- 作者: 平野克己
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/01/24
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
アフリカを「援助」する時代は終わった。新興国をはじめ、世界中が凄まじい勢いで食糧、石油やレアアースといった鉱物資源を呑み込んでいく現代。これらの需要に対する供給源として、アフリカの重要性は突出している。いまアフリカとの経済連携は、中国が一頭地を抜く。世界各国がそれを追うなか、さらに大きく遅れている日本に挽回の余地はあるのか―。広大なアフリカ大陸を舞台に、世界の未来と命運とを描き出す。
「アフリカは今、どうなっているのか?」
2013年の1月中旬に起こったアルジェリアの天然ガス精製プラントでの人質事件は僕にとって衝撃的なものでした。
日本人が、それも国連のスタッフやボランティアとしてではなく、企業の社員としてそんな危険な場所で働いていたのか……と思いましたし、若い人たちよりも50代以上のベテラン技術者が多かったことにも驚きました。
そもそも、いま、日本とアフリカの関係は、どうなっているのか?
この本は、『経済大陸アフリカ』というタイトルですが、最初の章は「中国のアフリカ攻勢」となっています。
もう、アフリカを「飢えた子供たち」や「民族抗争」「恐ろしい独裁者」というイメージで語れる時代ではなくなっており、中国などの「大国」にとっては、「エネルギー資源を得るための大事な拠点」となっているのです。
それが、アフリカ諸国の大衆の「幸福」につながっているかどうかはさておき。
また、「アフリカ」といっても、エジプトと南アフリカ共和国とジンバブエとソマリアは「全然違う」のですよね。
そういうことも、僕はほとんど知りませんでした。
数年前、「アフリカでは、携帯電話が急速に普及している」なんて話を聞いて驚いたくらいですから。
公衆電話や固定電話が少なく、人口密度が低い土地のほうが、携帯電話は「より有益」なんですけどね。
とくに、アフリカと中国の関係についての話にはインパクトがありました。
とくに1990年代後半からの中国のプレゼンスの拡大はめざましい。各項目で世界におけるシェアをのばしつづけ、輸入額において2003年、輸出額において2004年、製造業生産では2006年に日本をぬいた。2008年にはアメリカをぬいて世界最大の製造業国となり、2009年にはドイツを抜いて世界最大の商品輸出国になっている。2010年にはとうとうGDPにおいても日本を凌駕したので、私たちは一人当たりGDPが5000ドルに満たない開発途上国を世界第二位の経済大国としていただくにいたった。
このことに潜在しているインパクトは大きい。開発途上国であるということは先進国がくぐりぬけてきた多くの問題をいまだかかえているということであり、先進国にくらべてそれだけ不安定ということである。中国のプレゼンスが肥厚したことで世界は中国固有の問題に翻弄されるようになったが、これは国際社会と世界経済における不気味な不安定要因である。
いまやアフリカには国有企業以外にも多数の中国企業が進出していて、中小企業についてはアジアへの進出よりも多いという。中国には国外在住者数を把握するシステムがないが、1999年にアフリカ全体で5万人といわれた中国人在住者は、2010年末には100万人にも達したといわれ、南アフリカだけでも30万人の中国人が生活していると推測されている。いまではアフリカのどの国にいっても中国人の姿を目にするようになった。中国人商店が叢生し、中国企業によってビルや道路、発電所などが建設されている。
ちなみに日本の一人当たりGDPは、4万5000ドルくらいです。
いまの中国というのは、おそらく、有史以来はじめての「発展途上国であり、経済大国でもある国」ということになります。
「世界の工場」となった中国には、より安い、多量の資源が必要であり、中国は、それをアフリカに求めているのです。
いわゆる「先進国」が政治的なリスクなども考えて二の足を踏み、ビジネスマンも行きたがらないような国を、中国はどんどん「開拓」していっています。
どんな小国でも、国連加盟国は「一票」を持っていることを考えると、今後も中国の発言力は、どんどん増していくことでしょう。
サブサハラ・アフリカの貧困化が進行していた20世紀末、アフリカは「辺境化」しているといわれていた。世界経済や国際社会にとってアフリカは有用な存在ではなく、むしろ負担であるとさえ懸念されていた。当時の対アフリカ援助政策は、紛争と貧困にまみれたアフリカの状況を少しでも改善して国際社会の負担を軽減することに、じつはほんとうの焦点があったように思う。
そのようなアフリカの位置づけを中国がかえたのである。中国の視線はアフリカ内の問題よりもアフリカの経済資源に向けられており、「われわれはアフリカを必要としている」というメッセージをくりかえし発してきた。「あなたたちは貧しいがわれわれも貧しい」という南々協力の前提からはじまる中国のアフリカ進出は、ひとことでいえば垣根のない総力戦である。
