- 作者: 佐藤健太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/01
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
全世界で七十八兆円、国内七兆円の医薬品業界が揺れている。巨額の投資とトップレベルの頭脳による熾烈な開発競争をもってしても、生まれなくなった新薬。ブロックバスターと呼ばれる巨大商品が、次々と特許切れを迎える「二〇一〇年問題」―。その一方で現実味をおびつつあるのが、頭のよくなる薬や不老長寿薬といった「夢の薬」だ。一粒の薬に秘められた、最先端のサイエンスとビジネスが織りなす壮大なドラマ。
「新書」のひとつの大きな魅力が「専門的な知識をわかりやすくまとめたものを手軽に読むことができる」ことだとするならば、この『医薬品クライシス』は、まさに、そういう「新書」だと思います。
僕は薬を処方する側で、薬に対する知識もそれなりに持っていると思っていたのですが、この本を読んでいると、「創薬(新しい薬を開発すること)」の最前線や「なぜ、製薬メーカーは、あんなに合併ばっかりして長い名前になっていくのか?」という疑問への答えなど、「なるほどなあ」と感じたところがかなりありました。
廊下を歩いていると駆け寄ってきて新薬の説明を延々としてくれるメーカーの営業の人たちに「忙しいのに、めんどうだなあ……」「なんでこんなに似たような新薬が次から次へと出てくるのかねえ……」と常々思っていたのですが、この本によると、「新薬はどんどん減ってきている」のですね。
製薬企業の研究所は、ほとんどが旧帝大など一流大学の大学院出身者で占められており、博士号保持者も数多くいる。もちろん欧米のメーカーでもハーバードやMITなどの出身者がひしめいており、研究レベルも有名大学に決して劣らない。製薬企業の研究所が現代最高の理科系頭脳集団のひとつだといっても、さほど言いすぎには当たらないだろう。
さらに製薬会社は、大学や公的研究機関が涎を流すほどの潤沢な研究費に恵まれている。製薬会社は軒並み総売り上げの約20%という巨額を新薬開発に投じており、世界最大手・ファイザーの研究開発費は年間9000億円近くにも上る。他の多くの製造業の研究費が売上高のせいぜい2〜6%前後でしかないことを思えば、製薬業界の研究開発費がいかに突出して高いかおわかりいただけるだろう。
ではこれだけの頭脳と資金を投入している製薬業界は、どのくらいの新製品を世に送り出しているか――。驚くなかれ、年間たったの15から20製品に過ぎない(ここでの製品数とは、新規な構造を持った低分子医薬の点数を指す。既存の医薬の適応疾患拡大などは含めない)。これは一社の製品数ではなく、全世界数百社の製品を合わせた数字だ。世界中の巨大メーカーがよってたかって資本を投下し、分子生物学・有機合成化学など各ジャンルの最先端の知識を結集して、わずか15種類程度なのだ。
僕も「新薬」がそんなに少ないとは知りませんでした。
もともと自分の専門以外の新薬の知識は乏しいこともあり、もっとたくさん出ては消えているものだとばかり思っていたのです。
製薬企業では、「開発者として一生にひとつ新薬を開発できれば立派なもの」なのだそうです。
現在最大の医薬は高脂血症治療薬リピトール(ファイザー)で、そのピーク時売上は全世界で何と年間1兆6000億円にも達した。2008年、日本で最も売れた車であるホンダフィットでも、年間売上はせいぜい2000億円程度に過ぎないことを思えば、これがいかに恐るべき数字であるかおわかりいただけるだろう。人類史上最も巨大な付加価値を持つ商品は、このわずか原子76個から成る、目に見えないほど小さな「物質」なのだ。
リピトールのほかにも、製薬メーカー各社には、年間売上10億ドルを超える「ブロックバスター」と呼ばれるヒット商品があるそうなのですが、これらの薬は、2010年から一斉に「特許切れ」となってきます。
そうなると、後発メーカーが「同じような薬」をより安く発売してくるわけで、もとの薬を出していたメーカーの売上は、一気に落ちてしまいます。
リピトールのような「あまりに売れすぎていた製品」であれば、特許切れは、ファイザーのような巨大メーカーにとっても(いや、巨大になってしまったメーカーだからこそ)致命傷になりかねません。
この新書、「薬を開発してきた人」の立場から、「薬の安全性や副作用の問題について」「ジェネリックと先発品の違い」などもわかりやすく説明してあって、「薬よりも『健康食品』のほうが、『自然に近い』から安全」だと思い込んでいる多くの人たちに、メーカーがいかに「安全性」を確立するために苦慮しているか、ぜひ読んでいただきたい。
そして、「薬の効果・安全性に対する要求水準」が高くなればなるほど、「新薬」は開発できなくなっていきます。
僕自身は、もう、人類はこれ以上長生きするべきじゃないってことなのかな……なんて考えたりもするのですけど。
2010年現在の「薬をめぐる問題」について、わかりやすく丁寧に書かれている、良質の新書だと思います。
ただ、多少は化学への知識や興味が無いと、理解するのがやや難しいところはあるかもしれません。
最後に、著者が「なぜ薬をつくるのは難しいのか?」を解説している文章の一部を引用します。
まとめてみよう。医薬分子はターゲットタンパク質への結合という面では、できるだけ大きい方が有利だ。しかし生体膜という障壁を突破するには、サイズは一定レベルより小さくなければならない。また胃液や消化酵素に耐えるために非常に丈夫な構造である必要があるから、医薬分子を構成するために利用できるパーツはかなり限られてくる。
また人体の6割が水である以上、医薬となる化合物はある程度水に溶けないと話にならない。また肝臓、血中アルブミンといった防御システムをかいくぐるためには、脂溶性が低い方が基本的に有利である。ところが生体膜を通過して医薬が患部に届くためには、ある程度の脂溶性が必要だ。
医薬研究者は、これだけ矛盾した条件を満たしつつ、無数のタンパク質の中から標的だけを正確に捉える分子を設計しなければならない。一体どうしろというのだ、と思わず頭を抱えたくなる話ではないか。
非常にわかりやすく、また、「創薬」という仕事の「美しさ」をも感じました。
これらの条件を満たした上で、「適切に使用すれば、人体に有益な作用をもたらし、かつ、致命的なダメージを与えないこと」が要求されるのが「薬」なのです。
いまの世の中、「薬」に関わることなく生きていくのはなかなか難しいことですから、ぜひ、多くの人に読んでもらいたい本です。