【読書感想】阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし ☆☆☆ - 琥珀色の戯言

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【読書感想】阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
40代・独身・女芸人の同居生活はちょっとした小競合いと人情味溢れるご近所づきあいが満載。エアコンの設定温度や布団の陣地で揉める一方、ご近所からの手作り餃子おすそわけに舌鼓。白髪染めや運動不足等の加齢事情を抱えつつもマイペースな日々が続くと思いきや―。地味な暮らしと不思議な家族愛漂う往復エッセイ。「その後の姉妹」対談も収録。


 単行本が出たときに、けっこう話題になっていたのですが、文庫化+Kindle版が安くなっていたので読んでみました。
 阿佐ヶ谷姉妹は、渡辺江里子さんと木村美穂さんのコンビで、外見上、二人はよく似ているのですが、血縁関係はないそうです。
 僕も『エンタの神様』などの番組に出演されているところを時々観ている程度なのですが、二人が同じ部屋にけっこう長い間住んでいたというのは、このエッセイ集ではじめて知りました。
 年齢も近いし、見た目も似ている。笑いのツボも近くて、一緒に住んでもいる。
 お笑いのコンビは、プライベートでは仲が悪かったり、お互いの携帯電話の番号すら知らないことも多いらしいので、けっこう売れていても、こんなに仲が良いのは珍しいと思われます。
 また、お二人の暮らしぶりが、贅沢や派手とはほど遠いんですよ。

 このエッセイ集には、二人の「似ているところ」「仲良しっぷり」が描かれているのではないかと思いきや、さにあらず。
 気が合う二人が一つの部屋に住んでいるからこそ生まれる、微妙な感情のすれ違いや小さな不満が、交換日記のように記されているのです。


 渡辺江里子(エリコ)さんは、同居するまでの経緯について書いておられます。

 元々は私の家だった、と言ったら、すごく小さい人間と思われるかもしれませんが、今2人で住んでいるこの部屋は元は私が最初に住んでいて、みほさんは後から同居した形になるんです。
 
 同居までの道のりも長かった。とにかく寝るのが大好きなみほさん。自宅より、駅から近い私の家で、「少し休憩したら、帰りますから」とかいいながらぐっすり朝までコースが週5位続くようになり、もうこっちに住んでしまった方が、経済的にも体力的にも楽なんじゃない? と同居を持ちかけたのは実は私の方で。

 すぐ乗ってくるかと思いきや、みほさん、なかなか首を縦に振らず。
 え? なんで私の方がこんなに頼んでるみたいになってるの? と。何だかわからなくなる程押し問答が1、2年続きました。で、結局「お金が厳しい」という最もシンプルな理由により、ようやく同居を始めた訳です。

 前説明が長くなりましたが、何が言いたいかといいますと、そんな後から入ってきた方が今、我が家の6畳の内、ほぼほぼ4畳位を使って堂々と寝ているのに対し、私が座布団ではなく布団の上に正座して、テーブル下のみほさんの足に接触しないように気をつけながら、こうして細々と文章を書いているのを、時々不思議に思ったりするのですが、これはグチでしょうか。


 話が出てから、実際に同居するまでに1、2年もかかっているんですね。迷った末に一緒に住んでみると、それはそれで、「相手のほうが部屋を広く占拠している」というようなことが、なんとなく気になってしまう。
 ああ、こういう気持ち、なんかわかるなあ。
 声を荒げて、「こっちのスペースにはみ出してこないで!」と抗議するくらい腹が立っているわけではないのだけれど、ふとした瞬間に、「なんか不公平だな……」という思いがわき上がってくる。
 人と人が一緒に生活するというのは、なかなか難しい。
 
 
 ちなみに、妹分(?)の木村美穂さんは、こんなふうに述べています。

 姉とふたり暮らしを始めて5、6年経ちますが、6畳1間にふたり暮らしだと言うと、「よく住めるね、私だったら絶対無理だわ」とみんなに言われます。確かに私も無理だと思っていました。ひとりっ子ですし。最初はお金も苦しかったので、仕方なさ半分で同居を始めました。

