琥珀色の戯言

琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】アメリカの未解決問題 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

今、もっとも注目されるZ世代ジャーナリストと、アメリカを語るうえで欠かせない研究者が緊急対談!

民主主義の真実〈リアル〉とは?
メディアの偏見〈バイアス〉とは?

ドナルド・トランプが再選された2024年の米大統領選挙と並走しながら、米国を見つめてきた論客が対話。
超大国のリアルと、山積する“未解決問題”について議論する。

反ユダヤ主義」には過剰反応しつつイスラエルのジェノサイドを黙認する大手メディアの矛盾、中国やロシアの言論統制を糾弾しつつ米国内のデモ取り締まりは擁護する自国の民主主義への絶望――。

今、アメリカの価値観は一体どうなっているのか。
日本が影響を受けざるをえない国の分岐点と未来、そして新たな日米関係のあり方が見えてくる一冊。


 この本には、著者の竹田ダニエルさんと三牧聖子さんが、現在のアメリカ、とくに若者たちが置かれている状況や、アメリカの若者たちが、いまのアメリカの政治をどう思い、どんな行動をしているのか、について対談したものが収められています。

 竹田さんは、1997年生まれ、新進気鋭の米国・カリフォルニア出身のジャーナリスト・研究者です。現在もカリフォルニアに住んでおられます。
 三牧さんは、1981年生まれの同志社大学大学院准教授。専門は米国政治外交史で、アメリカのZ世代についての著書もあります。


「Z世代」については、以下のリンクをご参照ください。デジタルネイティブで、モノよりも体験や社会貢献に価値を置いている人が多い世代、といわれているようです。
www.smbcnikko.co.jp


 日本に伝えられるアメリカの有権者の姿は、熱狂的なトランプ大統領支持者やトランプ氏に危機感を抱いている「リベラルな」人々、「これまで懸命に働いてきたのに、民主党はマイノリティのトイレの話ばかりで、生活は苦しくなり、仕事もなくなっていく」と嘆く中高年者に取材したものが多いのです。

 では、これからのアメリカを支えていくであろう若者たちは、今のアメリカの政治をどう考えているのか?

三牧聖子:日本では「リベラル」というと、ポジティブにもネガティブにも「理想の社会に向けた変革を主張する、意識の高い人たち」というイメージで語られていることが多いと思いますが、むしろ今のアメリカでは、口では弱者のために、とか、理想主義的なことを言っていながら、実際には社会における弱者のために根本的に社会を変革しようとする気などなく、経済的余裕があって、今の社会の存続を願う既存勢力というイメージになっているわけですね。アメリカと日本では「リベラル」という言葉の定義がずれてきているというのは、重要な指摘です。
 アメリカで社会変革を志向する人たちが、自分の政治的な立場を表す言葉として「レフティスト」や「プログレッシブ(進歩主義者)といった言葉を好むのは、現在、「リベラル」を名乗っている人たちが、大きな変革は望まない既存勢力となってしまっている現状を批判し、本来のリベラルを取り戻そうとしているからです。アメリカでは絶えずこうしたダイナミズムが起こっているし、そこを見ずしてアメリカの変化を捉えることはできないと思います。


竹田ダニエル:本当にそうなんです!


三牧:「リベラル」は常に変化している。現状を変えたくない日本のマジョリティは、そうしたダイナミズムを理解せず、「リベラル」を画一的で、不変的なものと見てい流。
 今のアメリカで「リベラル」の行き詰まりや限界を端的に示しているのは、やはりガザの問題でしょう。先に言及したアカデミー賞授章式を通しても痛感しました。共和党はもちろん、リベラルが多い民主党でも、ガザ即時停戦やイスラエルへの軍事支援の停止を主張してきた議員は、パレスチナ系議員ラシダ・タリーブら、「スクワッド」と呼ばれる有色人種の女性議員を含む進歩はグループなど、ごくわずかな人数にとどまります。ガザではイスラエルがほとんど一方的に、そして無差別にパレスチナ人を攻撃しているのに、イスラエル支持を崩さない議員も多い。「リベラル」や「進歩派」を自負する議員でも、ムスリムに対する「テロリスト」というイメージ、アラブ人への人種差別意識を無意識のうちに持ってしまっている人も多いと思われます。


 日本でも、近年は、「リベラル(笑)」というような見かたをする人が多い印象があります。とくにネット上では。
 アメリカでは「差別廃止」を訴え、LGBTQ(セクシャル・マイノリティ)の権利には敏感なのに、イスラエルパレスチナ人に対する行為は批判しない、あるいは、イスラエルを支持すらしている「リベラル」に、若者たちは矛盾を感じ、批判を続けているのです。
 それも、SNSに「リベラル(笑)」なんて書く冷笑的な批判ではなく、デモや大学への意見表明など、自らも大きなリスクを負う形で。

