- 作者: 西牟田靖
- 出版社/メーカー: 本の雑誌社
- 発売日: 2015/03/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
WEBマガジン「マガジン航」で連載開始するや驚異的なアクセス数を獲得、読書家の間で大きな話題を呼んだ連載『本で床は抜けるのか』が単行本に!
「大量の蔵書をどう処分するか」という問題に直面した作家が、同じ問題をかかえた著名人をたずね、それぞれの具体的な対処法を紹介するノンフィクションです。
2012年、著者が仕事場として都内の木造アパートを借りるところから話ははじまります。狭いアパートの床にうず積み上げられた本、本、本。「こんなに部屋中本だらけだと、そのうち床が抜けてしまうのでは?」と不安におそわれた著者は、最良の解決策をもとめて取材を開始。蔵書をまとめて処分した人、蔵書を電子化した人、私設図書館を作った人、大きな書庫を作った人等々。
これらに加えて、「東日本大震災と本棚」「自炊(電子化)代行は違法なのか」など、近年話題となったトピックにもふれ、さまざまな角度から「モノとしての本」をめぐる問題にアプローチします。
「蔵書と仕事」「蔵書と家族」という悩みは、世間の愛書家、読書家にとってもけっして人ごとではないはず。はたして著者は蔵書をどう処分するのか? アパートの床は抜けずにすんだのか?
うーむ。読み終えて、しばし瞑目。
この本の最初のあたりを読んでいた時点では、「蔵書が多すぎて、本当にその重さで床が抜けてしまった人伝説」だと思っていたのです。
それが、途中からは、大量の蔵書を「捨てて、整理する」ことを選んだ人が出てきたり、「自炊(電子化)」の話になったり、蔵書が増えすぎて、自分で図書館をつくってしまった人の話になったり。
基本的に「読みやすさ、資料としての使いやすさでは、いまのところ、紙の本のほうが良い」というのが著者のスタンスですが、その一方で、『困ってるひと』の著者である大野更紗さんのように「身体的な状況から、電子書籍のほうが扱いやすい」という人もいるのです。
自炊を認めない作家たちや出版社の立場もわかるな、と僕は思っているのですが、こうして、実際に「本の置き場に困り果てている愛書家たち」の話を読んでみると、出版界は「自炊」に対して、もう少し寛容になれないものか、とも感じます。
著者が取材した電子化代行業者は、こんな話をしてくれたそうです。
「『ONE PIECE』や『のだめカンタービレ』はもう見たくありません。同じ本を何回スキャンしたことか……」
注文通り、愚直にスキャンし続けていることがこのエピソードからうかがえた。自炊代行を問題視する出版社側が懸念する転売行為をしようとするならもちろんのこと、効率を考えれば同じ本を何度もスキャンしたりはしないはずだ。というかそもそも、スキャンしたPDFデータの再利用は現実的ではないという。
「漫画にしても小説にしてもそれぞれ本の状態、たとえば紙の質は個々に違っていたりするわけです。それに、文芸作品は書き込みが多い。たまに持ち主の手紙が入っていたり、サインが書かれていたりすることもあります。再利用は現実的じゃないですよ。バレますよ。
それに、本の作りって結構いいかげんなんです。印刷がまっすぐではなく斜めになっていたり、ノリがべっとりと塗られているために開いても綴じ目付近が読めないといったことは多々あります。今日の取材の前に、西牟田さんから斜めになっているページの再スキャンを頼まれましたが、ああいったことは日常茶飯事です」
なるほど、本にはけっこう「個体差」があるのか……
それに、Kindleを愛用している僕の経験上、「スキャンして、PDFデータ化しただけの本」って、けっこう読みにくいんですよ。
電子書籍として読みやすくなるような微調整が行われているものに慣れていると、たまにAmazonでも(出版社から商品として)売られている「スキャンしただけの電子書籍」は、ページがめくりにくかったり、字が判読しにくくなっていたりするんですよね。
僕は「本好きの人が、本について書いたもの」を読むのが好きなので、蔵書が増えすぎたことによるトラブルについてもけっこう知っているつもりです。
僕自身も本という物質そのものの重みとか紙の佇まいが大好きなのですが、いまの紙の蔵書は、たぶん1000冊もないはずです。最近は引っ越しのたびになるべく本を処分していますし、買う本の5割くらいは電子書籍になりました。
電子書籍というのは、慣れればかなり便利なものです。
出先で「読むものがなくて困る」ということもなくなりますし。
なにより、部屋に蓄積される本がだいぶ減っています。
