- 作者: ユウキロック
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2016/12/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容(「BOOK」データベースより)
島田紳助、松本人志、千原ジュニア、中川家、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズ…笑いの傑物たちとの邂逅、そして、己の漫才を追求し続けたゆえの煩悶の日々。「ハリガネロック」解散までを赤裸々に綴った迷走録。
書店で見かけて、「おお、これはリアル『火花』(又吉直樹さんの芥川賞受賞作)だな」と思いつつ購入。帰ってさっそく一気読みしました。
軽い気持ちで読み始めたのですが、読んでいるうちに、寝転がって読むのが申し訳なくなってきて。
こんなにヒリヒリする本は、そんなに無いと思います。
2005年、俺はこの年に漫才を辞めるべきだった。陰りが見えた漫才。それを感じながら、結局、何もできなかった。新しい漫才を構築することができなかった。淡々と過ごす日々。幸い仕事は順調でレギュラー番組も増え、最も多い時には6本を抱えていた。だけど、いつかはすべて終わる。そして、増えることはなく、ゼロになることを確信していた。なぜなら、漫才師として結果を残すことでレギュラー番組を獲得してきた俺が漫才で結果を出せなくなってきたからだ。それだけではない.漫才に自信が持てなくなっていた。それなのに、簡単に捨てることができず、その後、俺は9年間も漫才にすがりついた。
著者のユウキロックさんは、『ハリガネロック』という漫才コンビで活躍を組んでいました。
その前には、ケンドーコバヤシさんと『松口VS小林』として活動しています。
俺達はどこに行ってもスベらなかった。どんな状況でもどんな客層でも絶対スベらない技量は手にしていた。だから漫才を続けていくことはできたと思う。続けていくことで、その分の収入は得られただろう。でも、違う。
漫才に思い入れがあって、テレビでのMCのような仕事よりも、「とにかく劇場で客にいちばんウケる」ことに誇りを持っていたユウキロックさん。
第1回の「M−1グランプリ」で準優勝し、『爆笑オンエアバトル』でも大活躍。
いまも、お笑いの第一線で活躍していてもおかしくないはずなのに、ユウキさんは、自分たちのネタに、相方のお笑いに対する姿勢に我慢ができなかったのです。
読んでいるだけで、ユウキさんのものすごい自信と、その自信と羞恥心がゆえに、ほんの少し妥協すれば手に入ったはずの栄光を手放してしまう姿に、なんだか圧倒されてしまいます。
これは『リアル山月記』だ……
ハリガネロックというコンビの春秋を描いているはずのこの本で、ユウキさんがひたすら相方を突き放して描いていることに、僕は驚かされました。
ステージの上ではふたりきり、隣同士のはずのふたりなのに、感情的な距離は、こんなに遠いのか……
そういえば、又吉さんの『火花』でも、先輩や後輩の芸人はけっこう出てきたけれど、「相方」はそんなに描かれていなかったものなあ。
ネタを作り続け、単独ライブにこだわり、ボケとツッコミも変更。「ハリガネロック」で起こるすべてのことを俺主導で行ってきたが、結果が出せなくなりアイデンティティも失った。俺が本物の漫才師として生きていくためには、それが間違いだったと認めて、俺自身で全否定するしかない。だから極端で身勝手かもしれないが、俺にやれることはもうこれしか残されていないと思った。それは「動かない」ということ。「何もやらない」ということ。そして、相方からの呼びかけをひたすら待ち続ける。動きを止めた俺を見て「ハリガネロック」再興へと動き出す相方を待つ。そこには深い意味がある。相方の自我が目覚めるからだ。俺に言われてネタ作りに参加するのではない。自分からネタ作りの場を作ろうとする。そこに責任感が生まれる。その時、五分と五分の「ハリガネロック」が産声を上げる。自我と自我がぶつかる「ハリガネロック」が誕生するのだ。そう信じて待ち続けると決めた。時間は2013年1月まで。それまでに呼びかけがなければ3月31日、芸歴20年を終えるこの日に解散する。俺は決断した。
