「インターネット人類補完計画」の果てに - 琥珀色の戯言

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「インターネット人類補完計画」の果てに

 最近、僕にとって、サイトでものを書くことが「楽しい」と言える時間は、どんどん少なくなってきているような気がする。それは単に、エネルギーの枯渇なのかもしれないけれど。
 僕がサイトをはじめたころの5年前くらいの個人サイト界には、まだ、「自分のサイトを作るような人間」のあいだには、一種の共同体意識があったような気がする。お互いに意見の相違はもちろんあったのだが、それでも、「まあ、俺たちは所詮『インターネットで自己主張をしあっている、中途半端なクリエーターだもんな」というような感触がお互いにあったのだ。でもそこには、「ネットという新しいツールで何かができるんじゃないかという希望」みたいなものが漠然と存在していた。そういう意味では、「ネットの可能性を信じていた」僕たちは、ひとつの政党のなかの派閥みたいなものだったわけだ。そして、世間の「ネットなんて気持ち悪い」という風当たりに対しては、お互いに支えあってきた。
 思い出してみると、ネットというツールが一般的になろうとしていたとき、「ネットで世界中の人たちが、いろんなしがらみを超えて、個人対個人のままで、リアルタイムにコミュニケーションできるのではないか」と僕たちは信じていたのだ。「ネットは世界を変える」と。
 だが、今の「ネット社会」はどうだ?確かに、ネットは生活を便利にしてくれた。電話が苦手な僕もパソコンの前で「あいにく満室ですので…」なんて言われて気まずい思いをすることがなくホテルの予約ができ、田舎にいてもマニアックな書籍やDVDがamazonで買えるようになった。そう、本当にネットは「便利」だ。
 しかし、その一方で、ネットは、みんなが本当に期待していたものとは違う方向に向かってきているというのも、また事実なのだ。「コミュニケーションによって、人それぞれのギャップを埋めてくれるツール」であったはずのインターネットでは、テロリストたちが犯行声明を流し続けている。個人サイトの管理人やブロガーたちは、「誰かとわかりあう」ためにではなく、「自分が正義であること」を世界に証明するために、このネットという道具を使うようになり、この世界は揚げ足取りと水掛け論に満たされている。誰かが精魂を込めて書いた創作よりも、ネットバトルのほうが喝采を浴びる。みんなが「他人との違い」を真っすぐに前だけを向いて叫んでいる。
 そして僕は、「こんなことを書いたら、「はてなブックマーク」で取り上げてもらえるだろうか?とか期待し、でも、イヤミなコメントつけられないかな…と悩んでいる。そして結果的には、「予定調和の枠内」に着地する。結局、僕にとってのネットは、ATフィールドの存在をあらためて自覚させてくれるツールでしかないのかもしれない。ネット人口が増えれば増えるほど、ネット上の人と人との壁は高く、厚くなっていく。昔は、ネットにいるだけで、すでに「仲間」だったのに、今のこの場所は「他人」だらけだ。

 結局、僕たちは、「こういうインターネット」を選んでしまったのだ。みんなで融和するためのツールではなく、他人と衝突することによって、自分の存在価値を証明しようとする世界を。そして、僕はもう、そういうのにかなり疲れているにもかかわらず、他に居場所を見つけることもできなくて、こうして今夜も、誰も読まないかもしれない文章をダラダラと書き綴っている。
 たぶん、インターネットは、僕を救えなかった。

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