若い頃、自分は「コツコツ努力する」のが苦手な人間だと思って生きてきた。めんどくさい本を読んだり、マイコンの前で延々とBASICのブログラムを打ち込むのは、全く苦にはならなかったのだけれども。
ただ、幼少時から、やたらとコンプレックスが重くのしかかっていて、「自分のような、ルックスが悪くて、運動音痴な人間は、なんとか勉強で生きていくしかない」とは思っていたのだ。
だから、それなりには勉強したつもりだったのだが、やっぱりテレビゲームや読書のほうが楽しかった。
高校時代、全寮制の男子校に行っていたのだが、とにかく寮生活が苦痛でしかたがなく、夜の「学習時間」も、参考書のカバーをかけて、本ばかり読んでいた。
それでもなんとか「そこそこ」と言えるくらいの大学に受かり、自分には向いていないなあ、と思いつつ国家資格を取り、もうちょっと立派な職業人になるはずだったのになあ、と溜息をつきつつ、今に至っている。
とりあえず、ごはんは食べられている。近所の食べ放題じゃない焼肉屋で、会計を意識せずに腹いっぱいになるまで注文できるくらいには。
最近は、向いていない仕事を選んでしまったのではないか、という後悔の分量はけっこう減ってきて、自分にとっては不本意な選択を流されてしてしまったことによって、いま、生き延びられているのではないか、という幸運と落胆が相半ばしている、といったところだ。
これを書いたのは、もう13年も前なのか。
書いた当時はまだ30代前半であり、もう30代前半でもあった。
半世紀くらい生きてきて実感しているのは、僕は「コツコツ」が自分では苦手だと思っていたけれど、それは僕の理想や目標値が高かったからで、世の中には、もっと壊滅的に「コツコツ努力する」ができない人がいる、それも大勢いる、ということだ。
僕の場合は、「コツコツ頑張れる人たち」の割合が多いフィールドで戦ってきて、地方予選準々決勝くらいで負けてしまったので、自分のなかでは「もっと頑張れたのではないか」という後悔があるのだが、それなりにコツコツやれる能力があったおかげで生きていられる、という現実も認識せざるをえない。
努力を絶やすことなく東大とか京大に合格したり、大きな会社で活躍している同級生に対して、「自分と彼らを分けたものは何だろう?」とも思う。
ただ、僕自身の経験や見聞で言うと、高偏差値や有名企業が人生を100%幸福にしてくれるものではなくて、むしろ、エリートにはエリートの地獄がある、とも感じているのだ。
そもそも、人には、人それぞれの地獄がある(いや、天国だって、たぶんあるのだけれど、「コツコツ派」は、やたらと自己肯定したがるか、地獄ばかり見ようとしてしまうかの両極端な気もする)。
半世紀生きてきて思うのは、身も蓋もない話をすれば、「コツコツやる」ことができるのは、自分が得意なことや好きなことだったからではないか、ということだ。
たとえば、僕は20年くらい、ほとんど毎日こうやって日記やブログを書いているのだけれども、書くのがつらいとか、努力して書いている、と感じたことはほとんどない。
多少炎上しているときや、ストーカーみたいな人に嫌がらせをされたりしたときには、止めようか、とは思ったけれど、僕は「何かを書いて、それに対する反応(それはPV(ページビュー)数だったり、なんらかのコメントだったりする)を得たり、自分なりにうまく書けたときの満足感を得る」のが楽しかった。もちろん、慣れや飽きが無いとは言わないが、今でもけっこう楽しい。もうちょっとお金になる仕組みをつくっておけばよかった、と思わなくはないけれど、逆にこれで稼げないから本業へのモチベーションが維持されている面もある。
僕にとっては、「日々、釣り糸を垂れて、毎日の釣果の違いを愉しみつづけている」だけなのだが、俯瞰すれば「こんなに毎日コツコツと書き続けている」ように見えるのではなかろうか。
本人は、努力など、まったくしていないのだが。
一時は、飲み会の後に睡眠時間を削って書いたりしていたけれど、それは「そうしたかったから」だ。
僕は「勉強ができる人の世界」を裏窓くらいから覗く機会が少なからずあったのだが、世の中には「勉強やトレーニングが基本的には楽しくて仕方がない人」や「自分というキャラクターの単調なレベル上げが苦にならない人」というのが存在する。僕にとってのテレビゲームやエンタメ本が、彼らにとっての勉強や練習や自己研鑽なのだ。
「コツコツと努力する」というのは、あとで俯瞰したときにそう見えるだけで、当事者にとっては「好きなことを毎日やっていたら、いつの間にかずっと続けていることになった」だけではないか、という気がする。
そして、世の中で役に立ったり、お金になったりすることが「自分にとって楽しいこと」と合致した人が、「勝ち組」になれる。
あとは、子どもの頃に、「努力による成功体験」をうまく得られたかどうか。
僕は競馬をみていて、ときどきせつなくなるのだ。
