【読書感想】教育格差の経済学: 何が子どもの将来を決めるのか ☆☆☆ - 琥珀色の戯言

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【読書感想】教育格差の経済学: 何が子どもの将来を決めるのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

いったい何が教育格差を生み出しているのか。親の所得の影響、保育園と幼稚園の差、遺伝と環境の関係、塾や習い事の効果などを、格差研究の第一人者がコストとリターンの観点から徹底分析。0歳から小・中学校期を中心に、子どもの将来を決める決定的要素を、豊富なデータに基づいて読み解く。公教育で格差を乗り越える方法や、格差社会・学歴社会の行方についても考察。


 1970年代前半生まれ、団塊ジュニア世代の僕自身は、九州のそんなに大きくない地方都市で生活していたこともあって、小学校や中学校の受験には縁がありませんでした。 
 塾に行きはじめたのも、中学校で成績が伸び悩んでいたからだったと記憶しています。
 
 地方の公立の小中学校に通ってきた立場からすると、世の中にはいろんな人(子ども)がいる、というのがわかって、良い経験になった、と大人になってからは思うのです。
 でも、通っている当時は、不良に危ない目にあわされたり、イジメがあったりしして、学級内のいちばん小さなインドア系オタクグループで、細々と生き延びている、というのが実感ではありました。

 自分が親になって、子どもの進路について考えるとき、「世間を知る」ために、あえて公立の学校に入れるというのは、「リスクの割にメリットが少ないのではないか」と考えました。それが正しいのかどうかはわからないんですけどね。
 大人になってみると、なんのかんの言っても公務員や士業や医者というような仕事の顧客は「普通の人たち」ではありますし。
 医者の仕事をしていると、「なんでこの人はこんな荒れた生活をしていたり、自分の病気のことでこちらを脅すようなことを言ってくるんだ?」というカルチャーショックを受けることばかりでした。
 ただ、「そういう現実」に子どもの頃から向き合うのが正しいのかどうかは、人それぞれ、ではあるでしょう。

 子どもの知的好奇心を伸ばす、という意味では、周りがみんな「勉強すること」に前向きな進学校のほうが良いのではないか、とも思うのです。
 僕が通っていた学校では、成績が良いと「ガリ勉」みたいなイメージを持たれ、敬して遠ざける」みたいなところがありましたし。


 この本の著者は「格差」の研究の日本の第一人者とされている人で、いまの日本での「教育格差」の現状の解説と、格差是正の方法についての検討を行っています。

 著者は、まず、日本の子どもの貧困率(所得が中位所得の人の50%に満たない人(=貧困者)が社会全体のなかで何%いるか、という数値)が、かなり高いことを紹介しています。

 表を見ると、日本の子どもの貧困率は16%近くに達している(OECD加盟国の平均は13%台で、G7(日米英仏伊独加)の平均は14%台)。注意しなければならないのは、貧困率の非常に高いイスラエル、トルコ、メキシコ、チリといった国々は準先進国であり、日本やアメリカ、ヨーロッパといった先進国ではないことである。先進国だけに注目すれば、日本は6番目に高い。


 ちなみに、貧困率が低いベストスリーは、1位デンマーク(3.7%)、2位フィンランド(3.9%)、3位ノルウェー(5.1%)で、アメリカは日本より高い21.2%でした。

 「一億総中流」なんて言われていたのは昔の話で、日本はすでに世界の中でも格差が大きな社会になっているのです。

 そして、親の年収が高いほど、あるいは学歴が良いほど、子どもの成績も良くなる、というデータも紹介されています。
 親の年収が高いほど「教育にかけているお金」が高くなっており、塾や家庭教師などの影響の大きさも示されています。
 
