Kindle版もあります。
内容紹介
動乱の源に宗教あり。最強コンビが世界の肝となる宗教を全方位から分析する!
いま、そこに危機はある。本当に怖いものは習俗の皮を被ってやってくるのだ。各国で起きるテロや、EUやアメリカで生じる排外主義・外国人嫌悪(ゼノフォビア)、めまぐるしく変転する中東情勢など。
世界各地で民族・宗教といった、冷戦後には“古い”とされた問題が噴出し続けている。
私たちの現実社会に影響を与えている「宗教思想」といかに向き合うかは、避けては通れない時代になったのだ。
習俗の皮を被ってやってくるものにこそ、目を凝らさなくてはいけない。原理主義が現代日本で広まることは十二分に考えられる情勢だ。
世界に大きな影響を与え続ける宗教を、資本主義、暴力、生命、国家から語りつくす!私たちがいま、どこにいるかを知るのが教養である。
宗教の現在地を抑え、いまどこに私たちは立っているかをつかむ濃厚対談!※本書は『宗教と資本主義・国家』『宗教と暴力』『宗教と生命』(いずれもKADOKAWA)各巻の「第一部」に、新章と書きおろし原稿を加え、再構成したものです。
最近けっこう頻繁に出ているような気がする、池上彰さんと佐藤優さんの対談本。この本を読んでいると、お二人は「仕事仲間」であるのと同時に、プライベートなことも相談できる関係みたいです。
今回の対談のテーマは「宗教」なのですが、池上さんは、「まえがき」で、「宗教は人々の幸せを願うものなのに」と嘆く人たちに、歴史上のさまざまな宗教戦争を例示して、「宗教に暴力はつきものではないか」と問いかけているのです。
池上彰:そもそもテロリズムについて考えてみると、最近に限ってテロが多いのかといえば、そうではありません。昔からたくさん起きていました。例えば東西冷戦のさなか、まだ社会主義という言葉が結構輝いていて、社会主義の先にあるはずの共産主義に明るい未来を見ていた時代には、共産主義をめざす勢力によるテロが起きていました。そのように、テロは今に始まったわけではないことを踏まえると、現在起きているのは、「イスラムの過激化」ではなく、「過激派のイスラム化」ということではないかと思います。
いつの時代にもいた過激派が、今は「イスラム」という形をとって現れている、ということです。昔の過激派は例えば世界共産主義という大義に身を投じました。その大義のためならば、自分を犠牲にしても構わないという人たちがいました。現代はその大義がイスラムによる世界の統一だ、ということになっているようにも思うのです。
佐藤優:確かに、一方で「イスラムの過激化」があると同時に、「過激派のイスラム化」というものがあると思います。
「過激派のイスラム化」が起きている国としては、日本も例外ではありません。1億2700万人ほどの人口があれば、中には暴力によって権力を奪取し、国を変えたほうがいいと考える人が1000人や2000人いたとしても、全くおかしくありません。さらにその中から、イスラム的なイメージを使いながら「一挙に世の中を変えてやろう!」と考える人が出てきても、おかしくはありません。
今の世の中では、「宗教がテロをもたらしている」というよりも、「世界を変えたい人が、宗教を利用している」という面も少なからずあるのです。
もう、共産主義革命を主張しても、魅力を感じる人は少ないでしょうし。
佐藤優:先般、イスラエルのテルアビブ市近郊にあるヘルツェリアというところへ生きました。ここにある国際カウンターテロリズム政策研究所の創設者で、今も有力なメンバーであるボアズ・ガノールさんと話をしました。彼は「最近は過激派テロのイスラム系のメンター(思想的な指導者)と精神科医がペアを組んでいる」といいます。
「え! どういうことですか?」と尋ねると、イスラム系メンターが自殺志願者を探している、という。失恋でも健康不安でも失業でも借金でも理由は何でも構わない。とにかく強く自殺を希望している人を相手に、例えば次のように説得すると、かなりの確率で成功するというのです。
「おまえ死ぬんだって? 惨めで虫けらのような人生だったな。おまえのことなんか誰も覚えちゃいないぜ。しかしな、おまえが命を捨てる決断をしていることは偉大なんだ。ジハード(聖戦)に加わらないか? そしてシャヒード(殉教者)になるんだ。そうすれば、おまえは永遠に生きることができる」
これは世界的な傾向になっているということで、無視できる話ではありません。ですから、自殺志願者対策がテロ対策のミクロな側面で重要になっている、ということは大いにあると思います。
日本でも、さまざまな形で、自殺志願者(あるいは、死刑になりたい、という人)によるテロリズムが起こっています。その理由のひとつとして、「生まれてきた人は、みんな『自分らしく』生き、何かを成し遂げなければならない」というプレッシャーもあるのではないか、と僕は思うのです。
その「何か」が、犯罪だったりテロになってしまう不幸な事例に対して、われわれはどうすればいいのか?
