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祝! M-1グランプリ2021優勝! ! !
長谷川雅紀さんは史上初の50代優勝!
渡辺隆さんは史上初の40代優勝!そしてこちらは「まさかの自叙伝」!
「遅咲きの反逆中年」がブレイクまでの全てを明かす!「戦国時代だったら生きてない」「人生折り返し地点からの大逆転」49歳と42歳でブレイクした「若くない若手」漫才師・錦鯉。「第7世代の親世代」は今日も八面六臂の大活躍。もちろん、ここまでの道のりは山あり谷あり嵐あり……。生い立ちから苦難の下積み時代を経て、大ブレイクまでを初めて明かす大爆笑自叙伝!
1971年生まれの長谷川雅紀さんと1978年生まれの渡辺隆さんのコンビ『錦鯉』。
お笑い番組を精神集中して観るのは『M-1』くらい、という僕にとっては、2020年に決勝に初出場した錦鯉は、ちょっと「驚き」だったのです。
えっ、令和の時代に、こんな「昭和っぽい」漫才をやる人たちが『M-1』の決勝に?しかも、万人ウケするとは思えないパチンコネタ?そもそも、この長谷川さんという「バカそうな人をバカにして笑う」のって、今の時代に「あり」なの?
まあ、おじさんおじさんってみんな言うけどさ、僕は長谷川さんと同じくらいの年齢だし、渡辺さんはずっと若いんだよね。
そもそも、タモリさんもビートたけしさんも、もう70代だし、ダウンタウンの松本人志さんだって、もうすぐ還暦なんだよなあ。
同級生としては、反射神経とか記憶力が求められる、漫才のガチンコ勝負の舞台で、50歳でも勝負できるんだなあ、と感心もしたのです。
「世の中の平均的な50歳は、長谷川さんほど見た目が老けてはない……はず」と言いたくもなりましたが。
その翌年、2021年に、錦鯉がM-1で優勝するとは思わなかった。
彗星のように現れた「特殊キャラ」は、1年で消費され尽くし、インパクトも薄れがちですし。
2021年は、最終決戦に残った3組が、いずれもちょっと微妙(というか、いまひとつ)の印象で、最後は「今、優勝させてあげたいコンビに投票する」審査員が多かったというか、錦鯉の「応援してあげたくなる感じ」が結果につながったのではないかと思うのです。
オズワルドなら、また来年もいいところまで登ってくるだろうし、みたいなのもあって。
この本、そんな錦鯉が、2020年にM-1決勝に出てブレイクした後、2021年にM-1王者になる前に上梓されたものです。
「錦鯉になるまで」の長谷川さん、渡辺さんそれぞれの遍歴が二人の掛け合い漫才風に書かれています。
長谷川さんの若かりし頃の「クズエピソード」の数々には、「ああ、一昔前の『芸人』って、みんなこんな感じだったよなあ」と、ちょっと懐かしくなったのです。
長谷川雅紀:弟のパソコンを質屋に入れた時は、携帯の電話代が未納でさ。払わないと解約するという通知がきちゃったんだ。それで焦って焦って……もちろんお金はないし、借りられる人はいないし。
渡辺隆:お母さんには、すでに何度もお金をもらっているから、頼めなかったんだよね。
長谷川:そうそう。それで、どうにかしてお金を作らないといけないと思って、弟のパソコンをお金に換えようと思ったんだ。
渡辺:そこが分かんないよ。パソコンってデスクトップでしょ。
長谷川:うん。
渡辺:そんな大きいものがなくなったら、すぐにバレるじゃん。後のこととか考えなかったの?
長谷川:細かいことは考えないんだよね。
渡辺:怒られることを覚悟のうえで、というわけでもない?
長谷川:そうなんだよね。それで質屋に持って行って、3万円もらって、電話代払って、よかったと思って家に帰って、テレビ観てた。
渡辺:大丈夫だと思っていたんだ?
長谷川:でも、弟が帰ってきてすぐに気づいてさ。
渡辺:当たり前だよ!
長谷川:「あれ、パソコンがない。どうしたの?」って。その場で質屋に持って行ったと言ったら怒られると思ったから「友だちに貸した」と言ったんだ。
渡辺:3か月で結果を出すといって、東京に出てきたんでしょう。
長谷川:そうだよ! 絶対に芸人になるんだ! と毎日心の中で言いながら、のめり込んだよ。
渡辺:何に?
長谷川:パチスロ!
