『その男、凶暴につき』から
『アウトレイジ 最終章』(10月7日公開)まで。
北野武監督/出演俳優/スタッフへのロング・インタビューと、
充実の論考群とともに、映画監督・北野武の現在を思考する。
日本のみならず世界的な認知度、実績を誇る映画監督、北野武。
本書はこれまで発表してきた作品について、本人へのインタビューを含めた多種多様な視点から考察する。
あなたはまだ、北野武を知らない。
僕は北野武監督の作品大好き!ってわけじゃなくて、半分くらいしか観たことがなく、映画雑誌での映画評論にもあまり触れてこなかったのです(ブログで個人の映画の感想はけっこう読むのですが)。
ちょっと興味があって、というレベルで、この『映画監督、北野武。』を読むと、前半の北野監督やキャストのインタビューは面白かったのですが、後半の映画評論家たちの北野監督論は、正直、読んでいて「なんでこんなに小難しい言い回しばかりするのだろう?」という感じでした。
映画雑誌、映画評論好きの人にはたまらないのかもしれないけれど、生半可な知識や覚悟で読むと、僕のように「まだ終わらないのかこの本……」とボヤくことになるかもしれません。
北野武さんや出演者が自分の作品や自分自身について、真剣に語っているのを読めるのは、映画雑誌というフィールドだから、というのはあるんですけどね。
(北野監督が世界の映画ファンから「日本のチャップリン」とも評されている、という話を受けて)
北野武:そもそも笑いってすごく残酷だからね。それをみんな喜んでんのかなと思って。だってコント55号が一番面白かったのは、萩本欽一さんが坂上二郎さんをいじめてる時だよね(笑)。跳び蹴りしたりさ・お笑いっていうのは残酷なもんでさ。お笑いっていうのは残酷なもんでさ・笑いって何かね……感情を動かすには、良い人じゃダメだなというかね。歪んでないとね、何か。
——北野監督の考えられる映画は本質的に残酷なものということでしょうか。
北野:残酷っていっても、映画を作ってる現場見たらいやになっちゃうよね。崔洋一さんや山田洋次さんの現場なんて「何もそんなに怒んなくても」って感じがある。それで人情もの撮ってるわけだから、何だろうこれってなるよね。板長が若い衆を脅かして「バカヤロー、コノヤロー」なんて声が聞こえて、出てくるものは美味しいんだけど、そんなに怒鳴り散らして出てきたものがこれかよっていうね。モノになって現れたものだけを見て、裏を考えないお客ならそれでいいんだけど、俺は裏を見ちゃうから。大島渚さんもそうだけど、現場でものすごい残酷なんだよね。俺はそれができないから自分で逃げちゃう。逃げちゃうけど、もっと残酷なのはそいつを使わないっていうことなんだけど(笑)。
——メイキングなどを拝見すると、撮影現場で演技指導しておられる監督は残酷という感じではないですね。『HANA-BI』(98)で主人公が、水の中に頭を沈めたつまみ枝豆さんをガンガン蹴りまくるという、それこそ非常に残酷な場面がありましたが、その撮影現場では、実際は背中をカメラに向けたスタンドインの方が枝豆さんを足蹴にしていらして、で、監督はモニターを見てひたすら爆笑している(笑)。こういうのは何と言うか、他の大監督たちが役者を怒号で追い詰めるっていうのとは全然違うものだと思うんです。
北野:「お笑いは悪魔だ」ってよく言うんだけど、緊張した場面に必ず入り込んでしまうからね、笑いって。葬式とか結婚式とか、誰かが倒れたりするとき。前に見たことあるんだけど、ヤクザが喧嘩してて「何だコノヤロー」ってすげえ迫力なんだけど、焼肉屋の白いエプロンを付けてるっていうね(笑)。エプロンがなびいてたりしてさ。その姿がおかしくておかしくて(笑)。
気心知れた、たけし軍団の枝豆さんとはいえ、足蹴にされているのを見てひたすら爆笑している、というのも、それはそれで異様な光景のような気もします。
北野監督作品をみていると、僕も「こんな場面で笑ってしまう自分」に気づくことがよくあって、残酷さと笑いというのは親和性が高いのだな、と思い知らされるのです。
北野監督は、映画は基本的に監督のものであり、役者というのは、監督の意図した通りに動くべき存在だと考えているようです。
ただし、現場で厳しくあれこれ指導するというよりは、そういう北野監督の意図を汲んでくれる役者をキャスティングしているのです。
北野作品の常連である、大杉蓮さんの話が面白かった。
——よく「他人になるために頑張る」っていうことをおっしゃる俳優さんがいますが、大杉さんが俳優という仕事についてさまざまな場所でおっしゃっているのは、他人になりすますのではなく、自分と役の境い目がなくなっていく感覚がおもしろいというころです。イメージではわかるんですが、具体的にはどういう感覚なのでしょうか。
大杉蓮:太宰治さんの作品だったと思いますが、みんなの前でわざと鉄棒から落ちてすごくウケるっていう男の子の話がありまして、その中にひとりだけ「お前、わざと落ちただろう」って言う子がいるんです。そんなことを言う”人の目”ってすごい怖いでしょう? でも、役者ってそういう目をいつも自分の中に持っている気がします。だから熱演とか言われてもね……。もちろん汗を流してやらなきゃいけない芝居もありますが、ぼくはいまだに役になりきるっていう感覚が正直わかってないだけなのかもしれないですね。演ずることの恥ずかしさも当然ありますし。
