- 作者: 勢古浩爾
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2008/01
- メディア: 新書
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藤村操、原口統三、奥浩平、高野悦子、在原業平、西行、佐久間勉、阿南惟幾、栗林忠道、本間雅晴、森鴎外、天本英世、古田大次郎、金子みすゞ、円谷幸吉、太宰治、江藤淳、鹿川裕史、大河内清輝、二宮邦彦、尾崎秀実、新井将敬、岡田有希子…哀切な死、壮絶な死、悲痛な死…、有名・無名を問わず、82通の遺書を繙くと自ずと日本人が見えてくる。
「人のまさに死せんとするや、其の言や善し」 (死を目前にしている人は、とてもすばらしいことを「言い遺す」ものだ)、というのが『論語』にあるのですが、この本でたくさんの『遺書』を読んでいくと、なんだかとても感銘を受けるのと同時に、「人が何かを言い遺すためには、不慮の死が必要なのだろうか?」というような気持ちにもなってくるんですよね。
この本には、藤村操の「巌頭之感」
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
から、太平洋戦争での特攻隊員の「遺書」、御巣鷹山の日航機墜落事故で犠牲になった方の走り書きの「遺書」まで、数多くの「遺書」あるいはそれに類するものが収録されています。
かなり「後世の目を意識した」ものもあれば、「心残りを書きのこさずにはいられなかった」と思われるものもあり、読んでいくのもかなりキツかったです。
著者も書かれているのですが、これだけの数の「死」と「遺書」を目の当たりにすると、正直「自分は大事に生きなくては」というような前向きな感想よりも、ただただ圧倒されるばかりで、自分が生きていることのほうが不思議にすらなってきます。
そういう意味では、この本を読むことに、何か建設的な「意義」があるかどうかは微妙なところなのですが……
この本を読みながら、僕が考えたことのひとつ。
謹ンデ陛下ニ白ス
我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ
我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ
これは、明治43年(1910)に瀬戸内海で潜航訓練をしていた第六号潜水艇(乗員14名)が沈没した際の佐久間艇長の「公遺言」の一部です。この本によると、
(第六号潜水艇は)国産初の潜水艇だったが、あらゆる性能が貧弱で「どん亀」と呼ばれた。艇内にはガソリンが噴出して悪臭が充満した、乗員たちはあらゆる手を尽くした。しかし艇は浮上せず、全員死を覚悟した。佐久間は手帳に鉛筆で、死の直前まで遺書を書きつづけた。二日後、艇が引き上げられた。欧米でもこの種の事故があり、ハッチを開くと全員が出口に殺到したまま息絶えているのが通例であったが、第六号潜水艇では全員が持ち場についたままの姿で発見された。
とのことでした。
僕がこれを読んで感じたのは、「なんてすごい人たちなんだ!」という畏敬の念と、「でも、窒息していく状態で、そこまで『任務に忠実』であろうとするのと、『最期の可能性』にすがって、ハッチに殺到するのとでは、どちらが『人間的』なのだろうか?」という疑問だったんですよね。
彼らの死は、本当に「美しい」けれど、今の世の中に生きる人間としては、なんとなく違和感があるのです。
「死の美学」というのは、時代によって変わってくるものなのなのでしょうけど、もしかしたら、そういう状況でも「美学」を貫くことが正しいと信じられた時代の人たちは、ある意味幸せだったのかもしれないな、という気もするんですよね。
あと、死刑囚の「死の光景」を読んでいると、僕は「彼らはたぶん、無期懲役や有期刑だったら、こんなに自分の罪を反省することはなかったのでは?」と「死刑制度の存在意義」を感じてしまうんですよね……