![本棚探偵最後の挨拶 本棚探偵最後の挨拶](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51%2BVi2oeV6L._SL160_.jpg)
- 作者: 喜国雅彦
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/04/16
- メディア: 単行本
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内容紹介
「蒐めた本は墓場まで持っていけない! 」ある日そのことに気づいた著者が、厳選に厳選を重ねトランク一つ分に本を詰めたり、遂に私家版『暗黒館の殺人』の製作に着手したり……。
本を愛してやまない本棚探偵シリーズ、待望の第4弾!
内容(「BOOK」データベースより)
もう欲しい本はない!!すでに書庫もいっぱいだ!!―そうか、読めばいいんだ!!シリーズ完結。
この「内容」の「そうか、読めばいいんだ!!」というところに「読んでなかったのかよ!」と、突っ込んでしまいそうになるのですけど、この本に収録されている「収集家」たちの部屋の様子や本の数を目の当たりにすると「そりゃ、あんなに読めるわけないよな……」と納得してしまいます。
でも、「全く読まない、飾っておくだけ」というわけでもないのですよね。
鉄道マニアにも「乗り鉄」「撮り鉄」などのメジャーどころから、「とにかく時刻表が愛おしくてしょうがない」「無人駅が好き!」という人まで、さまざまな分野があるように、「書痴」にも、いろんな人がいるものだなあ、と。
とりあえず、この『本棚探偵』シリーズが4冊も、しかも単行本で出ているこということを考えると、日本の「古書愛好家」あるいは、もう少しライトな「本好き」の層は、僕が思っているよりも、かなり厚いのではないかな、と思えてくるんですよ。
「自分ほどの本好きは、そんなにいないんじゃないかな」と、みんなが思い込んでいる趣味、それが「読書」。
「音楽鑑賞」と並んで、一番履歴書に書かれがちで、無難な感じがする趣味でもありますしね。
この本に出てくる「収集家」たちは、「趣味というより、宿業みたいなもんじゃないのか……」という感じですけど。
この『最後の挨拶』を読んでいると、喜国さんの「古書愛好家」としての心境の変化などもうかがわれて、なんだかちょっとしんみりしてきます。
このシリーズも4冊目ともなると、喜国さんも50歳を超え、「好きな本を、生きているうちに読み尽くす、集め尽くす」なんてことはできないということが、実感を持って迫ってくるのです。
(僕も最近同じようなことを思うようになってきて、これまでは「面白そうな本は休日のためにとっておく」ことが多かったのですが「読みたい本から読む」ようになりました)
<本とともにあの世に行く>
本好きならば、きわめて当然の望みだろう。僕も昔はそう思っていた。だが、コレクター(の端くれ)を続けているうちに、この考えは間違いだという考えに至った。
古書(に限らず何か)を集める。難関と思われるブツを手にした時は、自分の運を誇りに思う。だが、それが何度も続くうちに気がつく。
「僕がこれを買えたのは、どこかの誰かが手放してくれたおかげだ」と。
当然のこと、その逆もまた成り立つことになる。
「僕が死んだら、僕の本は誰かのところに行くのだ」
このエッセイでも何度か書いた。
「集めたコレクションは、単に今、預かっているだけ、僕のものであって僕のものでなし。やがては天に返すもの」
<金は天下の回りもの>とよく言われるが、コレクションはそれ以上だ。だって、金と違って、それが世界で<唯一無二のもの>かもしれないのだから。
故に丁寧に扱う(ときにはミスで帯を破ってしまうこともあるが)。傷んだ本は補修する(存在していなかった函を付けたりもするが)。頑張って全集を揃えるのは、のちの人が楽になるようにとの親切心から(売却のときに高くなるのはそのご褒美)。
だから世のコレクターは、ある程度の年齢になると、自分が死んだ後のことを考える。コレクションが行くべきところに行って欲しいと。
まあでも、よほどの価値あるコレクションでもなければ、そして家族が常日頃から理解してくれていなければ、それをうまく「継承」していくことは難しいのです。