ユウキさんの「漫才」に賭ける気持ちが伝わってくるのですが、僕はこれを読みながら、こんな「天才」にプレッシャーをかけられ続けている「相方」のほうに感情移入せずいはいられませんでした。
そんなの、ユウキさんが引っ張っていけば良いんじゃないのか……
ユウキさんにはかなわないから、と沈黙していると「主体性がない」と責められ、自分なりにやる気を出してみれば「そのくらいか」と嘲られる。
むしろ、相方はよく耐えてきたな、とも思ったのです。
でも、漫才で芸の世界の「高み」を目指すには、たしかに、どちらかひとりだけの力だけでは難しいのでしょうね。
ユウキさんは正しい。
でも、正しいからこそ、自分を追い詰め、周囲も追い詰めていく。
こういう極限のチキンレースを勝ち抜かないと、「極める」ことはできないのか……
ネタや「芸」のなかで、どこに重きを置くか、という苦悩も、赤裸々に語られています。
「面白いものは、面白い」と客側としては考えてしまうけれど、いろんなお客さんがいるし、『M-1グランプリ』のような、コンテスト向けのネタが、地方営業でウケるとは限らない。
ユウキさんは、立川談志師匠に「芸は客なんかに認められなくてもいいんだよ。芸人に認められないとダメなんだ」と言われて、迷いを深めてしまったことも告白しています。
「ハリガネロック」の漫才は、芸人受けするタイプのものではなかった。だが、客票には強い。ピープルズチャンピオンと自認していた。どこでもスベらない漫才をしたい。どの年代にも笑ってもらえる漫才がしたい。だからこそ大衆性に重きを置いた。解散した今でも街で声をかけられることがある。その時に必ず言われる言葉。
「オンエアバトル見てました」
11年間続いていたこの番組の中で、特番を除けば、俺達はたった14回しか出演していない。しかし、未だに言われるのはこの番組でのこと。俺の漫才師人生にとって一番の青春がこの番組での戦いだった。
「チュートリアル」は「チリンチリン」の素となった「バーベキュー」で「オンエアバトル」を戦い、勝ち残れずオンエアされなかったのだが、彼らは自分の漫才を信じ「M-1チャンピオン」に輝いた。「オンエアバトル」で一度もオフエアになることなくグランドチャンピオンまで勝ち取った俺達は、「M-1グランプリ」では無残に散り、何もかもを失った。
「異端な発明家」こそが得られる称号。それが「M-1グランプリ」なのかもしれない。そうであるならばネタを「切り貼り」していた俺達は「M-1グランプリ」から一番遠いところにいたのかもしれない。そして、すべての「M-1チャンピオン」に言えることは「個」の実力である。実力のある「個」と「個」がぶつかり、主張しあうからこそ生まれる圧倒的存在感。それがオーソドックスを超える。ネタを作っているほうは作ったネタを高めようという自覚がある。ネタを作っていないほうは受け取った台本をいかに理解し、自分で昇華させ、台本以上のものに仕上げるかに力を注ぐ。各々が自覚しなければ絶対にできない。これが「M-1グランプリ」で出した俺の答えだ。だから相方が立ち上がるのを待った。
万人ウケするようなネタは、コンテストでは、新鮮味がない、尖っていない、と見られがちです。
毎年のM-1でも、有名芸人の「お馴染みのネタ」は「見たことがある」分だけ、驚きが欠けてしまう。
M-1のようなコンテストには、コンテストに向いたネタがあるのです。
ユウキさんの「相方」は、コンビを組むまでは、すごく気が合う友達だったそうです。
そんな人でも漫才の「相方」となると、「仲良し」ではいられない。
ハリガネロックは、どうなってしまったのか?
そして、ユウキロックさんは、漫才に対して、どんな結論を出したのか?
お笑い好きの方は、すでにご存知かもしれませんが、これを読んで興味を持っていただけたのであれば、ぜひ、この本を読んでみてください。
それでも人生は続く、のか、一度「芸」の世界に取りつかれた人間は、そこから逃れることはできない、のか……
「面白い」って言えるようなお気楽な内容じゃないんだけれど、読みはじめると、見届けずにはいられなくなる本でした。
- 作者: 又吉直樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/06/11
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