いま、そこにある反社 - いつか電池がきれるまで

いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

いま、そこにある反社


 今回の宮迫さんたちの件については、なんとも言い難い気分になっている。
 なんのかんの言っても、詐欺集団に対して仕事として芸をしてお金をもらったのは事実だし、それはけっして「良いこと」ではない。
 ただ、「被害者感情を考えろ」とはいうものの、この件に関して、僕の観測範囲では、怒りを表明している被害者を見てはいない。
 そういうのに騙された、なんていうのをアピールするのは恥だ、と思って、口をつぐんでいるだけなのかもしれないけれど。
 あの宮迫さん、田村亮さんの会見で、僕がいちばんスッキリしなかったのが、ふたりが冒頭で、「世間の皆さんを不快にさせてすみませんでした」と謝っていたことなのだ。
 本来、謝罪というのは、間違った自分の行為や言動に対してなされるもののはずで、「あなたの感情を害したから」というのを基準にしてしまうと、ネットではいろんな人の謝罪会見が流れっぱなし、ということになってしまう。今回謹慎させられた芸人たちは「目先の現金や人間関係のために、自分のキャリアにとってマイナスになることをやってしまったこと」を深く後悔していたとしても、「自分が悪いことをした」という感覚は、あまり無いような気がする。そこで「被害者の気持ちを考えろ!」とやりたいところなのだが、あいにく僕は被害者ではない。ただ、有名人や社会的な地位がある人は、反社会的勢力の「広告塔」にならないように注意する必要があると思うし、それは、責任ある立場でお金や名声を得ていることに伴う責任だとは考えている。


 思い出したことを書く。
 僕の父親は、田舎で病院をやっていて、地方の名士(自称)として、夜の街に毎日のように繰り出していた。
 反社会的な勢力に共感していたわけではないと思うが、夜の街では、いわゆる「反社会的勢力」と接する機会もかなり多かったらしい。
 もちろん、彼らを支援していたわけではないけれど、知り合いの知り合い、みたいな形で、酒席を共にすることもあったようだ。
 それはそれで、致し方ない面はあったと思う。いまから30年も前の田舎の人間関係、とくに飲み会でつながるような関係というのは、きれいごとばかりではなかったのだろう。

 ただ、僕も含めて、家族は、そうやって連日連夜、飲みにいって、よくわからない人たちと接している父親のことを理解できなかったし、「そういうのは医者として間違っていると思う」と僕は何度も言った記憶がある。だが、父親は、そういう家族の態度に、さらに孤独感を深めたのか、飲みに行く回数が減ることはなかった。
 酔っぱらうと、ときどき、「反社会的勢力」みたいな人に「いい男だと褒められた」みたいな自慢にもならない自慢をして、さらに僕を辟易させていた。
 
 「反社会的勢力」と芸能人との話がいろいろと流れてきている。
 今の「反社」は、30年前よりも、ずっと「普通のひと」っぽい、という話も聞く。
 そもそも、彼らは「私は反社会的勢力です」というタグをつけて歩いているわけではない。だから、見分けなんてそう簡単にはつかないのだ。

 僕だったら、エグザイルのメンバーが隣に座ったら「反社か?」って身構えてしまうだろう。
 まあ、「一般人」と「反社」の見分けが、以前よりもっとつきにくくなっているのが、今という時代なんだけどさ。


 彼ら(反社会的勢力)は、自分たちにとって利益になるような相手に対しては、笑顔ですり寄ってきて、ほめそやし、金銭的な利益を与えたり、お金を持っていそうな人にはたかったり、甘えたり、何かあったら力になりますよ、と言ったりする。
 だが、「案外怖くないな」などと関係をつくってしまったり、何かで頼ったりすれば、ある日突然、その「関係」そのものを武器にして、脅し、ゆすり、たかりを始める。
 あるいは、相手の「侠気」をほめそやして、お金を引き出そうとする。


 僕は父親が酒に酔って、高倉健とか菅原文太などの任侠モノの世界の一員になったつもりで浮かれていたのをみて、心底情けなかった。
 そいつらは「立派な男」なんかじゃない、ヤクザとか暴力団なんて、弱い人間を喰い物にしているだけじゃないか。
 そして、あなたは自分を喰おうとしている相手に褒めそやされて、自分がすごい人間になっていると思い込んでいるだけだ。バカだよバカ。

