- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2011/01/07
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<ストーリー>
建築家を夢見つつ、グリーティングカード会社で働くトムは、ある日、秘書として入社してきたキュートなサマーに一目惚れしてしまう。トムは運命の恋を夢見る男の子、一方サマーは真実の愛なんて信じない女の子だった……。好きな音楽をきっかけに意気投合し、いいムードになった二人。そんな中トムは、サマーに対して「彼氏はいるの?」と聞くと、サマーの答えはノーだった。恋愛と友情の間に果てしなく広がるグレーゾーン。人を好きになるって、どうしてこんなに楽しくて切ないんだろう。誰もがまた恋したくなる、二人の(500)日がはじまる!
僕は基本的に「恋愛映画」って苦手なんです。
なんとなく、「知り合いでもない男と女が仲良くしたりケンカしたりするのを見ているほどヒマじゃねえよ」とか考えてしまって。
もともと、「恋愛体質」じゃないというか、「私って、恋してないとダメなのよね」なんて女性をみると、「恋愛依存症かよ!」と思うしね。
でも、この『(500)日のサマー』は、そんな僕が観ても、すごく印象的な映画でした。
なんでこんなかわいい女の子が、トムに寄ってくるんだ?結婚詐欺の話か?と最初は思ったくらいなのですが、「恋人である」ことを言葉にしたいトムと、煮え切らないというか、そういう言葉に束縛されるのを嫌うサマー。
典型的な「恋愛」では、男女の思惑が逆なことが多いわけですが、サマーがあまりに魅力的なので、トムの気持ちもわかります。
その一方で、テレビの前の僕は、「ああっ、そこで焦って結論を求めちゃダメだ、トムっ!」と、トムに届かないアドバイスめいたものを送りたくなるんですよね。
この映画のなかで、「運命なんて信じない」と言っていた人は、「すべては運命だったのかも」とはにかんで笑い、「運命の恋にちがいない」と思っていた人は、「運命なんて存在しない、すべては自分で切り開くものなのだ」と一歩前に踏みだします。
どちらが正しいのか、僕にはわかりません。
ただひとつだけ言えることは、そういう「価値観」なんていうのは、それぞれの人間にとって、絶対的なものではありえない、ということです。
40年近く生きていると、「自分は結婚なんてしない!」と言いきっていた学生時代の同級生たちが、あっさり結婚したり、懸命に「婚活」しているなんていうのは、全く珍しいことじゃないし、僕だって、「結婚しない(できない)し、ましていわんや子供をや」だったのに、こうして毎日、息子と「でんしゃあそび」に興じているのですから。
人生って、ほんとうにわからない。
でも、だからこそ、生きてみても良いのかもしれない。
僕はずっと昔、振られてしまったときのことを、この映画を観ながら、思い出さずにはいられませんでした。
彼女が好きだと言ってくれたとき、僕には妙なプライドがあって、それに素直に応えられず、僕がようやく勇気を出したときには、彼女の気持ちは、もうそこにはなかったのです。
それは「運命」でもあったのだろうし、僕の優柔不断さが招いた「失敗」でもあったのだろうし。
記憶が生々しいときには、僕はそれを「失敗」だと嘆いていたんだけれど、今はやっぱり「運命」だったのだろうな、と納得してしまっています。
それでも、そういう経験って、人生全体でみると、けっこう「そんな恋愛でも、できて良かった」ような気がしてくるんですよ。
もともと経験寡少ではありますから、モテる人からすれば、「枯木も山のにぎわい」なんてものかもしれませんが。
演出の工夫や音楽も魅力的だし、観ているとなんとなく「元気が出る」。
無理やり励ますような感じではなくて、「まあ、いろいろあるけど、とりあえず生きていれば、悪いこともあるけど、良いこともあるからさ」と寄り添ってくるような温かさが伝わってくる映画です。