 今の所、怒鳴り合いになった大きいケンカ、夜中耐えられなくなって家を飛び出したなんて事もありません。人より忍耐力があるのか、ぼーっとしているのかよくわかりませんが、そんな私でもたまに1人になりたい時は、阿佐ヶ谷の1つ手前の高円寺駅で降りて歩いて帰ったり、阿佐ヶ谷の西友に行ったりします。
 あと仕事が続いて疲れた時などは一日中家の布団から一歩も出ず、何も喋らず、ひたすら寝て、近くにあるものを食べ、また寝るという、みほシャットダウン状態になります。こんな感じでバランスをとっております。

 しかし、姉はふたり暮らしを始めてこのかた1人になりたがるそぶりをまったく見せることがないのです。私が1人になりたがると、なんだか寂しそうな顔をするのです。
 いや、おかしいでしょう。家でも一緒、移動も一緒、仕事も一緒、帰りも一緒なのにですよ! 絶対におかしい! 何かあるんじゃないの? 怖い昔話の、ご飯を食べないという嫁が夜な夜な頭の後ろについている口から、ご飯をもしゃもしゃ食べている絵が思い浮かびます。ちょっと違いますかね? とにかく、みほの魅力はそんなに溢れまくりなのでしょうか? 男性は誰も寄ってきませんが……。

 ある時、2人で6畳は狭いから、2間ある所に住みたいなぁと話していたら、また寂しげな顔をしたので、
 みほ「一緒に住んでて、不満ないの? ない事ないでしょう?」
 と聞くと、そうだなあ〜あるかなぁ〜っとしばらく考え、みほが頼んだ宅配便が午前中に来ると起こされるのが嫌、玄関に早く出ていかないのが気になるから午後の便にしてほしいだの、寒い時にエアコンをつけたいけど、みほが乾燥するのを嫌がるから、つけさせてもらえないのが嫌だの、不満がないのかと思ったら、結構言ってきたので、なんだか腹立たしかったです。


 価値観が近い二人でも、一緒に住み続けることは、なかなか難しい面があるみたいです。単なる同居ではなく、6畳1間にずっと一緒にいる、というのは、なおらさつらいところもある。それぞれ個室があるのなら、パーソナルスペースを持つこともできるのだけど。


 エリコさんの回より。

 ありがたい事にお仕事も少し増え、そうなるとなおさら、オンでもオフでも2人でいる時間が増えます。私は、いい歳してお恥ずかしいのですが、寂しがりな所があり、下宿や弟との同居経験もあってか、2人でいる事もあまり苦になりません。ですが、もともとひとりっ子のみほさんは、やはり1人の時間が欲しいらしいのです。そういう時や、なにか小競り合いをして一緒にいたくない時などは、こんな言葉をみほさんが口にします。
「ちょっと1人で西友に行ってきます」
 この言葉に「みほ、1人になりたい」のニュアンスを汲み取って、こちらはこちらで
「じゃあ私はうちに帰ってます」
 もしくは、
「じゃあ私はイトーヨーカドーに寄るわね」
 などと言って、距離を詰めないようにして気をつけていたつもりだったのですが……。
 少し前から、みほさんが、
「ああ、お姉さんが多いわ〜『エリコ過多』だわ〜」
 と、何やらオリジナルな造語を持ち出して、直接的にひとりになりたいアピールをしてくるようになってきました。

 最初、耳だけで「エリコ過多」と聞いた時は、私のいかり肩の事をそう呼んでいるのかしら。それとも「豚肩ロース」のような、何かのお肉の部位にたとえているのかしら、と思ったりしましたが、違いました。私といる時間が多いのを、過多と言っているのです。それは嫌いという事なのでは? と聞いたら、
「嫌いではないです、ただ多いんです」
 とみほさん。このニュアンス、わかりますでしょうか?


 ああ、僕はこの「嫌いじゃないんです、ただ多いんです」っていう感覚、わかるような気がするのです。
 どんなに好きな人でも、ずっと一緒だと息が詰まってしまうことがある。
 好きな人だからこそ、嫌われたくなくて、気を遣って疲れてしまう場合もあるのです。
 そこで、相手が「少し距離を置く」ことを許せるかどうかって、長く付き合っていくためには、けっこう大事なことだと僕は思います。

 ちなみに、ずっと同居していた阿佐ヶ谷姉妹に、このエッセイ集のなかで、大きな転機が訪れます。
 いや、「大きな転機」って言ってしまうと、「よく考えてみると、それほど大きくもないのかな……」と考え直すのですけど。

 気軽に読める本なのですが、「仲が良い人との距離の取り方」について、けっこう考えさせられるところもありました。


天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

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