- 作者:中藤 玲
- 発売日: 2021/03/09
- メディア: 新書
Kindle版もあります。
【内容説明】
「日本の初任給はスイスの3分の1以下」、
「日本のディズニーの入園料は、世界でもっとも安い水準」、
「港区の平均所得1200万円はサンフランシスコでは『低所得』」、
「日本の30歳代IT人材の年収はアメリカの半額以下」 ……
ときには、新興国からみても「安い」国となりつつある日本の現状について、
物価、人材、不動産など、さまざまな方面から記者が取材。コロナ禍を経てこのまま少しずつ貧しい国になるしかないのか。脱却の出口はあるか。
取材と調査から現状を伝え、識者の意見にその解決の糸口を探る。2019年末から2020年にかけて日経本紙および電子版で公開され、
SNSで大きな話題をよんだ記事をベースに取材を重ね、大幅加筆のうえ新書化。
「日本の物価は(他国と比較して)高い」と、僕が若い頃はよく言われていたものです。
海外旅行、とくにアジアの国々に行くと、物価が安いので贅沢ができる、とも。
ところが、いつのまにか、日本は「モノやサービスが安い国」になってしまったのです。
「え、これ100円じゃないの?」
2019年、旅先の韓国ソウル。
お土産用にステンレスの韓国食器を大量に買おうと市内のダイソーを訪れたところ、ずらりと並ぶ商品に伸ばした手が止まってしまった。
「いいな」と思う箸やお椀の多くが、3000ウォン(約280円)や5000ウォン(約470円)だったのだ。
日本なら100円で買えそうなのに、ちょっと高い。
そうして買うのをやめた時に、はたと気付いた。
「もしかして、日本の価格が突出して安くなっているのではないか?」
そんな疑問が湧くと、次々と思い出す出来事があった。
タイ・バンコクのショッピングモールで飲んだカフェラテは約700円。洋服だって、期待していたよりも高かった。インド・バンガロールの小ぎれいなホテルは約3万円。日本のような値ごろで清潔なビジネスホテルがなく、「快適さ」という価値を求めるにはそれなりの対価を払う必要があった。
「東京は土地も何でも世界一高い」と言われたのも、今や昔。
あらためて日本の安さを見つめた時、かつてインバウンド(訪日外国人)で染まる家電量販店の幹部がつぶやいた言葉が頭をよぎった。
「彼らは日本が素晴らしいから何度も来ているんじゃない。
お買い得だから来ているんだ」
いまや、東京ディズニーランドは、「世界でいちばん安くなっている」そうです。
タイから来たという20歳代の女性3人組にTDR(東京ディズニーリゾート)を選んだ理由を聞くと、「中国に行くより安いし、それでいて日本はキャストのクオリティーも高いし大満足」と話してくれた。
「近くのホテルを予約しても1人合計約2万円かからなかった。日本はいつもコスパ(コストパフォーマンス)がいい」と笑顔で去って行った。
著者たちが調べた時点(2021年2月中旬の予約価格)では、ディズニーランドの大人1日券(当日券)は、日本(東京)が8200円に対して、アメリカのフロリダ州は1万4500円、カリフォルニアやパリ、香港でも1万円を超えているそうです。日本より狭いといわれる(僕も行ったことがあるのですが、確かにサイズ的には東京の半分くらい、という印象でした)香港でも約8500円だったそうです。
なぜ日本のディズニーランドはこんなに安いのか?
