- 作者: 牧野愛博
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/05/19
- メディア: 単行本
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- 作者: 牧野愛博
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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内容紹介
これは“嫌韓本”ではありません。韓国を愛し、理解しようとつとめてきた筆者が見た、ありのままの韓国のルポルタージュです。
筆者は、朝日新聞の外信記者として、長年、韓国とかかわってきました。現在はソウル支局長として、日々の取材にあたっています。
その筆者にして、今の韓国は、「病理」とも呼べる状況に陥っているとしか見えないところに、本書のテーマの深刻さがあります。
著者は朝日新聞のソウル支局長です。
朝日新聞と韓国か……と、考え込んでしまう人も少なくないと思いますが、この新書に関しては、著者が実際に韓国で取材・生活して得た「実感」が詰まっています。
朴槿恵前大統領の逮捕について、著者はこう述べています。
朴槿恵が民主主義を軽んじたのは事実だ。一方で、朴を取り巻く、高級官僚や検察、メディアなどは朴の失政を十分チェックできず、問題を大きくしたあげく、問題が表面化するや、今度は豹変して一斉に朴をたたいた。大手メディア幹部だった知人は「右から左までメディア全社が朴をたたいた。たたかなければ自分が批判されるという危機感があった」と語る。憲法裁判所まで朴の弾劾を八対〇の全員一致で決めた。別の知人は「むしろ少数意見もあったほうが、司法の健全性を示せたのに」と語る。
一方で、市民は「法の下の平等」が保証されていないと思うから、「ロウソク集会」と呼ばれる市民集会に打って出た。韓国には「国民情緒法」がある、と言われるゆえんだ。
チェ・スンシルの娘、チョン・ユラが名門の梨花女子大に入ったことも、激烈な教育競争で疲弊した世の中の人々を激怒させた。知り合いの大学教授が、「不正入学と兵役忌避は、韓国人が最も忌み嫌う不正行為なのだよ」と教えてくれた。
そして、何よりも皆が怒ったのは、だれも責任を取ろうとしない態度だった。朴槿恵も最後まで辞任せず、憲法裁判所の弾劾決定が出ても、自ら受け入れる考えを示さなかった。
そして、権力者である「持てる者」と「持たざる者」である市民たちの格差は開く一方にある。この現実への怒りが、市民の行動をさらに激烈なものにした。後述するが、韓国は今、日本がかつて経験した「失われた二十年」の入り口に立たされている。釜山領事館に立てられた少女像の問題は、こうした現象のひとつの派生形とも言える。
これを読んでいると、高度経済成長を謳歌してきた韓国が、いま、大きな曲がり角を迎えていることがわかります。
経済成長は停滞し、強烈な学歴社会で、みんな競争に疲弊している。
そして、持てる者と持たざる者の格差は、広がっていく一方です。
航空会社の幹部が「乗務員のナッツの配り方が悪い」と激怒して、飛行機を飛べなくしてしまった「ナッツリターン事件」は、「何それ?」と半ばネタのように日本では報道されていましたが、僕は「なぜ、そんなことをしてしまう人間が育ち、大企業の幹部になってしまったのだろう?」と疑問だったんですよね。
しかし、そんな事件に対する、韓国国民の処罰感情の強さも驚くべきものでした。
大変バカバカしく、迷惑な事件ではあるけれど、これで実刑(懲役1年)になるのか、と。
「国民感情」が、ここまで司法に影響するというのは、怖い気がします。
でも、そういう処罰感情の強さというのは、「バッシングに加わらなければ自分が危険にさらされる」という恐怖心からきている面も大きいのです。
それこそ、太平洋戦争時の日本での「非国民」と同じように。
韓国はほぼその時代の政治リーダーが変わるたびに、政党も看板の掛け替えを続けてきた。もっとも長く続いた政党でも、朴正煕政権時代の与党、民主共和(1963~1980年)の十七年に過ぎない。セヌリ党の前進、ハンナラ党もわずか15年しか持たなかった。
与党関係者は自虐的な口調でこう語る。「与党の名前なんて、自由、共和、韓国など、保守をイメージした名前をビビンパプのように混ぜて組み合わせ直すだけなのさ」。
