【読書感想】若ゲのいたり 2 ゲームクリエイターの青春 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

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【読書感想】若ゲのいたり 2 ゲームクリエイターの青春 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

大人気シリーズ第2弾は紙本も電子書籍もフルカラーでお届け!

1980~1990年代、ゲーム業界は「青春期」だった。そんな時代に大奮闘したゲームクリエイターたちの、熱くて、若くて、いきすぎた思い出をたずねたい──そんな想いから企画されたレポートマンガ!

第1話 ガンダム無双
第2話 ゼビウス
第3話 イナズマイレブン
第4話 プレイステーション
第5話 逆転裁判
第6話 ポケットモンスター 赤・緑
第7話 ゴールデンアックス
第8話 .hack
第9話 バーチャファイター
第10話 アイドルマスター

※このコンテンツは紙本、電子書籍ともにフルカラーです


 『若ゲのいたり』シリーズ、40年来のテレビゲーム好きであり、「ゲームをつくる人」の話を読むのが大好きな僕にとっては、「刺さる」シリーズなんですよね。


fujipon.hatenadiary.com


 世代的にも、この本で多く採り上げられている1980~90年代は、僕自身の「青春時代」でもありますし。
 まあ、ゲームと読書ばかりだった僕は「青春」という概念そのものがあまり好きではない、というか、コンプレックスを感じる言葉ではあるのですが……

 『ゼビウス』の遠藤雅伸さんが、現在はゲーム研究者として活動されている、なんて話も紹介されています。

遠藤雅伸「道を求め進むこと」こそ日本人がゲームをやる理由なんです。だって「やりこみプレイ」って日本人は大好きでしょ


確かに!
 

遠藤:それが顕著に表れるのが「ゲームをやめる理由」です。普通に考えたら、ゲームをやめる理由って、興味が失せるか、環境がなくなるか、そんなところですよね?
 ところが調べてみると、日本人には「自分が決めたゴールに到達できたらやめる」という人が28%もいた。さらに奇妙なのは、ラスボスの手前でやめるって人が13.8%もいたんです。


なんとなくわかります。「大好きなアニメの最終回を観たくない」という心理に近いような……


遠藤:そうなんですよ。ラスボスを倒したらゲームが終わってしまう。でも、手前にいればずっとその世界の中に居続けられる。これって、禅の世界に通じる「残心」という考え方なんです。


残心?

 
遠藤:残心とはたとえば弓道で矢を射った後にそのまま的に心を残しておくこと。茶道ではその日のお手前を後から思い出してそれを深く楽しむのが残心なんです。


 いやまあ、たしかに、「ラスボス倒したら終わっちゃうのか……」という気持ちになることはありますが、僕自身はやっぱり終わらせないとスッキリしないのです。その代わり、終わったあとの余韻に浸れるように、エンディングを迎えるのは翌日が休みの夜にする、という自分なりの決まり事はあるのですけど。
 「ラスボスの手前でやめる人」というのが、こんなにいるのか……
 
 ただ、ネットでさまざまな「やりこみ」を見ていると、「徹底的にやりこむ人」というのは、洋の東西に関係なく、一定の割合で存在するのではないか、とも思うんですけどね。
 遠藤さんが、ゲーム研究の道を志すようになったのは、長年の友人であった飯野賢治さんが若くして亡くなられたことがきっかけだったそうです。


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 僕がテレビゲームの進化に心を奪われていた10代から20代の頃、ゲームをつくっていた人たちもみんな若かった。
 でも、あれから時間が経ち、クリエイターたちの多くはゲーム制作の最前線から身を引き、人生の転機を迎えていることがわかります。
 ずっとクリエイターであり続けている堀井雄二さんや宮本茂さんは、本当にすごいと思うんですよ。
 僕の中学生の息子が楽しんでいるゲームのなかには、僕にはついていけないものも多いしなあ。


 レベルファイブ日野晃博さんは、『レイトン教授』について、こんな話をされています。
 『レイトン教授』は、もともと、多湖輝先生の『頭の体操』をゲーム化しようとした作品だったのが、商標の問題でタイトルを変えなくてはならず、そこで「レイトン教授」というキャラクターが生まれたのだそうです。

日野晃博さて! この再スタートに合わせてゲーム内にさまざまな「新しいシステム」を組み入れました。


新しいシステム?

そのひとつはゲーム内に「次の目的」を表示するシステム


日野:今ではRPGでも「次の目的」を表示するのは当たり前になっていますけど、これは『レイトン教授』がメジャーにしたシステムのはずです。


考えてみたら、ゲームなのにわざわざ「次の目的」を表示するなんてヤボですよね。


日野:それは開発中にスタッフからも指摘されました。


(プレイヤーが次の目的を探すのが「ゲーム」なのに、それを表示したらこれはもうゲームじゃないですよ)


日野:そうだよ。ボクらが今作っているのはゲーマーのためのものじゃない。ライト層がちょっとした空き時間に遊べるものを作っている。それをゲームと呼べないなら……これはゲームじゃない……という思想で作るしかないね。
 当時『脳トレ』の大ヒットはライト層が支えていました。逆にいえば『脳トレ』ファンにゲーマーはほとんどいなかったんです。


 言われてみると、『レイトン教授』の親切すぎるシステムは、最初に遊んだときに僕もちょっと驚いたんですよ。
 親切といえば親切だけれど、これだけ「次にやるべきこと」や「コインが隠されている場所」が示されていたら、プレイヤーは、ただその決められたルートをなぞるだけじゃないのか、と。
 まあ、『レイトン教授』に関しては、「ナゾ」のジャンルや難易度にバリエーションがありましたし、システムについては、それほど意識はしていなかったのですけど。
 たしかに、最近は、RPGでも「次にやるべきこと」が表示されていたり、すぐに調べることができたりしますよね。
 どうせネットの攻略サイトを見るだろうし、と言われればそれまで、ではありますが。
 1980年代前半のマイコンアドベンチャーゲームで、「使える動詞」を求めて和英辞典を半日引きまくっていた時代を思い返すと、いろんな意味でゲームの遊び方も変わっています。
 今は、少し古くてもよければ、ものすごく安い価格でできる面白いゲームがたくさんあって、「もうサブクエストとかたくさんつくらなくていいよ……」とか、つい考えてしまうのです。僕が年を取っただけの可能性も高いのですが。

 ここで紹介されているゲームを半分くらいは知っていて、好きなゲームが3つくらいあれば、読んでいてかなり楽しめる本だと思います。
 遊んでいる側は、とくに意識していないようなところにこそ、制作側の工夫がある、ということがわかりますし、昔夢中になったゲームの「向こう側の事情」をあらためて知ることもできるのです。

 僕ももう50歳ですし、あとどのくらいゲームをやる時間があるだろうか、そもそも、余命をゲームに使ってしまっていいのだろうか……なんて思うんですよ。でも、好きなことができるのも、生きているうちだけだしね。


fujipon.hatenablog.com
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