あらすじ
神話の時代に生息していた怪獣のモスラ、ラドン、キングギドラが復活する。彼らとゴジラとの戦いを食い止め世界の破滅を防ごうと、生物学者の芹沢(渡辺謙)やヴィヴィアン(サリー・ホーキンス)、考古人類学者のアイリーン(チャン・ツィイー)らが所属する、未確認生物特務機関モナークが動き出す。
2019年、映画館での11作目。
平日の朝の回で、観客は30人くらいでした。
前作、ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』の感想はこちらです。
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ゴジラだけでなく、キングギドラにモスラにラドンも登場し、怪獣祭り、という感じの映画でした。
でも、正直なところ、「ゴジラもキングギドラもそれなりに強いし迫力もあるのだけれど、何か物足りない」とずっと感じていたというか、主人公一家の行動に、ずっとイライラしっぱなしの2時間あまりだったのです。
というか、『モナーク』って、かえって事態を悪くしているというか、人類に被害を与えているのでは……
「自然を破壊する人間を駆除してやる!」というのは、最近の悪役の行動規範としては、けっこう「古い」ような感じがするのだよなあ。その理由として、大事な人の死があるとはいえ、「これはさすがに共感しかねる」としか言いようがなくて。
ハリウッド映画にありがちな、「自分の家族は命がけで助けようとするし、大事にするのだけれど、他人が怪獣のおかげで何人死んでもお構いなし、目的のためには必要な犠牲!」とかいう登場人物には、「家族愛」というより、「なんて身勝手な奴らなんだ……」という憤りしか感じないのです。
作中でも最後のほうは、「この人をどうしようか……」と制作側も迷っていたようにみえました。
大切な人を失ってしまったことに、なんらかの「大きな理由」を求めて迷走してしまう、ということは、珍しいことではないのだろうけど、さすがにひどいよねこれは。
あらためて考えてみると、怪獣映画に必要なのは、絶望的に強い怪獣という存在と、それに対する人間の覚悟と勇気を描くことであって、家族ドラマとは相性が悪すぎるのです。
僕はゴジラが観たいのであって、この家族はどうでもいいんだよ、自分たちで問題を起こしておいて自分たちでなんとかしようとしても、そのプロセスで何万人死んだんだよこれ。
……と、フィクションに怒ってもしょうがないのだけれども、そういう意味では、神秘的なまでに強いゴジラと人類を背負った「組織」の戦いを描いて、個々の「家族愛」とかはスルーした『シン・ゴジラ』は、まさに日本のゴジラ映画の系譜にのっとっていたのでしょう。
怪獣たちの「重量感」が伝わってくるのだけれど、今回はキングギドラが強すぎて、他の怪獣の存在感が薄く感じました。
モスラとラドンは、大仰に出てきたわりには……(とくにモスラ)
個人的には、渡辺謙さんの存在感が、この『キング・オブ・モンスターズ』の怪獣映画の伝統、みたいなものを支えていたように感じます。
客観的にみれば、「いやこんな怪獣たちは、さっさと始末してしまったほうがリスクが少ないでしょうに」なのですが、「怪獣愛」だけで生きてきたような芹沢博士の空気を読まない行動やクライマックスでの選択は、「ああ、日本の怪獣映画っぽい!」と頷いてしまうものでした。
渡辺さんは、「ゴジラ」の発音を、アメリカ風に「ガッズィーラ」と指導されたのを拒否して、日本と同じイントネーションで「ゴジラ」と呼び続けたそうです。
芹沢博士はけっこう無茶なことばかりやっているけれど、渡辺謙さんだから許す!と僕は思ってしまうのです。
この映画には、音楽や細かい設定など、日本が生んだ特撮映画『ゴジラ』へのリスペクトが感じられるところも多くて、ところどころでうれしくなるんですよね。
エンドクレジットの最後には、「ゴジラ役者」の中島春雄さんへの献辞があったのをみて、静かに感動してしまったのです。
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