ただし、多くの日本人は、ディズニーランドの入場料8200円を、「最近値上げもされているし、高い。訪れるのはかなり贅沢な自分へのご褒美」だと考えているのです。
中国人の「爆買い」も、僕は「ようやく少しはお金を遣えるようになった東アジアの人々が、ちょっと背伸びをして、質の高い日本の製品を求めてきている」のだと思い込んでいたのですが、彼らは単に「日本で買うとコスパが良い」とみなしているだけなのです。
第一生命経済研究所の永濱利廣・首席エコノミストは「一言で言えば、日本は長いデフレによって、企業が価格転嫁するメカニズムが破壊されたからだ」と指摘する。
製品の値上げができないと企業がもうからず、企業がもうからないと賃金が上がらず、賃金が上がらないと消費が増えず結果的に物価が上がらない──という悪循環が続いているというわけだ。そうして日本の「購買力」が弱まっていった。
デフレが続いた結果、他国では成り立たないような「300円牛丼」や「1000円カット」といった格安のファストフードや理髪店が登場した。これらはまさにデフレが生み出したビジネスモデルであり、価格を上げられないために、人手不足が続いても賃金が上がらない。「新興国はそうならないように日本を反面教師にしている」(永濱氏)
確かに、ネットをみていると、日本の消費者は「コスパ(コストパフォーマンス)」を重視しますよね。もちろん、どこの国だって、良いものが安いに越したことはないだろうけど。
消費者としての「モノやサービスの値段が上がることへの拒絶反応」の強さが、賃金が上がらないことにもつながっているんですね。
企業も、値上げしたくても、これまで値上げしたことで売れなくなった事例をたくさん見てきたので、なかなか踏み切れないのです。
東京大学の渡辺教授はステルス値上げについて調べた際、実際に企業がどういう気持ちで商品を小型化したのかを聞きに行ったことがある。
某コンビニエンスストア大手のおにぎりを開発・製造販売している総菜工場だ。
担当者はいかにおにぎりを小型化してコストを削減しているか、そのための設備投資や包装用紙の改良などを、細かに説明してくれたという。
だが最後に担当者がつぶやいたことが忘れられない。
「僕たち技術開発者は、通常業務が終わったあとに残業までして小さなおにぎりの作り方を試行錯誤している。でも消費者は全然喜ばず、「こっそり小さくしている」とSNSに書かれるんです」
渡辺教授はその際に思った。
「企業や労働者が、誰も報われないことをやっている、悲しいニッポンだ」と。
そして、海外でモノの価格が上がっている大きな理由のひとつは「人件費が上がっていること」なんですよね。
アメリカでは「物価が2%ずつ上がるが、給料は3%ずつ上がっている」そうです。
逆に言えば、日本でモノの価格が上がらないのは、「人件費を上げずに済んでいるから」でもあるのです。
結果的に、物価を上げながら、それ以上に給料も上げてきた諸外国との差は、どんどん開いていきました。
モノやサービスの価格と賃金は密接に結びついている。昭和女子大学の八代尚宏副学長は「日本の賃金はこの30年間全く成長していない」と指摘する。そのため、賃金がどんどん上がるアメリカなどに比べて、日本は相対的にどんどん安くなってしまった。
全労連(全国労働組合総連合)が経済協力開発機構(OECD)などのデータを基にした分析によると、日本で過去最高だった1997年の実質賃金を100とすると、2019年の日本は90.6と減少が続く。海外はアメリカが118、イギリスは129など増加傾向にあるなか、日本だけが減っているのだ。実質賃金とはつまり、物価変動の影響などを除いたものであり、日本の賃金の安さを端的に表している。
また、2019年の平均賃金(年収)を、同年のアメリカドルを基準とした購買力平価(PPP)を使って国際比較した。為替レートよりも各国の購買力の実感に近いものとなる。
するとスイス(6万6567ドル)やアメリカ(6万5836ドル)から大きく開いて日本(3万8617ドル)だった。韓国(4万2285ドル)やイタリア(3万9189ドル)よりも安い。
つまり物価の違いがなくても、日本の賃金は安いのだ。
日本は、「安い賃金で働いている人たちが、安い物価のおかげで、それなりに生活できている国」になっているのです。
みんなお金がないから、モノの値段が上がることに敏感になってしまう。
企業は「企業努力」で価格を維持しようとするのだけれど、そのために人件費も上げられない。
給料が上がらないから、みんなお金がない。
まさに悪循環。
さまざまな技術の進歩もあって、日本人は日本の中ではそれなりに幸せに暮らしているのだけれど、この30年間で、他国は停滞している日本に追いつき、追い越していったのです。周りがどんどん豊かになっていっているだけに、日本の閉塞感は数字以上に強いのではなかろうか。
とはいえ、給料が安くても、「安くて良いものが手に入りやすい国」であれば、そこから出なければそれなりに幸せなのではないか、という考え方もありますよね。
大部分の日本人は、海外に移住するわけではないし、海外旅行にたまに行く程度なのだから。
しかしながら、この本のなかでは、日本の「安さ」や「給与体系」のせいで、すばらしい技術を持つ中小企業が外資に買われていったり、IT業界の若いエンジニアが海外に流出していったりしている現状も紹介されています。もちろん、外資のおかげで倒産を免れ、技術を継承できた、給料も上がった、というプラスの面もあるのですが、このままでは、日本の国際競争力は落ち、優秀な人は日本から出ていき、制限なんかしなくても、外国人労働者は日本を敬遠してしまうことになるでしょう。
日経新聞的には「だから生産性を上げて、競争に勝っていかなければ日本の未来はない」のでしょうけど、新自由主義経済を突き詰めて、一部の人が富を寡占していく「平均値としては豊かな社会」を本当に日本人は望んでいるのかどうか。
「みんなあまりお金がなくて贅沢はできないけれど、格差が少なく、劣等感を抱きにくい社会」のほうが、そこに生きている人間にとっては「幸福」なのかもしれない、と僕は考えてしまうのです。
上司はみんな外国人で、日本人が差別されるような世界になったら、そうも言ってはいられないでしょうけど。
- 作者:リチャード ウィルキンソン,ケイト ピケット
- 発売日: 2020/04/03
- メディア: Kindle版