する。第一次世界大戦でドイツ軍のUボートで次々に船を沈められたイギリスとアメリカは、一刻も早く手当てする必要に迫られていた。直吉はすでに買収していた播磨造船所と鳥羽造船所に加えて、川崎造船所や三菱造船にも自らが仕入れていた鋼材を使って船舶を発注、船価が二十倍近くに跳ね上がり、莫大な利益が鈴木商店にもたらされた。
日本中が戦争景気に沸き立つ中、攻めの一手で急成長した鈴木商店。1917年(大正六)年の年商は、当時の日本のGNP(国民総生産)の一割に匹敵する15億4000万円、三井物産の10億9500万円を抜いて日本最大の商社になった。直吉が入った当時は20人ほどだった従業員数は、ピーク時には本社や直系事業所などに3000人、系列の企業集団65社に2万5000人を擁するまでになる。
イギリスの海軍大臣で、後に首相となるウィンストン・チャーチルをして「カイゼル(ドイツの皇帝)を商人にしたような男」と言わしめた金子直吉。店の舵取りを任されてから20年あまり、金子直吉を鈴木商店は絶頂期を迎えていたのである。
そんな鈴木商店は、そのわずか10年後の1927年に経営破綻してしまうのです。
第一次世界大戦後の戦後恐慌で、造船事業が低迷してしまったのをきっかけに、打つ手がすべて裏目に出てしまいました。
しかしながら、「鈴木商店」の本体は破綻しても、金子直吉さんの「遺産」は、受け継がれていったのです。
経営破綻によって解体された鈴木商店だが、傘下企業の多くは瞬く間に自主再建を果たす。神戸製鋼、帝人、日商(現双日)、豊年製油(現J-オイルミルズ)、日本製粉など、鈴木商店が生み出した数多くの企業が、今も大海原を疾走している。
金子さんは、個人的な蓄財には、あまり興味がなく、家は「社宅」で、差し押さえられるほどの資産もなかったのだとか。
株式売買で大成功した岩本栄之助さんは、現在の貨幣価値では数十億円のもの寄付をして、そのお金で大阪市中央公会堂が建てられました。
岩本さんはその寄付からわずか5年で全財産を失って自殺してしまうのですが、大阪市中央公会堂は現在も遺されています。
彼らの「転落」には、独善性とか、自分の成功体験に縛られすぎて、時代の変化に適応できなかったとか、「拡大」は得意だったけれど、「維持や守勢に移行する」タイミングを誤ったとか、さまざまな「理由」があったのです。それぞれ共通しているところもあるし、その人の「個性」がうかがわれるところもあります。
ただ、これだけのスケールの「転落」をした人はそれぞれ、後世に何らかの「遺産」というか「教訓」を残している、とも言えそうです。
ポール・ゴーギャンの人生を「脱サラに失敗した証券マン」というのは、さすがにちょっと違うんじゃないか、とは思うんですけどね。
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