2020年最大級の話題作『サイバーパンク2077』が、とんでもないことになってしまいました。
どんなふうに「とんでもない」かというと、こんな感じです。
僕もこのゲーム、発売日に買うつもりだったんですよ。
発売日前に公開されたネットのレビューの大部分は、好意的なもので、「これを遊ばないなんてどうかしてるぜ!」みたいな感じでしたし。
買わなかったのは、地雷臭をかぎつけたからではなくて、スイッチの『ダービースタリオン』をやっていて、どうしようかな、と思っているうちに『サイバーパンク2077』に関する悪評がネットを駆け巡っていったからで、運がよかっただけに過ぎないのです。
しかしこれ、どうしてこうなった、というか、少なくともPS4やXbox One版をこの状態で発売したのか唖然とするレベルではありますね。
ネット時代になって、パッケージ版だけだったときよりは、「リリース後にネット経由でアップデートする」ということが可能になりました。
時間をかけ、サービスを100%完成させてから発売するよりも、ある程度できた時点でリリースし、ユーザーの反応をみながら改善していく、という発想があたりまえのものになってきてはいるのです。
とはいえ、この『サイバーパンク2077』に関しては、PS4やXbox One版は、まともにプレイできる状態ではないみたいだし、ちょっとやそっとパッチをあてたところで、劇的に快適になるとも思えません。メディアへのレビュー用のゲームはすべてPC(パソコン)版で提供されていたそうですし、クリスマスシーズン前に家庭用ゲーム機版もなんとか発売するために、PS4やXbox One版は表に出さなかったのではないか、と言われています。こんな状態でリリースしたら、どうなるか想像できそうなものですが、開発側も余程追い込まれていたのでしょうか。
世の中に「ひどいゲーム」「未完成なゲーム」はたくさんありますし、最近ではβ版であることを明示してユーザーに遊んでもらい、反応をみながら開発をすすめていくゲームもあるのですが、『サイバーパンク』については、そういうアナウンスがなされていたわけでもないようです。
PC版は、ハイスペックな機種で遊べば、けっこう面白い、という意見も多いのです。
『サイバーパンク2077』のPS4やXbox One版は、あまりにひどいデキに対するユーザーの憤りに、希望すれば返金対応してくれることになり、家庭用ゲーム機ではダウンロード購入できなくなったそうですが、まあ、けっこう面倒ですよね、返金の手続きをやるのも。
その面倒くささを考えると、わざわざ手続きするよりも、今後のアップデートに期待する人もけっこういそうな気がします。微妙な金額なんだよなあ、ゲームソフト1本分って。諦めるには高すぎるけど、煩雑な手続きなら「もういいや」と思ってしまいそう。
僕は、今回の件で、思ったんですよ。
こういうことや初期不良の可能性もあるんだから、テレビゲームなんて、発売日にわざわざ買うのは馬鹿げているのではないか、と。
今の世の中であれば、発売日から1週間も経てば、ネットやAmazonに(これがまた微妙というか、「箱が汚れていましたので☆1つ」みたいなのもたくさんあって困るんですけど)、さまざまなレビューが出てくるので、それを確認してから買えば、地雷原に踏み込む可能性は圧倒的に低くなるはずです。
それでも、人はゲームを発売日に買いたがる。
ネット社会で、情報が拡散されるのが速くなったことにより、本もAmazonでの予約/初期の売上ランキングで、その後の売れ行きが予測され、発行部数も決められてしまう、という話を聞いたことがあります。もちろん、発売後時間をかけて、口コミでベストセラーになることもあるのですが、どんどん「初速重視」になってきているのです。
だから、売る側も「とにかく最初が肝心」と、いろんなおまけがついた「初回限定版」を出したり、発売前にはメディアにレビューを書いてもらえるようにアピールしたりしているんですよね。
しかしながら、「発売日に買う」というのは、ユーザーにとっては「まだ評価が定まっていないもの、海のものとも山のものともわからないものをつかまされるリスクを取る」ことになります。
1週間、せめて3日間待てば、実際にプレイした人の口コミが集まってくる時代です。発売日に買っても、ちゃんと遊べるのは週末に休みになってから、という人だって多いはずなのに。
パッケージ版にこだわらなければ、ゲームならダウンロード、本ならKindleで、売り切れの心配も要りません。
僕が最近感じているのは、ネット社会というのは、とにかく「速さ」が重視されがちで、さらに、一つの話題が「旬」である期間はすごく短い、ということなんですよ。