 トランプ大統領の誕生や、その後の大統領選での敗北時の国会への乱入事件など、アメリカの民主主義はどうなっているんだ?と不安になるのですが、アメリカには、やりすぎ、とともに「間違っていると感じたことには、声をあげて議論しよう」という反発力みたいなものがあるのも事実です。
 アメリカの既存勢力の「イスラエル徹底擁護」は、歴史的な経緯があるとはいえ行き過ぎではないかと僕も思います。

 とはいえ、ナチスによる強制収容、虐殺という歴史をリアルタイムで、あるいは近い時代を生きて体験し、罪の意識を持った世代と、それを歴史の教科書や映画や本でしか知らない世代とでは、「実感」に差があるのは致し方ないことなのかもしれません。
 僕は1970年代生まれなのですが、日本がかなり豊かになった時代を生きています。親や祖父母が語っていた「戦争体験」も聞かされてきましたが、当事者と同じようなレベルでの戦争への忌避感は抱いていないと思うのです。
 子どもの頃、「原爆の日」に被爆者の体験談を毎年聞き、身近なところにも被爆者がいた僕の世代と、僕の子どもたちの世代の「核兵器」に対する恐怖感の差も感じます。「核兵器も兵器のひとつでしかないし、原爆と空襲での死に違いがあるの?」といわれると、答えに詰まってしまいます。
 アメリカ人のアラブ人への感覚も「9・11」の時代とその後の「テロとの戦い」を記憶している人と、その後の世代とでは、かなり異なるのでしょう。
 1997年生まれの竹田ダニエルさんは、「(1990年代半ば以降生まれの)Z世代は、政府が自分に何もしてくれないと心底思っているし、資本主義にも幻滅している。だから、ガザで犠牲になっているパレスチナの人々へ、同じ抑圧されている存在としての共感が強い」とおっしゃっています。

 彼らは、冷戦もベルリンの壁崩壊も、ソ連の解体も歴史年表に書いてある出来事だから、社会主義への抵抗感が少ないのも事実でしょう。
 僕のような中年以降になると、リアルタイムでソ連という国をみてきて、「社会(共産)主義は人間には扱いきれないな」とすでに諦めてしまっているのです。

竹田:アメリカではジャーナリストには中立性が非常に厳しく求められます。選挙で誰に投票したかは口にしてはいけないし、政治系イベントへの参加や寄付もNG、ジャーナリズム学科では、例えば死にそうな人を見て、駆け寄って助けるのか、写真を撮るのかを議論するメディア倫理の授業が必ずあるほどです。そのように中立性が重要視される中で、「ガザの人は殺すべきだ」と思っている人物が(ニューヨーク・)タイムズの一面記事に大抜擢され、パレスチナ救済の署名に協力した人はクビになっている。そもそも親パレスチナの声を上げるような人は多くのメディアでは雇ってもらえないので、ジャーナリストは声を上げることもできない。


三巻:ジャーナリストでもそのような状態なんですね。


竹田:むしろジャーナリストこそ、そうなっているというか。


 日本にいると、「日本のマスメディア」が批判され、気骨のある海外メディア、というイメージを持ってしまいがちなのですが、イスラエル戦争に関してみると、アメリカのメディアにも、さまざまな「都合」があることがわかります。「ジャーナリズムの中立性」とは何なのか?
 とはいえ、お金がなければメディアもジャーナリストの生活も成り立たない。インターネット時代になって、読者からの購読料が減り、広告依存のビジネスモデルがより顕著になり、「スポンサーに嫌われることはできない」のが現状でもあります。


 この本を読んでいて特に印象に残ったのは、竹田ダニエルさんが語っている「アメリカの若者たちが置かれている状況」の話でした。

竹田:自分のアイデンティティのためだけに、オバマやハリスに代表される民主党の政治家をポップカルチャー的に支持できる政治の時代は終わったと言えます。これまでアメリカの帝国主義的でアメリカ・ファーストな行動が国内で容認されてきたのは、一般的なミドルクラスのアメリカ人に恩恵があったからです。
 しかしミドルクラス自体が消滅しつつある中、恩恵はないどころか被害が膨らんでいる。カリフォルニアにある私の家の近くでは今、ガソリンが1ガロン(約3.785リットル)7ドル(約1050円)以上と、少し前の2倍以上になっているし、かつて5000円で買えた生鮮食品が1万円する。政権はそうした過度のインフレも止めようとしていない。対策をすると口約束をしながらも、市民たちの実感としては「止めようとしていない」ようにしか見えない。日々の生活の実害を考えれば、支持できないと思う人が増えるのは当然ですよね。
 でも市民はこの状況にどう抵抗すればいいのかもわからない状況です。働き続けなくては生きていけないから抗議活動にも参加できない。搾取されるだけされて、無気力になっている人がいかに多いか。