「宗教」に対しては、オウム真理教事件の影響もあり、「危険なもの」という意識を多くの人が持っているのですが、「インフルエンサー信仰」や「拝金主義」は、「宗教的」になりうるにもかかわらず、「宗教じゃないから」とリスクが低く見積もられがちです。
そもそも、現在の世界がそんなに「宗教的」になっているかというと、必ずしもそうではないのです。
池上さんは、北部ヨーロッパでは教会に定期的に行く人がどんどん減っており、数千人が礼拝できる教会に、普段の礼拝では高齢者ばかり数十人しか来なくなっているところも多い、と述べています。「教会税」を払わなくてすむように「キリスト教徒をやめました」という人も増えてきているそうです。
佐藤:近代以降の世界で、宗教を聖域として残そうとするのはかなり無理な、アナクロ的な試みだと言えます。宗教のアナクロな側面はだんだん生き残らなくなるでしょう。
池上:そうした点で言えば、たとえばフランスでは事実婚が増えています。カトリックでは、教会で正式に結婚してしまうと離婚できないからです。
本当に敬虔なカトリック信者であれば、やはり神のもとで永遠の愛を誓わなければいけないはずです。だからこそ、というか、教会で結婚式を挙げると絶対に離婚できないから、それをせず事実婚にするわけです。いつでも別れられるように、と。これもカトリックにおける、ある種の世俗化です。
フランスではいま、事実婚で生まれた子どもの割合が五割を超えました。半分以上が事実婚のカップルから生まれている。しかも事実婚であっても、支給される児童手当はまったく同額です。自由恋愛や個人主義という話以前の、そもそもの地点で宗教の世俗化が影響しているのかもしれません。
ただ、そのヨーロッパにしても、「外部」のイスラム教世界に接すると、「自分たちはキリスト教を信じている集団なのだ」と自覚し、異物を拒絶しがちなのです。
佐藤優:私もある意味では、革命に非常に憧れを持っていました。同志社大学神学部の大学院で研究していたのもチェコのヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889〜1969)という、社会主義革命には肯定的な神学者でした。だから外務省には、別に特に外交官になりたいという思いからではなく「チェコに行ければいいな」といった気持ちから、あるいは「革命ってやっぱり必要だよね」との思いから入ったのです。
しかし、そういう思いがガタガタと崩れたのが、ソ連に赴任してからです。
池上:ソ連の現実を見てしまった。
佐藤:ソ連の現実を見て、これほど人々がイデオロギーを信じていない国はない、と思いました。ソ連の共産党国際部の連中が一番不思議に感じていたのは、日本共産党でしたよ。「われわれの信じていないマルクス・レーニン主義を本気で信じているようだ。いったいどうなっているのだ」といっていました。マルクス主義の論理その他のことで、日本共産党はソ連共産党と真剣に喧嘩をするので、バカにはしていませんでしたが。
連中が最もバカにしていた日本の政党は、むしろ社会党左派です。私も非常に縁のあった社会主義協会(1951年に創立された社会主義理論研究集団)です。社会党の一部の人々が、貿易操作などでセミナー費用等の政治資金をソ連から結構取っていたからです。これには私も愕然としました。そういった文書は全部丁寧に取ってあり、ソ連共産主義が崩壊したときに出てきて、私はそれを見たのです。ソ連は日本の外務省や内閣府のように、自分たちに都合の悪い文書でも始末しません。
こういう裏話を読めるのが、お二人の対談の面白いところではあるのです。
主義とか宗教なんていうのは、その集団の内側からみると、けっこうこういうものなのかもしれませんね。
それでも、自分の心が弱っているときには、何かを信じたり、頼りたくなってしまいますよね。
あまり他者に迷惑をかけないものを信じることができれば良いのだろうけど。