渡辺:なんだそれ! ダメだろ。やっぱり「鈍感力」が突き抜けてるよ。
長谷川:あまりにもハマりすぎて、バイト以外の時間はほとんどパチスロをやっていた。久保田くんが彼女と帰省中に二人の口座から、貯めていた40万円を勝手に引き出して、全部スッちゃったことがあってね。
今、こうして錦鯉が大ブレイクしているから、「長谷川さんって、昔から本当に『どうしようもない人』だったんだなあ!」なんて半ば笑いながら読めるのですが、もしこれで売れていなかったら、「周りに迷惑ばかりかけている、計画性のかけらもないクズ」ですよね。
ただ、そういう人たちが、一発逆転を狙えるのが「芸人」とか「芸能人」みたいな時代があったのも確かではあるのです。錦鯉の人気には、昔気質の芸人への郷愁、もあるのではないかなあ。やたらカッコよくて知性的、若い女性に人気、という完璧超人のような芸人ばかりになると、それはそれで寂しいというか、物足りない気はするのです。
渡辺さんは、『桜前線』というコンビで、現在の事務所に入ったのですが、事務所のライブではウケるのに、当時の若手の登竜門だったNHKの『爆笑オンエアバトル』では、まったく結果を出せない、という状況が続いたそうです。その中で、渡辺さんは「オレが思っていること=面白いこと」がうまくお客さんに伝わっていない、もっと分かりやすくしないとダメだ」と気づいたのです。
長谷川:ボケやツッコミのワードとか、間も大事なんだけど、まずウケない人に共通しているのは「伝わっていない」ということなんだよね。後輩のネタを見ていても、面白いことやっているんだけど、お客さんはまったく笑わない。つまり、伝わっていない。ボケやツッコミにほんの一言そえるだけだったり、言う順番だったり、あるいは主語が抜けているとか、そうしたところを見直せば、お客さんには伝わるよね。
渡辺:あと、「ウケてない」と「スベってる」の違いも学んだな。ウケていない、というのは伝わっていないだけで、面白いことをやってはいるんだよね。でも、スベっているヤツは本当につまらない。ここをはき違えないようにしようと思ったな。「ウケてない」と「スベってる」は違う。
長谷川:事務所のライブで一番下に落ちた時、自分は才能ないんだなと物凄く落ち込んだんだけど、ここで基本の大切さに気づいたんだ。当時はコントをやっていたんだけど、お客さんに伝わらない、分かりにくいネタをずっとやっていたんだ。それで、漫才をやろうと。基本に忠実に、フッて、ボケて、ツッコむようにして。
渡辺:それで『オンバト』にも出演するようになったんだね。
この「気づき」は、伝えることを生業にしている人にとっては、参考になるはずです。
「こんなに面白いのに、良いことを言っているはずなのに、なんでわかってくれないんだ?」と相手のせいにする前に、まず、「伝えるためにわかりやすくする」ことが大切なのです。
僕自身は、最近の映画とか小説を読むと「わかりやすくしすぎている」「説明過多で煩わしい」と感じることも多いんですよ。
でも、それは、「伝えたい側」が、自分の思い込みやプライドを捨てて歩み寄った結果なのかもしれません。
確かに、M-1決勝で観た錦鯉の漫才は、他の「新しい漫才」に比べて、古めかしかったけれど、すごく「わかりやすかった」。
みんなが「斬新さ」「よりニッチなネタ」を追い求めていき、ストライクゾーンのど真ん中がポッカリ空いていたところに、錦鯉は渾身のストレートを投げ込んできたのです。
僕は渡辺隆さんのことが、ものすごく気になるのです。
長谷川さんのキャラクターが強烈であるがゆえに、なおさら。
この本でも、渡辺さんは、「長谷川雅紀の面白さを、なんとかして世の中に知らしめたい」と何度も仰っています。
徹頭徹尾参謀役、みたいな人なんですよ。
渡辺:オレはまったく結婚なんて考えていない。孤独死でもいいと思っている。この12年、彼女はいないし、作ろうと思ったこともないな。出会いもないしね。このままでいいやと思ってる。
渡辺:ただね、よくオレたちのことを「中年の星」とか、同世代の辛いオジサンたちに勇気を与えた、という紹介のされ方をするんだけど、それは逆の気がするんだよね。会社とか商店でたとえると、いっぱい繁盛している店の中で、オレらは潰れた店なんだよ。繁盛店の中に潰れた店が紛れ込んでいて、それが妙に目立つから面白がられているだけなんだ。だから、オレらから勇気や元気をもらっているというのは違うと思う。テレビ出演をいくつもこなし、場数を踏んでいるならいいけど、そうじゃないオレらが、経験豊富な若手の中に放り込まれて辱められている。そんなオッサンでもよければ見てよ、という気持ちが強い。オレらはお笑いの世界だから成立するけど、世間の人たちには反面教師にしてもらわないと。元気をもらうのはいいけど、マネをしちゃだめだ、と。
渡辺さんからは、長谷川さんを世に出すという使命感とかお笑いへの探究心とともに、なんというか、自分自身や世界を俯瞰している、突き放して見ているような「諦め、のようなもの」が伝わってくるのです。もちろん、完全に投げ出してしまっているのであれば、芸人として活躍したり、M-1で上位に進出したりはできないと思うんですよ。
売れてモテたいとか良い車に乗って豪邸を建てたいとか、そんなのはどうでもよくて、ただ、自分の「笑い」を認めさせたい。
そして、「お笑いが世の中の全てじゃないけれど」と、少し俯いてしまう。
売れているはずなのに、なぜかずっと、心はくすぶっている。
世代が近いというだけで、僕が勝手にいろいろ投影しているだけなのかもしれませんが、ステージでの錦鯉に、いつも思うのです。
「ああ、僕はこういう漫才、漫才師を見たかったんだな」って。