野党も、金大中元大統領の流れをくむ南西部、全羅道を地盤とする政党が代々、民主党という屋号を保ってきたが、めまぐるしく政党母体が変わるため、「新千年民主党」「統合民主党」「共に民主党」など、だんだん冗談のような名前になってきている。
こういうのをみると、ひどいネーミングセンスだな、と思うのと同時に、他人事じゃないよな、とも感じます。
これを読んでいると、朴槿恵さんというのは、暗殺された大統領の娘であったがために、世間から離れた暮らしをしていて、世知に疎い人だったということがわかるのです。
変な人を近づけて国政を壟断されたのも、もともと人脈が乏しくて、そのなかから長年の知り合いに頼ったという感じで、朴槿恵さん自身は権力者としては質素な暮らしをしていたのだとか。
本人にとっても、周囲にとっても「大統領になんか、ならなければよかったのに……」と、考えずにはいられません。
「他人に迷惑をかけるな」。日本の子供が、親から真っ先に教わる処世訓のひとつだ。「韓国の場合は少し異なるのだ」と日本に留学経験のある大学教授の友人が教えてくれる。韓国では、「どんな場所に出ても気後れするな」と教えるのだという。大学教授は、その背景について「韓国では生存競争が激しい。下手に譲り合っていたら、競争から振り落とされてしまう」と語る。韓国ではバス停留所でもエレベーターの前でも、我先に乗り込もうとする人がほとんどだ。ここではレディファーストも何もあったものではない。お年寄りを敬う儒教の良き伝統も残っているが、たまにしか垣間見えない。
「九割以上が泣き、一割が笑う社会」とも言われる韓国。親たちは、子供を勝者にしようと必死になる。何しろ、ただでさえ不況で働き口が減っているのだ。2016年2月時の失業率でみてみると、若年層(15~29歳)は12.5%で、全体の4.9%と比べると圧倒的に高い。
韓国統計庁によれば、一日の平均学習時間は、小学生5時間23分、中学生7時間16分、高校生に至っては8時間28分にも及ぶ。韓国では最近、「ホンパブ」という言葉が流行っている。一人(ホンジャ)で食べるご飯(パブ)という意味だ。韓国では、昼食や夕食を友人や職場の関係者と食べるのが普通だが、最近では一人で食事する人も増えてきているという。この一定の部分を、学院に通う前に一人で腹ごしらえをする子供たちが占めているとされる。実際、学院が密集する地域に行けば、一人でハンバーガーやキンパブ(海苔巻き)を食べている小中学生を簡単に見つけることができる。
日本で「失われた20年」と呼ばれているのは、バブル崩壊後の1991年からです。
僕は1990年代の最初は大学生で、バブルによる狂乱と、その後の鬱屈した時代をみてきました。
著者が指摘しているように、いまの韓国が置かれている状況というのは、あのころの日本に近いようにみえます。
経済は停滞し、どんなに頑張っても成功へのルートは細くて頼りない。
でも、過去の良い時代を知っている人たちは、「がんばれば、うまくいくはずだ」「ダメなのは、お前の努力が足りないからだ」と責め立ててくる。
そのストレスが、排外主義や諦めや鬱の原因となっていく。
世界は今、米国でも欧州でも日本でも格差社会が広がりつつある。人々には不満やいらだちが募っている。それをぶつける相手を探すとき、自分たちと関係のない集団がいればとても便利だ。周囲の共感が得られやすいからだ。それが、米国で黒人排斥運動に、欧州で移民排斥運動に、日本では嫌韓運動に結びついたと、私は思っている。私自身、韓国の人々にいらいらすることはよくあるが、だからと言って、相手のことを悪し様に言って良いわけがない。
今、韓国では日本の「失われた二十年」よりも更に深刻な不況が迫りつつある。本書で書いたように、韓国の人々にも不満が高まっている。私が東部・江原道高城郡で会った失業者の男性宅は、トタン屋根に粗末な家具が少しだけおかれた、バラックのようなたたずまいだった。釜山の少女像を取材したときに見たのは、「怒りのはけ口」を求めている人々の姿だった。
理屈はわかる、でも、そんな「怒りのはけ口」にされるほうの身にもなってくれ、というのが、こちら側の気持ちではあるのです。
結局、本当の問題は、内側のほうにあるのだよなあ。
それは、万国共通なんでしょうけど。
- 作者: 辺真一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2014/03/10
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