- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/11/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2015/03/13
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柳澤健さんの『19XX年の○○』シリーズは、アントニオ猪木、クラッシュギャルズと続いてきましたが、当時のプロレスファンなら、ページをめくる手が止まらない、「アツい読み物」です。
今回取り上げられているのは、「ジャイアント馬場」。
ジャイアント馬場というプロレスラーは、その見た目のインパクトの大きさの割には、並び称される猪木と比べると、「ストーリー性」に乏しい、という印象が僕にはありました。
あの体格だし、強いのは強いんだろうけど、動きもそんなに早くないし、団体経営者としても堅実。
猪木に挑戦されても、逃げ回っていたし……
この本では、ジャイアント馬場が、プロ野球・巨人の投手から、怪我もあってプロレスに転向し、力道山の肝いりでアメリカに遠征し、人気レスラーになるまで、そして、力道山の急逝後、日本のプロレス界のトップに立つまでが描かれています。
著者はまず、馬場正平というピッチャーが「プロ野球の世界では通用しなかった」という「定説」に疑問と投げかけているのです。
二軍での実績のわりには、一軍の試合でなかなか使ってもらえなかった、ピッチャー・馬場の「悲劇」が、丁寧に紹介されています。
馬場は、「通用しなかった」のではなくて、当時の巨人のなかでは突出した身体の大きさもあり、「イロモノ」扱いされて、「チャンスを与えてもらえなかった」のだ、と。
プロ野球の世界では、二軍でなら抜群の実績を残せるけれど、一軍に上がったとたんに全く通用しなくなるタイプの選手もいるので、本当に通用したのかどうかはわかりませんが、たしかに「これだけ二軍で活躍しているのだから、もうちょっとチャンスをもらえても良さそう」ではありました。
馬場にチャンスが与えられなかったのは、その巨体が目立ちすぎ、観客の注目を一身に集めてしまうことが、コーチやベテラン投手たちから嫌われたからだった。
「小さくなれ、小さくなれ」
馬場は毎晩、身長が低くなる奇跡を願い続けたが、朝起きると、身長はやはり高いままだった。
右ヒジの痛みが出て、思うような速球が投げられない時期もあったが、それでも抜群のコントロールで勝負して8月からは10連勝をマーク。三年連続二軍最優秀投手に選ばれた。馬場が一軍に呼ばれることはついになかった。
その後、怪我をきっかけに、巨人からは「待ってました」とばかりに解雇、大洋ホエールズに拾われるも、不運な怪我で、野球選手としての将来に見切りをつけ、プロレスの世界に飛び込むことになるのです。
もし、当時の野球界が、もうちょっと馬場を公平にみていたら、あるいは、「伝統の巨人軍」ではない、他の戦力が手薄なチームに入っていたら、「ジャイアント馬場」は、存在しなかったのかもしれません。
プロレス界にとっては、「元巨人の投手」というキャリアと日本人離れした体格は、大きな「セールスポイント」になります。
そして、馬場自身も、ハードなトレーニングに耐え抜くだけの気力・精神力を持っていた。
馬場は、1961年にアメリカ遠征に旅立ちます。
そして、その時代の日本人レスラーとしては、唯一無二の高い評価を得て、「稼げるレスラー」になるのです。
アメリカでの「ジャイアント馬場」は、師匠である力道山など及びもつかないような大スターで、メインイベンターとして頭角をあらわしていきます。
僕は動きがスローモーになってしまってからの、ジャイアント馬場しかリアルタイムで観ていないのだけれども、若かりし頃の馬場は、本当に強くて、動ける、迫力のあるレスラーだったのです。
ただし、まだ若かった馬場は、お金の面では、力道山やグレート東郷といったプロモーターに「搾取」され、稼ぎの大部分を持っていかれてしまいました。
後世、ジャイアント馬場が、プロモーターとして「ケチだけれど、給料の遅配などのお金の問題は起こすことがなかった」というのは、この時期に、自分自身が受けた仕打ちの影響なのでしょうね。
アメリカの有力プロモーターからも、アメリカで稼ぎ続けることをすすめられた馬場。
しかし、そこで日本プロレスは、力道山の死という緊急事態に遭遇します。
日本のプロレス界にとっても、客を呼べる目玉になるレスラーは、馬場しかいない。
最終的に、馬場は日本に帰国することになるのですが、その明確な理由について、この本では、「ある人物」からの依頼ではなかったのか、と書かれています。
でも、そうだとしたら、なぜ、その人物の言葉に、馬場は従うことにしたのだろうか?
