血のつながらない親たちをたらい回しにさせられ、名字を4回も変えた森宮優子(永野芽郁)。いまは義父・森宮さん(田中圭)と二人暮らしをする彼女は、不安ばかりな将来のこと、うまくいかない恋や友人たちとの関係に悩みながら、卒業式で弾く「旅立ちの日に」のピアノの特訓に打ち込んでいた。やがて彼女の人生と運命は、かつて深い愛情を注いでいた娘みぃたんを残して姿を消した女性・梨花(石原さとみ)と不思議な形でつながる。
2021年15作めの映画館での鑑賞。
観客は20人くらい。週末のレイトショーで観ました。
優子「どうなってるの!」
優子ちゃん、それは僕のセリフです。2時間微妙な「家族愛?」のドラマを見せられた挙句、あまりに唐突な展開で、「さすがにその設定は無理がありすぎるだろ、何この茶番……」と苦笑してしまいました。
ああ、そういえば、原作も「こんな『いい人』ばっかり出てくる話は、僕は苦手」だったのを思い出しました。
ただ、この映画の場合は、とにかくキャストに救われているところがあって、ナマの人間が演じている姿をみると、なんとなく受け入れてしまうところはあるんですよね。
『世界の中心で、愛をさけぶ』とか、小説を読んだときには、「なぜいま、こんなアナクロな難病恋愛小説が大ベストセラーになるんだ???」という感じだったのですが、長澤まさみさんがヒロインを演じているのをみると、グッとくるものがありましたし。
この映画、優子役の永野芽郁さん、森宮さん役の田中圭さん、そして、梨花役の石原さとみさんというキャスティングが素晴らしいのです。
とくに梨花という女性の行動には、終始ムカムカしっぱなしだった僕が、なんとか最後まで見届けられたのも、「石原さとみという役者さんの憎めないところ」が、なんとか踏みとどまらせてくれたおかげではあります。
そして、この映画をみると、自分と家族の関係について、考えずにはいられなくなるのです。
僕はやっぱり、「幼い子どもに重要なことを決めさせようとする親」をみると、「それは子どもの意思を尊重しているわけじゃなくて、大人の責任逃れだろう!」と言いたくなりますし、あの親の行動を「すべて子どものためだった」というのは、どんな背景があったにせよ、「さすがにそれは好意的に見すぎだし、あれは『ひどい毒親』だろう」と思います。
親というのは、多かれ少なかれ「毒親成分」を持っているものだとは実感せざるをえないんですけどね。
いやしかし、優子は「いい子」ではあるけれど、あんな人生を送ってきて、それでも「いい子」でいられるのか?「家族の再生産」というものに疑いを持たないのか?と言いたくはなるんですよ。
血縁関係がない親たちとずっと生活してきたため、かえって「血の呪い」みたいなものを回避できたのだとしても。
しかしまあ、それはそれとして、永野芽郁さんはとにかく「感じがいい」し、高校生から社会人になったときの佇まいの変化には「さすが女優!」みたいな感慨もあったのです。
「いかにも田中圭がやりそうな役」を、期待通りに演じてくれる田中圭さんの安定感。
そして、「石原さとみだから許せる」というチートな展開の数々。
あと、この映画を観ていて、久しぶりにショパンを聴きたくなりました。
中学生の頃、教育実習で来た女性が音楽科に在籍しているということで、音楽の時間に自己紹介代わりにピアノを弾いてくれたんですよ。ショパンの『革命』を。おとなしそうな年上の女性が、ピアノに向かうと、あの激しい旋律をすごい指使いで奏でていく光景は、今でも忘れられないのです。
どんなに人生に対して斜に構えていて、ふだんは音楽の時間に声を出して歌うなんてありえない!という中学生たちも、ナマのショパンを目の前で演奏されると、こんなに拍手してしまうものなのだな、と感心もしたものです。
感想のなかで、こういう脱線系の文章を長々と書いているときは、大概、作品そのものの感想が書きにくいかネタバレを避けつつ分量を稼ごうとしているかのどちらかというのは、長年このサイトにお付き合いいただいている皆様は察知されているのではないかと。
いやほんと、すすり泣く声とかが劇場内から聞こえてくるのですが、僕は「これ、どこをどう解釈したら感動したり泣いたりできるんだ……」と聞いてみたかった。
そもそも、高校時代に『LINEだってあるし』という世代なら、子どもの頃にだって電子メールはあっただろうし、少なくとも国際電話はできたはず。むしろ一時帰国くらいしろよ。アントニオ猪木が一家でブラジルに移住した時代じゃあるまいし。
誰か忘れてしまったけれど、ある人がスタジオジブリの作品について、「ストーリーはいろいろ破綻しているのだけれど、ジブリ作品には、魔女のキキが空を飛ぶシーンや、雨のなかにたたずむトトロ、ハウルの城が動くところなど、「すごく観客の心に残る場面が必ずあって、それが観客をひきつける」と書いていたのを思い出したんですよね。
この映画版『そして、バトンは渡された』も、ストーリーの辻褄は合わないしリアリティも乏しいけれど、「感動のツボをグイグイ押してくるようなシーン」だけが、大洋に浮か島々のように点在していて、観ている側は「なんだか感動的な気分」になってしまうのだと思われます。
観客にとっては、自分の「家族の思い出」とシンクロしやすい場面も多いでしょうし。
この映画で「泣ける」ひとは、きっとこれまでの人生で「家族」というものに恵まれていたんだろうなあ、という気はします。
さて、これは「家族愛の物語」なのか「毒親にふりまわされた人間の『人格と一体化してしまったトラウマ』を描いたドラマ」なのか。
あれだけの長さの原作を心の機微みたいなものを詳しく描く時間もなく、2時間20分にまとめてしまった結果としては、少なからず観客を泣かせているだけでもたいしたものなのかもしれませんが。
この映画で「何の違和感もなく感動できる」人と、僕は友達にはなれそうにありません。
まあ、向こうも僕となんか友達になりたくはないでしょうけど。
こちらは小説版の感想なのですが、読み返してみると、「2年半前の僕、けっこう、いいところを見つける感想を書くのが上手かったんだな」と感心してしまいました。原作はよかったのか、僕が年を取ったのか……