竹田:家賃の高騰は深刻な問題です。USバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)の学部生の10人に1人がホームレス状態を経験したことがあるという統計もあります。高層マンションや集合住宅の建設がなかなか許可されないため、狭いけど安い部屋という選択肢がない。日本の狭い賃貸アパートの動画が「羨ましい、こういう部屋があれば若者も住めるのに」とSNSでよくバズるほどです。

竹田:将来への不安。これは左右関係なくアメリカの若者全員にあると思います。みんなギリギリの生活をしながら、もっと稼がなくちゃと思っている。暮らしていくために副業をしたり仕事をかけ持ちしたりしなければならない状況にある人もいるし、よい大学さえ卒業すれば将来は安泰と言われていたのに、何度応募しても面接を受けても仕事がもらえず、仕方なく実家暮らしをして、親が自分の歳だったときと比較したら明らかに「しょうもない生活」としていて虚しくなる人もいる。
 クレジットカードで1000万円相当の借金をしている人が普通にいるし、それが消費行動にも表れている。コロナ以降、いつ死ぬかわからない、明るい将来が想像できないという不安の上に、死ぬまで働き続けなくてはいけないだろうという前提を抱えているから、クレジットカードで衝動的な高額の買い物をしたり、旅行に行きまくったりすることに抵抗がない人が増えていると言われています。そのような消費行動は”doom spending”と呼ばれ、話題になりました。
 大学を卒業できれば就職でき、仕事を頑張れば将来楽になれるという、いわゆるアメリカン・ドリームは完全に崩壊しています。多くの若者は、「自分たちはずっと嘘をつかれてきた」と言います。ミレニアル世代が薄々気づき始めたその絶望に、早くも10代や20代で直面しているのがZ世代なのです。


 これを読みながら、「日本人はウサギ小屋に住んでいる」と住居の狭さを嘲笑された(と思った)ことを思い出しました。
 あらためて調べてみたのですが、1979年にEC(ヨーロッパ共同体)の非公式報告書にあった言葉で、当時の日本ではかなり話題になりました。
 バカにしやがって!と子供心に憤っていたものです。
 それが、いまのアメリカ、あの広大なアメリカの若者たちが、日本の狭い賃貸アパートを羨ましがっているとは!
 もちろん、アメリカ全土というわけではなく、ニューヨークやカリフォルニアなどのセレブが多い地域の話ではあるのでしょうけど、隔世の感、とはこのことか、と感慨深いものがありました。
 「右肩上がりのアメリカ株」という「お金持ちの世界」の煌びやかさに比べて、アメリカの普通の人々は、ここまで絶望的な状況に置かれているのです。
 とはいっても、竹田さんの視界にあるのは、大部分が立派な大学に行けるような若者たちなんですよ。そりゃ、日本でも京都大学吉田寮みたいに、質素な生活をしていた有名大学の学生もいましたが。「普通の若者」の絶望は、もっと深いのではなかろうか。
 ごく一部の超エリートは機械の体をもらえて、贅沢三昧だけれど、大部分の人たちは、「鉄郎、お前はネジになれ!」と一生搾取されつづけ、ボロボロになって死んでいくだけ。

 いまのアメリカの資本主義社会って、「経済的奴隷制度」みたいなものじゃないのか?(他人事みたいに書きましたが、日本も同じです)

 若者の将来への不安は、アメリカ独自の問題ではありません。でも、「自由の国」「アメリカン・ドリームの国」と理想化できるような状況ではなくなっていて、このままでは、搾取されて野垂れ死にしていくだけだ、という閉塞感が、(何かを変えてくれる可能性が少しはありそうな)トランプ大統領の復活につながった。
 アメリカ人は、バカだからトランプを選んだんじゃない。もう、このままじゃどうしようもないから、選挙権を”doom spending”しただけなのです。
 日本にとっても他人事ではなくて、これからの世界は、国籍や人種よりも「富裕層と貧困層の世界レベルでの戦いの時代」なのかもしれませんね。


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