この本のなかで、吉本隆明さんと糸井重里さんの思想と行動が分析されているのです。
糸井さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』が、「通販サイト」みたいになってしまっていることを、僕は「なんのかんの言っても、やっぱり稼ぎたいんだな」と解釈していたのですが、著者は、かつて、「モノを消費する社会」の申し子であった糸井さんが、「体験を重視する『コト社会』」が飽和してきたのを察知して、ふたたび「物語を付与したモノを持つこと」の価値に回帰しているのだと述べています。
なるほどなあ、糸井さんは、コピーライターとして「モノ」を売ったあと、『MOTHER』というゲームや徳川埋蔵金で「体験」を人々に与え、そしてまた、「ちょっと高いけど、ストーリーがある商品」を売っている。つねに、時代の少しだけ先を行っているのです。
そして糸井重里と「ほぼ日」は、この変化に他の誰よりも敏感だった。糸井はかつて自らが牽引したこの国の消費社会が終わりを告げようとしていることを極めて正しく、そして本質的に理解していたに違いない。その結果、気がつけば「ほぼ日」はEC(インターネット通販)サイトになっていた。僕たちは「ソーシャル疲れ」という言葉が普及する程度には、インターネット上に過剰にシェアされる「コト」の飽和に直面するようになった。特にスマートフォンの普及以降は、僕たちはTwitterで、Facebookで、LINEで24時間いつでも、どこでも誰かとつながり、「コト」で時間を潰すようになった。その結果として「モノ」に接する時間は希少な「誰とも(直接は)つながらない時間」として相対的に浮上することになった。情報社会からほどよく距離を取るためには、あえて「モノ」に回帰すればよい。それが糸井の時代に対する「回答」なのだ。
僕が中学校の修学旅行で東京に行った際(もう30年以上昔の話です)、同級生たちが、「地元では火曜日発売の『週刊少年ジャンプ』が、東京ではその前の週の金曜日に買えるらしい」というのを聞きつけて、みんなで買いに行き、「東京すげえ!」と感動していたことがありました。そのとき、僕は内心、「来週になれば同じものを地元で読めるのに、わざわざここで買いに行かなくても……」と思っていたのです。
あらためて考えてみると、30年以上前も「人より何かを先に手に入れる快感」や「少しでも早く体験したいという欲望」はあったのです。
今の時代ゲームソフトを発売日に買うというのは、それらに加えて、「自分が先行者であることをSNSなどで他者にアピールできる権利」を得ることにもつながります。
オンラインの要素があるゲームでは、人より先に始めることによって、有利にもなりやすいですしね。
『遅いインターネット』の著者の宇野常寛さんは、この本のタイトルでもある「遅いインターネット」について、こんなふうに説明しています。
なぜ「遅い」インターネットなのか。それはこれまで見てきたように、いまのインターネットの行き詰まりの原因はその「速さ」にあると考えるからだ。もちろん、「速さ」はインターネットの最大の武器だ。世界中のどこにいても即時に情報にアクセスできる。この「速さ」がインターネットの武器であることは間違いない。しかし、インターネットはその「速さ」と同じくらい「遅く」接することができるメディアでもある。インターネットの本質はむしろ、自分で情報にアクセスする速度を「自由に」決められる点にこそあるはずだ。1日単位で話題が回転する新聞やテレビや、週や月単位で回転する雑誌などと異なりインターネットは「速く」接することもできれば、「遅く」じっくりと、ハイパーリンクや検索を駆使して回り道して調べながら接することもできる。そんなメディアがいま、必要なのではないか。そこで、僕はいまあえて速すぎる情報の消費速度に抗って、少し立ち止まって、ゆっくりと情報を咀嚼して消化できるインターネットの使い方を提案したい。そうすることで僕たちはより自由に情報に、世界に対する距離感と進入角度を決定できるはずだ。
逆に「古いもの、ごく少数の人の強い思い入れで成り立っているコンテンツ」も、ネット上にはたくさんあるんですよね。そこにたどり着くには、興味と検索が必要だけれど。
『サイバーパンク2077』には、莫大な投資がされていて、それがゆえに、失敗は許されなかった。完成度や内容に自信が持てる状態ではなかったがゆえに、本当のデキが人々に知れ渡る前に、「期待感」で買わせて、投資金額を回収するしかなかったのではないかと思われます。