この本を読んでいると、日本や欧米諸国などは、中国ほど切実にアフリカを必要としていないのだろうな、と考えずにはいられません。もちろん、個々の企業にはそれぞれの事情があるのでしょうが。
中国が「経済大国化」していくことによって、労働者の地位向上も少しずつ進んでいけば、「資本主義最後のフロンティア」は、アフリカになるのだろうな、と僕は思っていました(その前にミャンマーなどの東南アジアの国が、人口の多さと真面目な国民性で注目されつつあるのですが)。
ところが、この本を読んでいると、アフリカ、とくにサハラ砂漠以南の「サブサハラ」が抱えている問題というのは、一筋縄ではいかないことがよくわかりました。
著者は、「アフリカの最大の課題」は、農業技術、食料の生産性の低さだと説明しています。
僕のイメージでは、「製造業や工業の振興」こそが「国の発展」だったので、「なぜ農業?アフリカって、農業従事者も多いはずなのに」と疑問になりました。
さて問題なのはアフリカだ。アフリカでは欧州でおこったのとはまったく別の現象がみられる。欧州では生産性の上昇が穀物貿易を輸出超過にしたが、アフリカでは生産性の停滞が輸入の増大をもたらしている。
アフリカは小国の輸入なので各国ごとの輸入はさしてめだたないが、サブサハラ・アフリカ諸国の穀物輸入を合計すると、その量はなんとすでに世界最大の輸入国日本を凌駕している。また北アフリカ諸国を加えたアフリカ全体の輸入量はいまや東アジア地域と同水準で、世界貿易総量の15%をこえている。しかもアフリカの輸入は、はげしい変動をくりかえしながら増加する一方なのである。
通常は経済成長にともなって都市人口が増え、都市の購買力があがっていけばそれだけ食料全般に対する支出が拡大して農産物が買われ、それが農村部の所得になる。その所得は、生産性向上によって減少した農村人口のあいだで分配されるから、農民の所得水準が絶対的にも相対的にもあがっていく。欧米ではおおよそ農民のほうが製造業の労働者より高所得だ。経済成長の成果が都市と農村を循環して農村に裨益している経路がこれだが、アフリカではこの経路が閉ざされているのである。したがってアフリカでは経済成長がおこっても貧困人口がまったく減らない。
アフリカでは、人口に比べて農作物の生産力が低く、海外から食料を輸入しなければならないため、食料価格がなかなか下がりません。
そのため、都市部での製造業従事者の給料も、そんなに安くはできず、結果的に「安い労働力でつくった、安い製品で勝負する」こともできないのです。
嗜好品は高価だけれど、食料などの生活必需品は安く入手できる、東南アジアの国々とは違うのです。
しかも、都市に人口が流れ込んでいくことによって、さらにこの「農業の停滞」は続いていきそうです。
どんなに資源がたくさん見つかっても、いまの状況では「サブサハラ・アフリカの人々全体の生活の向上」は、困難なのです。
もちろん、日本の企業も手をこまねいて見ているだけではありません。
(あのアルジェリアのプラントも、あのテロが起こるまでは日本企業の「成果」のひとつでしたし)
この本のなかでは、アフリカでの日本企業の活動も紹介されています。
味の素株式会社は日本でもっともBOP(ベースオブピラミッド:低所得者層)ビジネスに習熟した企業のひとつである。創業早々台湾に進出し(1910年)、戦後はタイやインドネシアで開発途上国ビジネスにたずさわってきた同社は、ナイジェリアでも大きな市場を開拓した。一袋5円の「味の素」パックをナイジェリア国内でひろく販売する同社のターゲットは「年間所得300ドル以下の農村の主婦」である。世界銀行が定義する絶対的貧困は年間所得が375ドル以下であるから、味の素のターゲットはBOPのなかでもさらに下層にいる極貧層だ。
アフリカ農村にいくと女性の働きぶりに驚かされる。朝暗いうちから水くみに出かけ、村によっては一時間以上かけてその日使う水を調達する。自家消費用の穀物栽培は女性の仕事とされている地域が多く、畑仕事の負担も大きい。その間に子守りや家事仕事をこなしているから、食事の支度には多くの時間をさくことができない。そういう彼女らの「みじかい時間で少しでもおいしい食事をつくりたい」というせつなる願いが、味の素への需要をうみだしているのである。経済が発展すると主婦は家事労働の負担から徐々に解放され、食事の用意に多くの時間をさけるようになり、外食の機会も増えていく。そうなると旨味調味料に対する需要は減退していくから、味の素はBOPビジネスであることを宿命づけられていたともいえる。
ナイジェリアで「味の素」が、そんなに活躍しているなんて。
いまの日本では「化学調味料」はなるべく使わないのが贅沢である、と考えられているのですが、食事の準備に時間をかけられない環境では、安くて短時間で料理を美味しくできる「味の素」は、たしかに「BOP向け」であはありますね。
逆にいえば、「化学調味料」への風当たりが強くなった日本というのは、豊かな国なのです。
タイトルに「アフリカ」とついているのが、かえって読者の幅を狭めてしまうのではないか、だとしたら勿体ないと思えるほど、「世界の経済のしくみ」を知るヒントが詰まっている本だと思います。
ちょっと難しいところもありますが、頑張って読んでみる価値はありますよ。