ぼくにとって芝居はまず”身体”なんです。身体があって、次に言葉をとらえて、そこからどうやって身体を通して言葉が出てくるか。そういう作業を劇団でもやってきたものですから、その行きついた姿が何も語らずにただそこにいるだけ、ほとんど何もしないで二時間半ただ歩くだけの沈黙劇だったんです。そういうところに自分の磁場というか原点があるものですから、たとえばAという役を演じるときも、それは役であって役ではないと考える。ぼくにとって何が面白くて何がリアルなのかを、Aという役を通して考える必要があるんです。そのためには演じるときに、熱さと醒めている状態が必要だと感じています。
僕は大杉蓮さんを『ぐるナイ』の「ゴチバトル」に出ている真面目そうな役者さん、というイメージでみていたのですが、大杉さんって、そんな前衛的な芝居をずっとやっていたのか……「ほとんど何もしないで二時間半ただ歩くだけの沈黙劇」って、演じるほうも観るほうもすごいな……
北野監督は、役者を鍛える、というよりは、自分の世界観に従ってくれる役者をキャスティングすることによって、演技指導をする手間を省いているようにも思われます。
あと、この本のなかでは、オフィス北野の社長、かつ、北野武映画のプロデューサーでもある森昌行さんへのロングンタビューが興味深いものでした。
「作品そのものの出来」が評価されることが多い映画の世界なのですが、お客さんが入らないと、作品を作りつづけることはできません。
それは、北野武でも同じなわけです。
北野映画は、必ずしも興行的に成功したものばかりではない、というか、むしろ、興行的には厳しい結果だった作品の割合が高いのです。
森昌行:海外でたけしさんはよく「映画監督なのになんでテレビに出ているんだ」と聞かれるんですね。それに対する答えは簡単で「映画なんかで飯は食えない」と言われる。ビジネスの話を正直にすると、『座頭市』以降『TAKESHIS'』まではそれなりの海外市場があった。海外でのセールスには映画祭への参加を含めたプロモーションをするだけでも十分だと、そううそぶくくらいの勢いがあった時代だったんです。しかしそれ以降、『アウトレイジ』も含めて、海外市場はまったく期待のできないものになってしまいました。ヨーロッパ市場は特に壊滅的で、これは北野さんの作品に限らずアジア映画自体の市場性がほとんどないと言い得るほど悲惨な状況です。劇場公開さえ約束されなくなってきていて、たとえ契約ができたとしても多くはインターネット配信で、ことアジア映画に関しては配信がメインというほどの状況なんです。
このままでは北野武が映画を撮れなくなる、海外セールスに期待している場合でもない。そう考えて『TAKESHIS'』以降、あえて国内市場を意識した宣伝展開を重視し始めました。もちろんこれはあくまでプロデューサー的な立場であって、監督にとってやはり映画祭は重要なものです。映画祭で発見され、映画祭で育ってきた監督ですから、そうした視点を一切なくすなどということはありえませんし、そこに対する感謝は忘れません。しかし、いまやそこでのビジネスは期待できません。もちろんセールスエージェントを通した海外への展開は続けていきますが、『龍三と七人の子分たち』をつくったときには「こんな映画が海外の映画祭で受けるとあなた方は思っているのか」という返事が来たんです。そのとき私は「海外の映画祭で受け入れられるかどうかは結果論であって、いま我々が目指しているのは国内的な興行成績です。この作品はもちろんエンターテイメントで、おっしゃる通りローカルコンテンツではありますが、しかし映画祭で上映される映画というのは、そもそもが究極のローカルコンテンツでなかったでしょうか?」と、はっきり開き直って言いました。
最近、北野監督作品がエンターテインメント寄りになってきた理由には、こういう「ターゲットとしている市場の変化」というのもあるんですね。
ヨーロッパでは、アジア映画は「壊滅的」な状況なのか……
映画の世界でも、人々の興味が「内向き」になってきている。
北野作品が日本でもてはやされるようになったのは、海外の映画祭で賞を獲り、高く評価されたから、というのもあって、映画祭を無視する、というわけではなさそうですが、軸足が国内市場に向いているのは確かなようです。
正直、映画評論については「難しいな……」「長いな……」というものが多い印象は拭えないのですが、北野作品好き、映画評論の世界に興味がある人には、楽しめる本だと思います。
fujipon.hatenadiary.com
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- 作者: ビートたけし
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