アメリカに残っていれば、莫大なギャラを稼げたはずなのに。
このあたりは、たぶん、ずっと解決されることはない「謎」なのでしょう。
この本のなかで、著者は、ときには「主役」である馬場以上のアツさで、戦後のアメリカのプロレス界を彩った、人気レスラーたちのことを描いています。
フレッド・ブラッシー、ルー・テーズ、カール・ゴッチ、グレート・アントニオ、ブルーノ・サンマルチノ……
アメリカの「ショーマンシップ・スタイル」のプロレスは、日本でアントニオ猪木と新日本プロレスの「ストロング・スタイル」が覇権を握ってからは、「見かけだおし」とか「馴れ合い」みたいなイメージを持たれがちになってしまったのですが(僕も子どもの頃は、そう思っていました)、彼らの「魅せる」ことへのこだわりを、著者はものすごく魅力的に描いているのです。
(フレッド・)ブラッシーはある意味でゴージャス・ジョージを超えたレスラーだった。卓越した言葉のセンスを持っていたからだ。
「(女性たちに)神から私という贈り物をもらったことを感謝しろ!」
「私はリングで一番卑劣な男だ」
「女性も私を罵るだろうが、それは間違っている。なぜなら、ここにいる女たちはまるでジャガイモの袋を被っているかのような格好をしている。私の出身地の女性は女らしく着飾って、常に異性の目を気にしているぞ。はっきり言って、ここにいる女たちは豚以外の何ものでもないな」
「お前ら変態野郎は本当に頭が悪いな。もし、知性の欠片が少しでもあれば、そんな女と結婚なんてしないだろう」
「リング上で俺の邪魔をするやつは、誰でもこの歯で噛み殺してやる。それがたとえ、俺のお袋でもな」
筆者は、ブラッシーほど鋭い言語感覚を持つプロレスラーをほかにひとりも知らない。
綾小路きみまろかよ!
ブラッシーのほうが「先輩」なんだけど。
著者は、ブラッシーを「観客を怒らせる天才」だったと評しています。
善玉(ベビーフェイス)よりも、悪役(ヒール)のほうが、多様性もあるし、創造力が要る「仕事」だったのです。
「ものすごく悪いヤツ」「イヤなヤツ」がいて、そいつが強くて、しかも、最後にやられるからこそ、観客はカタルシスを得られる。
ジャイアント馬場は、アメリカのマット界に長年君臨した、バディ・ロジャースというプロレスラーを「尊敬する人」として、ずっと挙げていたそうです。
ロジャースは悪役だけど、ベビーフェイスのレスラーよりも遥かに人気がある。リングの外でもロジャースはいつも考えていた、と馬場さんは言っていた。次に誰とどんな試合をすれば、お客さんがたくさん来てくれるか。要するにバディ・ロジャースはただのプロレスラーではなく、プロモーターであり、プロデューサーでもあった」(全日本プロレスの渕正信)
男らしさから自由なロジャースは、善悪からも自由であり、あらゆる手段を使って観客の心理を自在に操り、熱狂の渦に巻き込んだ。
”華麗なる殺気”とロジャースを形容したのは、日本初のプロレス評論家、田鶴浜弘であった。
賢明なる読者諸兄諸姉はすでにお気づきであろう。
バディ・ロジャースとは、アントニオ猪木のようなレスラーだったのである。
ジャイアント馬場が憧れたプロレスラーは、アントニオ猪木のような”華麗なる殺気”を持つ男だった。
馬場と猪木の因縁を思うと、これはとても象徴的な話のように思われます。
馬場は、恵まれたプロレスラーとしての身体を持っていたけれど、そのおかげで、観客からも「そういう(怪物的な)レスラー」だと、みなされてしまうところがあったのです。
それはたぶん、馬場の本意ではなかったのでしょう。
のちの全日本プロレスで、馬場は、日本人対決や異種格闘技戦でファンの好奇心をかきたてようとする猪木に対して、「プロレスは、大男たちの迫力ある激突をみるものだ」「日本人対外国人の対決がいちばんの売りになる」という保守的な路線をなかなか離れられず、後手を踏むことになりました。
馬場自身は「猪木のようなプロレス」の魅力を、熟知していたにもかかわらず。
そういう「プロデュース力」が、新日本プロレスと全日本に差をつけていくことにもなったのです。
その一方で、ジャイアント馬場の「揺るぎのなさ」は、次第に人々に敬意を抱かれるようにもなっていきました。
まるで相手のほうが足に走り込んでくるようにさえ見える「16文キック」も、前座の伝統芸として愛されるようになっていったのです。
同時代を生きたアメリカのレスラーたちは、ジャイアント馬場を次のように評している。
「日本中どこに行っても、ファンはババに畏敬の念を持って接していた。モハメッド・アリと同じだよ。ラリー・ホームズに負けた後も、ファンはアリを愛し続けた。ババにはアリのような雰囲気、オーラがあった。日本のファンはババに、普通の人間とは違う何かを見ていたと思う」(ブルーノ・サンマルチノ)
「日本に来て仏像を見るたびに、いつもババのことを思い出す。イエス。ババはブッダなんだよ」(ザ・デストロイヤー)。
誠実で不器用、そして、早逝してしまったことが、馬場正平という人を「神話」にしてしまったのかもしれません。
アントニオ猪木が、いささか悪いほうが多めの、毀誉褒貶にさらされ続けているのとは違って。
本当に強かった頃のジャイアント馬場や、当時のアメリカのプロレスを、もう一度観なおしてみたい、そう思う本でした。
僕は、本物の「ジャイアント馬場」を、いままで知らなかった。