ちなみに、喜国さんは「未来のコレクターのために、古書店(価値がわかっている専門書店)行きと決めてある」そうです。
そんなふうに悟っていながらも、目の前に欲しい本があると手に入れずにはいられないのですから、コレクター魂というのは、なんともはや。
2011年に刊行された『本棚探偵の生還』の感想を、読者の方か直接、あるいはネットを通じて、いろいろといただいた。
「あの話が良い」「あの回が面白かった」と、好みが人によって分かれるのは当然だが、それをシーン単位で分ければ、全員の意見はただ一つのところに集中していた。
それは175ページ最後の行。
同じ本を何冊も何冊も何冊も何冊も何冊も何冊も買う日下三蔵さんが、その理由を訊かれた時の答え。
「売っていたからです」
衝撃的なセリフだった。たった九文字が世界を変えるほどに。もしも『本棚探偵の生還アワード』なんてものがあったとしたら、最優秀賞は間違いなくあのセリフに贈られたに違いない。
この『最後の挨拶』にも、日下さんの家に訪問する回があるのです。
いやほんと、なんでそんなに買うのか?そんな金はどこにあるのか?家人は許して(あきらめて)くれているのか?
外野としては、そういう疑問をつい抱いてしまうのですが、本物のコレクターにとっては「売っていたから買う」ただ、それだけなんだよなあ。
もちろん、このクラスの人は、そんなに大勢はいないと思うのですが……
この本、喜国さんの本に関する蘊蓄や、信じられないようなコレクター仲間、そして、ちょっと実験的な内容まで、さまざまな「本に関するネタ」が詰まっています。
僕は最近、通勤中や移動中に本を読めないかと思い、「オーディオブック」を利用することを考えていたのですが、喜国さんは、ランニング+読書の実験として、夢野久作の『ドグラ・マグラ』の朗読を聴きながらのランニングに挑戦されています。
小説を朗読で聴くと、文章の善し悪しがよく判る。それを知ったのは江戸川乱歩作品の朗読テープを聴いた時だ。乱歩の文章は、読んでも気づかないが、音で聴くとリズムがすごくいいのだ。それもそのはず、どうやら乱歩は書いた文章を、夫人に朗読してもらいながら直していたらしい。
逆にオヤッと思ったのは芥川龍之介。なんか、普通。というか、……、文豪にこんなことを行っていいのかどうか判らないが、
ひょっとして下手?
まあ、芥川のことはいい。今は夢野久作だ。
アメリカでは、オーディオブックってけっこう一般的らしいのですが(国が広くて移動にかかる時間が長いから、なのでしょうか)、同じ文章でも「読む」のと「聴く」のって、けっこう違うのかもしれませんね。
この芥川さんの話にしても、それが学術的に正しいかどうか、なんていうのじゃなくて、喜国さんの正直な気持ちが、ポロッとこぼれてくるようなところが、僕はけっこう好きです。
パラレルワールドからやってきた自分と会ったという設定の回に出てくる、こんな漫才コンビの話があります。
「そうだな。一時期のバカみたいな勢いはないが、それなりに需要はあるな。例えばオードリーなんてのが人気ある。
「そうか、こっちはバーナビーだな」
「バーナビー? まさかフレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーの二人組じゃないだろうな」
「おっと、知ってるじゃないか。こんなネタだよ。『みなさんこんにちはー、ダネイでーす』『リーでーす』『二人合わせてバーナビー・ロスでーす』『違うぞ相方、今日はバーナビーやのうて、エラリーや』『いかんいかん、うっかりしてた。ややこしわあ、ほんま』」
これでクスッと笑える人は、たぶん、この本の良い読者になれる素養があると思います。
もちろん、だから偉いとか、そういうわけじゃないんですけど。
![本棚探偵の冒険 (双葉文庫) 本棚探偵の冒険 (双葉文庫)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41PWFRYZB5L._SL160_.jpg)
- 作者: 喜国雅彦
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