 父親は、そんな僕との不毛なやりとりをしていた時期に、若くして死んだので、結局のところ、どういう気持ちでああなっていたのか、僕にはよくわからない。
 
 僕はひとりで外で酒を飲まないし、反社っぽい人との接点は医者と患者として以外には、持たないようにしている。
 自分から人脈を過度に広げようとしなければ、ほとんど接点は生まれないし、僕はあちらにとっても魅力のある人間ではないだろう。
 その一方で、なんらかの形で「人脈」を広げようとしていれば、とくに夜の街を徘徊していれば、どこかでつながってしまう可能性は今でも、誰にでもあると思う。
 

 僕は不良もの、ヤンキーもの、任侠もの、ヤクザの絆を美化した作品は、いまだに観る気がしない。ああいう作品がつくられてきた文化があるから、日本では、「裏社会にまで『人脈』がある俺、カッコいい!」みたいな壮絶な勘違いが生まれ続けているのではないか、と根に持っているのだ。
 宮迫さんの収入とああいう形での「闇営業」のリスクを考えれば、あんなことをやる必要はなかったはずだ。 
 だが、僕より少しだけ年上で、ほぼ同世代の宮迫さんは、「後輩の入江さんに頼まれた」ことで、「後輩に先輩としていいところを見せてやろう」という気持ちと、「こんな裏社会っぽい人にまで顔が効く自分」を少し誇らしく思うのが入り混じっていたのではないか。もちろん、島田紳助さんの件もあったので、「これが表沙汰になったらマズイな」という不安もあっただろうけど。


 僕自身もけっしてクリーンな人間ではない。
 『龍が如く』で、自転車とかを振り回しながら、「大嫌いなはずの属性のキャラクターを嬉々として操作している自分」に幻滅しているし、『ゴッドファーザー』シリーズは、観るたびに、すごい映画だ、と感じる。
 いちばん嫌いなものは、いちばん好きなものなのかもしれない。
 父親の件がなかったら、僕は、反社会的勢力のコンテンツが大好きな人間になっていて、夜の街で、父親と同じことをしていたのではないか?

 だから、宮迫さんたちが悪い、とか、仕方がないことだったと擁護したい、とか、そういうわけではないのだ。
 うまく説明できないが、自分の傷口をなぞるようにして、この文章を書いている。

 ただ、あれだけ「反社との接点」を多くの人が批判し、「被害者の気持ちを考えろ!」と芸能人たちを攻撃する一方で、まだ、多くの人の内心に「裏社会カッコいい!」「あれこそ漢(おとこ)の世界!」みたいな感情が潜んでいるのではないか、とは感じている。

 そして、いま吉本興業について語られていることは、「吉本興業ブラック企業で、芸人たちがかわいそうだ」ということばかりのように思う。
 それはたしかに、改善すべきことだろう。
 
 でも、僕は今回の最大の問題点は「芸能人や芸能事務所は、反社会的勢力の広告塔にならないように、細心の注意を払わなければならない」ということだと思っている。スパイダーマン風に言えば、「大きな力には、責任が伴う」のだ。

 ところが、そこがぼやけてしまって、「人気芸人がクビになって、ざまあみろ!」とか、「吉本みたいな大企業が没落していくのは面白いなあ」みたいな「より石をぶつけやすい、大きなものにターゲットを移して、快哉を叫ぶくゲーム」になってきているように感じる。
 いちばん大事なのは、「みんなを不快にさせたこと」ではないはずだ。
 人気芸人や「笑い」を提供するはずの企業が、自分たちの利益=お金のために、踏み越えてはならない一線、弱者を喰い物にする連中に「協力」したことだ。
 個人的には、宮迫さんたちに絶対引退しろ、とか、吉本つぶれろ、とか思ってはいない。
 ここで宮迫さんが引退しても、「反社会的勢力とつながったということで追放された、元人気芸人」がひとり生まれるだけで、そんな人間の余生が、他者の幸せにつながるとは思えない。償える罪だし、その能力を反社会的勢力の怖さを広める活動や被害者のサポートに活かしてほしい。『アメトーク』のカープ芸人とかキングダム芸人、桃鉄芸人の回を、「あーあ」って思いながら観るのも嫌だし。

 正直、個人的な感情、という部分では、「反社会的勢力に関わったやつらは、みんな見せしめに強制引退!」と言いたい。
 それが自分の怨念をぶつけているだけ、というのは百も承知だ。
 

 僕のような人間を、もう、増やしたくない。
 支離滅裂な文章で、申し訳ない。


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