きっと、馬たちのなかには「走るのは遅いけど、ものすごく賢いやつ」とか「性格が良くて、仲間に愛されるやつ」もいるはずだ。
でも、彼らの多くは「駄馬」と見なされ、長生きできない。
「脚が速い」という価値を持っていないから。
それを考えれば、人間というのは、まだ多様な価値観で評価されているのかもしれない。
僕などは、「そこそこコツコツやれる」から、こうして生き延びていられることを自覚している一方で、「もっと徹底的にコツコツやれる」人たちに打ちのめされて生きてきた。
だから、「コツコツやれるのが正義」という価値観への愛憎が入り乱れている。
「がんばれない人」がいるのはわかるし、仕事上、そういう人もたくさん見てきた。
メディアで報じられる、概念的な集団としての「がんばれない人たち」には、「だからといって、見捨てられても仕方がない、ってことはないだろう」と思う。
だが、実際にそういう人たち、そのなかでも、とくに「自分でやる気のない人たち」に接することは、僕をかなり疲弊させてきた。
「コツコツと努力できないのも人間」だと思う。
しかしながら、「目の前の人があまりにも自分の権利ばかり主張して何もしてくれないと、苛立つのもまた人間」ではある。
包摂というのは綺麗な言葉だけれど、「社会がなんとかしろ」という人の多くは、その「社会」から自分の存在を除外している。
今の世の中では、「なんでも効率よく、ラクにやる方法」「短期間で一気に儲かるやり方」がもてはやされて、「努力」的なものが否定されやすい。
「人生」において、「コツコツと努力を続けること」が(表向きは)否定されがちなのに、ソーシャルゲームでは「コツコツとレベルアップ」を、お金を払ってまで続ける人がたくさんいる。
この本の著者は、アメリカでの「リベラリズムとしてのプロテスタント」をこう述べている。
マックス・ヴェーバーが指摘したのは、さらにこの先で起こった二重予定の考えの反転だ。神が救いへと予定に定めた者は天国に行けるだけではなく、この世でも祝福に満ちた人生を送れる、という考えを超えて、逆にこの世で成功している者こそが天国に行ける者であり、それが、神が救いを予定したことの証明だという考え方である。
だからこそ、この世での成功がアメリカでは宗教的な救済の証明となった。成金や成り上がり者が嫌われるヨーロッパや日本のような伝統社会とは違って、もともとそのような伝統がないアメリカでは与えられた人生で成功した者こそが神の祝福を受けた者だとされたのだ。これがアメリカの自由な競争という市場の考えと結びついて、一代での成功物語こそがアメリカの美談になる。それだけではない、この社会には国家教会や社会の正統などがないのだから、市場で成功し、勝利した者こそが正義であり、真理であり、正統になる。これがアメリカ的なイデオロギーに宗教が与えた影響であろう。結果こそが真理となる。神の祝福のこの世でのしるしだということになる。実際にここで成功し、うまくいっており、勝利し、よく機能している事実こそが真理なのである。
太平洋戦争後、アメリカの影響を強く受けながらも、「神」や「宗教」という背景を持たず、「市場で成功し、勝利した者こそが正義であり、真理であり、正統」になったのが、今の日本だとも言える。
「拝金主義」と言うけれど、それはアメリカでは「拝神主義」と同じことを示していたのだ。
嫌味な言い方をしてしまえば、社会の「上流」は、「コツコツ努力すること」を伝統文化として抱えていて、どんなにIT産業が盛んになっても、人間の「勤勉さ」が生き残る武器であることを子どもに教え続けているのだ。
「役に立つ」ことに興味を向けやすい環境も整っている。
その一方で、「下層」になると、成功体験も得られず、「コツコツ頑張ってもムダだ」と思うようになり、とりあえず今が楽しければいいや、と、非生産的な快楽にお金と時間を使い、楽天カードローンでリボ払いにすることに抵抗がなくなってしまう。
あるいは、グーグルアドセンスに早く合格することだけを競って、「稼げる人間」であろうとしている。
仮に審査に受かったとしても、合格ラインギリギリの、スカスカおせちみたいなサイトで稼げるはずがないのに。
「一発逆転」を狙おうとすると、かえって搾取されるのが世の常だ。
僕には、正直、よくわからないのだ。
自分は成功しているとは思えないが、失敗だと認めるのはつらい。
大概の人生というのはそういうものなのだろうし、そもそも、成功とか失敗で語ろうとするから面倒なことになっている。
結局、人生なんて、みんな、なるようにしかならないのかな、と思考停止してしまうことも多くなった。
それでも、「コツコツ努力できる人は、したほうがいい」とは思う。
刹那の快楽を追い続けるには、人生は長くなりすぎたから。
個人的には、人にむやみに馬鹿にされなくて済んでいるだけでも、かなり救われている。
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