木造二階建てアパートの二階にある4畳半の部屋に仕事場を移したところ、畳がすべて本で埋まってしまった。
部屋の壁三辺は立て掛けた本棚や分解した机で覆われ、部屋の大部分を占めるそれ以外のスペースは高さ約30センチの本の束で埋め尽くされた。そのとき部屋の真ん中にいた僕は自分の足元が見えなかった。本の束と束の間にかろうじて足を突っ込んでいたからだ。足に泥は付着しないが、ぬかるみに膝下をずぶずぶ突っ込んでいるようなもの。部屋の中を移動するには本の束から足を引き抜いて本の束を踏み台にするか、つま先がやっと入るかどうかのすき間に無理矢理足を突っ込むしかなかった。
草森(紳一)が自宅に所有する本の数は約3万冊、加えて帯広近郊の生家に建てられた書庫に収められた分を含むとその倍、つまり約6万冊を所有していた。
2DKに約3万冊を詰め込むと生活に支障を来す。手前と奥に二段ずつ置いても入りきらなくなり、本棚の前に「床積み」したという。そうすると床が本で埋まってしまうため、家の中ではカニ歩きでしか移動できなくなってしまったというからすごい。そのような状態なので、気をつけていても事故は多発した。袖がぶつかっただけでも本が崩れ、ときには本の山が下部からドドッと地響きを立てて、根こそぎ倒壊することすらあったという。
そんな草森は2005年に『随筆 本が崩れる』を出版してから3年後に逝去している。そのときの様子はちょっと尋常ではない。
部屋には所せましと本が積み重ねられており、遺体はその合間に横たわっていた。あまりの本の多さに、安否を確認しに訪れた編集者でさえ、初日は姿を見つけることができなかった、という。
(『読売新聞』2008年7月30日付)
まさに本好きとしてはあっぱれな死に方である。だが、そんな彼ですら、床が抜けたという話は一行も書いていない。
この本を読んでいると、「本が抜けそうなくらいの蔵書」はあっても、「実際に抜けてしまった人」は、そんなにはいないようです。
「実際にそういう体験をした人の話」も、取材して書かれているんですけどね。
僕自身は、今まで「本で床が抜けるのではないかという恐怖」は感じたことがありません。
この本を読んでいて、「床抜けレベル」に達するかどうかの境界、みたいなものについて、考えてしまったんですよね。
いくら本が好きだからといって、「床が抜けるレベル」にまで本を増やしてしまう人というのは、そんなに多くはない。
基本的に「自分が娯楽として読む本を買う」というスタンスでは、なかなか床の心配レベルにはなりません。
本という物体そのものに愛着があって、「中身は全部読むわけじゃないけど、このシリーズを全部集めたい」とか、「物書きなどをやっていて、資料として本を必要としている人」じゃないと、数千冊、とか1万冊のレベルには、まず達しないのではないかと思われます。
「自分が最初から最後まで読んだ本の重さで床を抜く」というのは、至難の業なんですね。
ちょっと安心したような、「あまりにも高すぎる上がいる」ということが、少しだけせつないような。
「現代マンガ図書館」の責任者である、内記ゆうこさんが、こんな話をされています。
内記ゆうこさんのお父さんの稔夫(さんが、この図書館をつくったのですが、1978年の開設時に3万点だった蔵書(および、マンガ関連の資料やグッズなど)が、現在は18万点もあるそうです。
「読むという意味で父はさほど情熱はなかったのではないかな。父がマンガを読んでいるのをあまり見たことがないんですよね。どちらかというと経営とか収集、保存、管理の方が好きだったんじゃないでしょうか。順番に並べるとか揃えるとか。そういうのが好きだった。私はマンガが嫌いというわけではないので、あればパラパラ見たりするんですけど、姉ほどではない。一方で、管理や整理するのがけっこう好きなんですよ。その点で、三姉弟の中で私が一番父に似ています。父も似ているって言ってました」
数百冊とか、僕くらいのレベルであれば、ズボラな人間でも、そのへんに積んでおけるし、家族は迷惑がるけれども、「まあ、変なことにお金を使われるよりはマシか」というくらいの黙認で済まされます。
でも、数千冊とか万をこえるような数になると、「整理整頓の才能」がないと、その本を管理・運用していくのはきつい。
ある程度以上の蔵書を持っている人というのは「本を集めて並べることそのものが好き」なのではないかと思うのです。
この本、途中までは、「世の中には『書痴』としか言いようがない人がいるのだよなあ」と他人事のように読んでいたのですが、最後の意外な展開には絶句してしまいました。
本で床はそう簡単には抜けないけれど、「抜ける」のは、床だけじゃないのだよね……