 著者は、このような「教育格差」について、日本人の意識が変わってきていることを示しているのです。

「親の多くが自らの子どもに対して、学校の成績はよくなくてよい、高い地位や収入を得られるようにならなくてよいと考えているのは、日本の特色とみなしてよい」と少し前で述べた。
 繰り返しになるが、これまで日本では親の状況によって子どもの教育に格差が生じるのは、機会の平等に反するという考え方が強かった。そのことはアメリカと比較するとまだ劣るものの、曲がりなりにも奨学金制度が準備されていて、所得の低い親の子弟でも、より高い教育を受けられるように、と社会的な配慮がなされていることからもわかる。
 少なくとも、本人の責任ではない条件によって発生する教育格差は排除すべし、というのが教育における機会の平等(均等)の精神であり、多くの人がそれを認めていたのである。
 ところが、である、そのように広く支持のあった教育における機会平等に対して、黄信号が灯る時代がやってきている。どういうことかと言えば、所得の高い親の子弟は高い教育を受けて当然であり、逆に所得の低い親の子弟は低い教育に甘んじるのもやむをえない、と思う人が増加しているのである。
 図1‐6を見ていただきたい。この図は学校教育の格差に関する、保護者(すなわち親)の見方を示したものである。質問は「所得の多い家庭の子どものほうがよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか」という単刀直入の問いであり、本章での問題意識に合致している。
 2018年時点では、「当然だ」と回答した人が9.7%、「やむをえない」と回答した人が52.6%で、その合計は62.3%であった。日本人の親の過半数が、教育格差はあってよい、あるいは教育における機会平等は達成されなくてよい/やむをえない、と判断していることになる。
 ここで重要な情報は、2004年時点でそう考えている人は46.4%であり、その後の14年間で15.9%も増加したことである。教育における格差を容認する人が、かなりの勢いで増加しているのである。
 掲載はしていないが、この調査では次の二つの気がかりな事実についても報告している。第一に、経済的にゆとりのある人、父母ともに大学卒で大都会に住んでいる人などが、教育格差容認と回答している人の多数派であったことである。
 逆に経済的にゆとりのない人や、父母ともに非大学卒で中小規模の市・町・村に住んでいる人などは、教育格差は問題であると回答していた。自分の境遇に恵まれている人ほど格差を気にせず、恵まれていない人ほど気にするとも解釈できるので、当然の結果かもしれない。
 だが次の第二の事実はどうか。それは「今後の日本社会はどのように変化すると思うか」という質問、具体的には「貧富の格差が拡大するか」という問いに対して、「とてもそう思う」「まあそう思う」の合計が85.0%に達していることである。つまり、日本では今後も格差社会が進行すると予想する人が圧倒的に多いのである。


 たしかに、僕が子どもの頃、20世紀の終わりくらいの時期は、本音はさておき、建前としては、「小さな子どもたちはみんな同じレベルの教育を受けるべき」だとされていたと思うのです。
 ところが、現実に広がる格差の前に、そんな建前は失われてしまった。
 「持っている側」からすれば、子どもにより良い教育を受けさせることができるお金も方法もあるのに、あえてみんなと横並びにする必要はないのです。
「自分の子どものため」となると、他者に配慮しての建前よりも「少しでも幸せにしてあげたい」と思いますしね。まあ、受験戦争で不幸になる子どもや親もいるわけなので、一概に教育熱心であればあるほど良い、というわけでもなさそうですが。

 著者は、このような「親の資産や学歴による子供の教育格差」を是正するためには、公教育の見直しをして、塾に頼らなくても良い仕組みづくりが望ましいのではないか、と述べています。

 小学6年生に対して、2015年に行われた「全国学力テスト」では、秋田県福井県青森県がトップスリーを占めましたが、この3県、とくに秋田県は通塾率が最低で、福井、青森も通塾率が低い県だったのです。

 なぜ秋田、石川、福井の三県は、通塾率がかなり低いのにもかかわらず、トップレベルの学力を維持しているのであろうか。もっとも単純で明確な理由は、学校教育がしっかりしており、しかも塾ではなく家庭で勉強しているから、というものである。
 もう少し詳しく知るために、太田(2009)、志水・前場(2014)、橘木(2017a)に記述されていることを簡単にまとめてみよう。
 まずこれらの県では、学校の校長・教員、保護者、役所、市民一般が、教育の大切さをよく認識しており、学校教育の充実のために制度上必要な経済的支援を行う風潮が強い。したがって私立学校よりも公立学校が多いし、質も一般的に公立校のほうが高くなる。
 次に生徒も親も、学校に対する信頼を大都会より強くもっており、先生の教えや言うことをよく聞きながら従う傾向がある。塾の数が少ないことがその理由の一つになっており、学校の先生も研修会などを通じて教育方針をよくする努力を重ねている。もう少し具体的に言えば、生徒間や先生を交えたグループ討論を中心にした教育方針を積極的に取り入れている。
 さらに家庭においても、親は勉強を教えるのに熱心であり、子どもがよく勉強できるような雰囲気づくりに努めている。ここにも塾頼みの大都会と異なる姿がある。また学校から、家庭で勉強をさせるための宿題が数多く出される。地方には、大都会のような有名私立大学は少ないため、子ども、親、学校ともに国公立大学志向が強い。そして、国公立大学の入学試験を突破するには、子ども、親、学校ともに、早いうちからの勉強が大切なことを認識している。こうして学校教育を中心とした勉強への熱心さが保たれているのである。


 地域の子どもたちの学習への意識が高く、学校や家庭が積極的に関わっていけば、塾に行かなくても、子どもたちの成績を上げることは可能なのです。これらの地域では、優秀な子どもたちが、結局は都会の有名大学に出ていってしまう、という問題もあるそうですが。

「教育格差」は必然なのか、それとも、「改善できる(すべき)もの」なのか?

 親の立場としては、できることはしてやりたい」と思うからこそ、「平等」を実現するのは難しい面もありますよね。


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