そして、ゲームメディアも、そういう事情は知りながらも、広告主であり、コンテンツの提供者でもあるメーカーに忖度し、ユーザーは置き去りにされてしまったのです。
おそらく、メディアが「すべてを知っていた」わけではないのでしょう。
PC版しかプレイできないのに、PS4版はプレイしていないことを明示しなかったのは、迂闊だったのか、「ゲームレビューとは、そういうもの」なのか。
ゲームレビューの老舗である『ファミ通』のクロスレビューは、長年「1点いくらで買える」なんていう噂がつきまとっていますが、それが事実でないとしても、あまりにもたくさんの数が発売され、クリアするには膨大な時間がかかるゲームを4人のレビュアーが何本も発売前にレビューし、点数をつけるなんていうのは、至難の業だと思います。
それでも、ユーザーは、新しいゲームの評価を、少しでも早く聞きたがる。マイコン少年だった僕は「まだやっていないゲームの話には、ある意味、最高のゲームをプレイしているときよりもワクワクできる」ことも知っています。
売る側からすれば、発売日に信じて買ってくれる人がいなければ、評判を広めることもできない。
買う側も「リスクを承知で、人より先にやってみる」ことにワクワクする人は少なくない。
ネット社会というのは、そういうバランスが比較的とれていた部分はあったんですよ。
ネット時代だったら、『燃えろ!プロ野球』や『たけしの挑戦状』だって、あれほどは売れなかったのではなかろうか。
メーカーも、「初動重視」だからこそ、期待が集まる作品には、それなりの準備をして、クオリティが高いものを提供する傾向はありました(もちろん、すべてではないのですが)。
「前評判は、けっこう正しい」という条件がある程度成り立っていたからこそ、どんどんみんな「先物買い」ができていた面はあるのです。
とはいえ、最近は、あまりにも膨れ上がった期待と、開発期間の長さに耐え切れなくなり、「なぜこれをこの状態でリリースしたんだ……」という大作が目立つようにもなってきました。
2020年の9月に出た、『アベンジャーズ』のPS4版、YouTubeなどで広告をみて「面白そう!」と思ったのですが、発売後の反応はかなり酷いものでした。まだ発売されて3ヵ月くらいしか経っていないのに、すでに新品1000円で売られている店もあるそうです。
Marvel's Avengers(アベンジャーズ) -PS4
www.amazon.co.jp
こういうのは、もっと時間をかけていたら、良いものができていたのか、それとも、最初から方向性が間違っていたのか。こんな形でも、製作費をそれなりに回収できてよかったのだろうか。
書きはじめた時点では「発売日には買わずに、発売後のみんなの反応をみてから買っても、全然遅くもないし、そのほうが賢いよ」っていう、ごく当たり前の結論で、この話を終わろうと思ったんですよ。
ただ、これを書いていて、前掲の『遅いインターネット』の感想を書いたときのことを思い出しました。
僕があのエントリを出したのが2020年2月27日で、本の発売日は2月20日でした。
あるブックマークコメントに「こんな内容の本であるにもかかわらず、発売直後に感想を書くのか」というのがあって、僕も「それは確かにそうだな」と考え込まずにはいられなかったのです。
僕自身も、こうしてわかったようなことを言いながら、「なるべく早く反応したほうが、報酬は大きくなる」という意識を持っているのは事実です。「レビューする側」は、「遅くなっても、ちゃんとしたレビューを書く」よりも、「とにかく早く、みんなが興味を持っているうちに出す」ことを優先せざるをえない。僕のような少しお金が稼げることもある趣味レベルではなく、仕事であれば、なおさらでしょう。
『サイバーパンク2077』をちゃんとやり込んで、3ヶ月後に濃密なレビューを書いても、発売直前・直後に比べたら、PV(ページビュー)数は、ずっと少なくなるはずです。
攻略サイトとか、「まだ発売されたばかりのゲームのはずなのに、なんでこんなに早く完成しているんだ?」って感じですしね。
オンラインゲームじゃなくても、「いま、みんなが遊んでいるゲームを、同じタイミングでプレイしている」ということの「意味」や「価値」が、どんどん高騰している時代の流れを、変えることができるのだろうか?
正直なところ、僕はずっと「発信する側」「受信する側」をやってきた実感として、「遅いインターネット」って、主流にはならないだろうな、と感じてもいるのです。無くなることもないだろうけど。
発売日に買うと、「『サイバーパンク2077』って、こんなクソゲーだった!」というのも、それはそれで「ネタ」になるし。