【読書感想】僕たちはもう働かなくていい ☆☆☆ - 琥珀色の戯言

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【読書感想】僕たちはもう働かなくていい ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ディープラーニングの登場によって、飛躍的な進化を遂げたAI。囲碁や将棋だけでなく、さまざまな分野で「人間超え」を果たし続けるほか、その「手足」となるロボット技術も進展し、「AI×ロボット」の存在感が急速に増している。もはや、人間は彼らとの共存なしでは未来を築けない。テクノロジーに「奪われる側」ではなく、「使い倒す側」になるため、いまやるべきこととは?ホリエモンが世界的な研究者たちと対話を重ねて導いた、唯一無二の「結論」。


 堀江貴文さんが紹介するAIやロボットの「現在地」と、これから人間はどう生きていけば良いのか、という思考実験。
 僕は長年AIに興味があって、この本に出てくる石黒浩さんの本も読みましたし、コンピュータ将棋対人間の棋士の対局も追い続けてきました。
 堀江さんは、「自分の本としては珍しく、取材に時間をかけて、現場をみて書いた」と仰っているのですが、前述の石黒さんの著書をはじめ、AIに関する本を日ごろから読んでいたり、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』も既読、という人にとっては、それらに書かれていることが、簡単にまとめられているだけで、あんまり新しいことは書かれていない、と感じるかもしれません。

 ただ、この本は、専門書というよりは、「堀江貴文さんの新書」として、「AIで人間の仕事が奪われる!」「もうあなたは食べていけない!」みたいな危機を煽る風潮に対して、よくわからないまま怖がっている人々を啓蒙する、という意図で書かれているように感じました。
 もともと詳しい人は、あえて読む必要はないし、「AIによる社会の変化に興味はあるけど、難しい本を読むのはきつい」という人がまず手に取る本としては、おすすめできるのではないかと思います。
 
 堀江さんは国家に税金を集めるよりも、GoogleAmazonに稼がせるべきだ、という考えのようですが、僕は、彼らをそんなに盲信するのは危険ではないか、と考えているのですが。
 Googleも、結局のところ、収入源は広告ですし。


 AIやロボットは急速に進化してきているなかで、いまの世の中では、AIの「知性」が語られることが多いのです。
 しかしながら、AIやロボットはホワイトカラーのデスクワークはどんどん代わりにこなせるようになってきている一方で、その「身体性」においては、まだまだ人間には遠く及ばないのが現実です。

 すでにディープラーニングの技術によって、ロボットの「目」=カメラや、「耳」=マイクの性能は飛躍的に高まっている。人間とまったく同列か、ある面ではすでに凌駕しているだろう。しかし、人間が「手」によって得ている機能や情報は、まったくもって代替できていない。
 ロボットハンドの技術はたしかに進んでいるけれど、生卵をそっと運び、研究者に驚かれるぐらいのレベルだ。「目」や「耳」の進歩には、遠く及んでいない。


 以前、AIによって奪われる仕事について書かれた本を読んだのですが、最終的に人間の仕事として残るのは、パティシエのような創造性と細かい手作業が必要な仕事ではないか、ということでした。医療用ロボットなどは、もともと医者のコストが高いだけに、安全性・確実性が認識されれば、急速に広まって、人間の医者を駆逐する可能性が十分ありそうです。ロボットだったら、夜中のコンビニ受診でも、苛立つころはないでしょうし。
 とはいえ、細かい作業でも、パターン化できるようなものに関しては、「全自動衣類折り畳み機(landroid:ランドロイド)」というものが出てきて、すでにベストセラーになっているのだとか。知らなかった……僕もこれ、欲しいです。


 「人と人とのふれあいの重要性」を強調する人は多いけれど、僕自身は「人と接することのめんどくささ」を感じることが多いんですよね。
 セルフのガソリンスタンドや1000円(じゃなくなっているところも多いけど)カットの店が流行るのは、値段の安さと同時に、「点検しましょうか、会員カードつくりませんか?」とか「お仕事は何をされているんですか?」というような、儀礼的コミュニケーションのわずらわしさを感じている人が多いからではないか、とも思います。

 介護を受ける高齢者にも、人嫌いはいる。他人に触られたくない、もう人となんか話したくない、という高齢者は少なくなく、介護の新たな課題となりつつある。
 そういう高齢者の介護は武骨な形状のロボットに任せる手もあるだろう。実際、介護の現場にはすでにどんどんロボットが採用されている。
 ロボットだったら無視されても、罵詈雑言を浴びせられても、まったくストレスを受けず介護の仕事を淡々と続けられる。介護士不足の現状に照らせば、ますますその価値は高まるだろう。
 
 若い世代にも、人づき合いが苦手だという人はけっこう多い。
 コミュニケーションの場になんか出ないで、静かに生きていきたい人にとっては、最低限のコミュニケーションでパートナーシップが成り立つ。彼らにとっても、AIロボットはありがたい存在となるはずだ。

 昨今、一般の人たちの生活圏に、うまく順応しているAIロボットの代表格として挙げられるのが、スマートスピーカーだ。アマゾンの「Amazon Echo(アマゾン・エコー)」やグーグルの「Google Home(グーグル・ホーム)」がテレビCMをバンバン流しているが、それだけ消費者の関心が高いということの表れだろう。
 生活に関わるあらゆる質問に答えてくれて、スムーズな会話もできる。スピーカーの形状をした、いわば対話型のAIロボットである。
 
 私は当初、そのニーズに懐疑的だったが、予想外の使用方法が広がっているようだ。私の友人の家庭でもそうらしいのだが、子どもの話し相手になってくれ、育児面ではずいぶん助けられているという。
 子どもが別に意味のある言葉を投げていない。無意味な質問をずっと続けがちだ。普通の大人なら相手にしきれず、仕事や家事にも影響が出てしまう。
 しかし、スマートスピーカーはとことんつき合う。子どもの方が飽きるまで、どこまでも無意味な会話につき合ってくれる。
 そして「延々と会話を続ける」作業は、子どもの言語の認知発達においても、非常に効果が高いと言われている。
 たくさん喋った子どもが賢く育つのは、発達心理学の面でも正しい。
 その相手が人間である必要はなく、何なら飽きずにつき合ってくれる、しかも叱ったり否定的な言葉を返したりしない、AIロボットの方が優れているのかもしれない。


 この本を読んでいると、いまの人間の大部分が、「人間がやるべきだ」と思っていることの多くは、ロボットによって代替可能、あるいは、ロボットのほうが向いているのではないか、という気がしてくるのです。
 これに関しては、やっぱり「人間対人間」のほうが良いのか、それとも、より機能的に特化したロボットのほうが良いのか、あるいは、あまり変わらないものなのか、データを集めて検証してみないと何とも言えない気はします。それでも、子どもに延々と話しかけられるのがつらい、という親の側にとっては、少なくともメリットはありますよね。イライラして怒鳴ったり、邪慳にしたりするより、少なくともマシではあります。

 これからは放っておいてもAIやロボットなどのテクノロジーが、富を生んでくれる時代になる。AIロボットが社会全体の富を自動的につくりだして、私たち人間みんなに、利益をもたらしてくれるのだ。経済成長も、かなえてくれるだろう。
 人間がやっていた「財をなすことが目的の面倒な労働」を、AIやロボットが肩代わりしてくれる時代がやってくる。
 人間にしかできない仕事はどんどん減っていき、自由な時間がますます増えていく。
 ただそれだけの話だ。
 それでは私たちは何をしていれば、いいのだろうか?
 答えは簡単。ただひたすら、好きなことをしていればいいのである。


 堀江さんは、今の時代を生きる人間は、テクノロジーの進化から逃れることはできないし、そこで、テクノロジーを否定するよりは、うまく利用していくべきだ、と繰り返しています。
 食料の生産ややりたくない仕事はロボットに任せて、人間は好きなこと、自分がやりたいことをやるべきだ、と。
 そのイメージは、おぼろげながらわかるのだけれど、今、自分が置かれている状況を思うと、「好きなことだけをやる」と「食える」は、やっぱり断絶しているのです。
 堀江さんのように「好きなことをやってみせることが、すでに仕事として機能している人は良いのだろうけど、現実的に「遊んでいても食える」という人は、そんなにはいない。
 「できない理由を考えるより、まずはやってみろ」とか言われてしまいそうではありますが、この断絶は、多くの人にとって、まだまだ大きいのではないかと思います。
 正直、そこまでしてやりたいことがある、という人は少数派で、仕事の合間に晩酌するくらいでちょうどいい人のほうが多いような気もしますし。
 あと50年くらいしたら、働かないのが当たり前の世界になっているのかなあ。
 でも、産業革命のころの労働者たちも、もしかしたら、そう思っていたのかもしれない。


fujipon.hatenadiary.com
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