これを読んで、考えたこと。
人間というのは、めぐり合わせとか縁とか運みたいなものに、大きく左右されて生きている。
昔聞いた話で記憶に残っているのは、エネルギー産業で石炭全盛だった時代には、東大を首席で卒業したような人たちが、みんな石炭業界に就職していたのだが、その後の産業構造の変化によって、彼らの多くは職を失ったり閉山のときに矢面に立たされたりして、厳しい職業人生を送った、というものだった。
テレビが新しいメディアとして生まれたときも、まだ普及率が低かったこともあり、映画やラジオよりも低くみられており、変り者やはぐれ者が行くところだったという。
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塩見さんの人生とこの雨宮さんのエントリに対して、さまざまなコメントがされているのだけれど、僕はものすごくシンプルに「面白くてせつない人生だな」と思った。
塩見さんはテロリストだし、賞賛するつもりはさらさらないのだけれど、違う時代に生まれたら、違う人生もあったのだろうな。
この人はけっしてバカではなかったはずなのだが、結局、死ぬまで「世界同時革命」という呪縛から逃れられなかった。
いや、内心はどうだったのだろうか。
ソ連が崩壊していくのをリアルタイムでみてきたわけだし、漏れ伝わってくる北朝鮮の状況も知らないはずがないわけで、にもかかわらず、「転向」しようとはしなかった。
現実を見ろよ、と多くの人は思うだろう。
僕だって、そう思う。
だが、学生運動をやってきた高偏差値の学生たちは、その季節が終わると、あっさりと転向し、大企業に就職して日本の高度成長を支える労働者になっていった。それを「裏切り」と捉えている人も少なくない。
転向すれば裏切り者と言われ、しなければ時代を受け入れられないヤツとバカにされる。
塩見さんは、最後まで、世界同時革命を本当に信じていたのだろうか、それとも、もう後には引けなくなってしまっただけなのか。
いずれにしても、とかく人の世は生きにくい。
そして、人というのは、自分が何かを成し遂げてきた(と思っている)ことや、知っているはずのことに対して、変化を受け入れるのは本当に難しい。失敗や自分が間違っていたことを認めるのは、偉かった人ほどキツイのだ。
そして、権威者だった人ほど、いつまでも「自分の物差しが通用するものだと思い込んでいる」
冒頭の記事のなかに、こんな記述がある。
そこには、「お前は左翼でもなんでもない」「だいたいマルクスも読んでいないのに左翼とは何事だ」などという言葉が書かれていた。おそらく、塩見さんにとっては最大限の罵倒だったのだろう。しかし、こっちにとっては痛くも痒くもないのだった。が、この時、私は心の中で決意した。絶対に、自分のことを「左翼」などと名乗らないでおこう、と。
年少者を「勉強不足」と罵倒する権威者はみっともないが、それが年少者の側には「もう、そんなもの時代遅れだし」とスルーされてしまう権威者というのは、ものすごくせつない。
塩見さんを「マルクス主義者の亡霊」みたいに小馬鹿にしたくなる一方で、僕だって、時代遅れの治療法を若い人に教えたり、いまの学校の様子を知りもせずに「いまの教育は……」なんて語ったりしてきたわけだ。
自分の子どもが幼稚園や小学校に行くようになって、ようやく僕の学校教育の知識は少しアップデートされたのだけれど、それでも、ある学校のある学年の親の立場からみただけのものでしかない。
しかし、そういう「権威」さえ重んじられなくなった時代というのは、年寄りにとっても生きづらいだろうな。
個人的には、マルクスを「僕たちの失敗」のように捉えることに対して、少し違和感もあるのだ。
マルクスがやろうとしたことが間違っているというのではなくて、現実の人間にはそれを正しく運用できないだけなのではないか、とも思う。
社会主義が生きていた世界というのは、資本主義の世界の労働者にとって、生きやすい時代だったのかもしれない。
資本家たちも、「あまり搾り取りすぎては、社会主義になびくかもしれない」と、福利厚生に力を入れざるをえなかったのだから。
「資本主義が現状、唯一の正義」となったいまの時代、資本家たちは、労働者に遠慮せず、利益を追求するのが正しい、と考えている。
「どうせ、お前たちには、他に生きる世界などないのだから」
まあでも、自分が社会主義国家で暮らすのはイヤだけれど、資本主義の行きすぎをセーブするために、君たちは社会主義で我慢してね、なんて押し付けるわけにもいかないよね。
ただ、人類の歴史の輪のなかで、いつか、マルクスが再び脚光を浴びる日が来るのではないか、とも思う。
(寿命的に)僕がそれを見る機会があるかどうかは別として。
あと「左翼」という言葉はずっと使われ続けているけれど、その内実は、少なくとも太平洋戦後の日本だけでも、だいぶ変容しているように思う。
2017年に生き残っている「左翼」のなかで、ある程度のボリュームがあるのは、「資本主義体制にも自衛隊にも文句はないが、拳法改正には反対で、もう少し労働者や社会の底辺にも優しい政治をやってくれ」というグループだ。
塩見さんからみれば「こんなの左翼じゃない」のだろうと思う。
一時期右翼だった私が貧困問題に取り組み始めたことで、当時、やたらと「左傾化した」「左翼になった」と言われていた。とりあえず便利なので使っていたその言葉だったが、左翼に「なる」にはマルクスを読破するなどの「資格」が必要なようなのである。そんな七面倒臭いものならこっちから願い下げだ。その点、右翼はある意味寛容だった。「日本が好き」とか、そんなゆるふわな感じで今すぐなれるし必読図書もない。
なぜ左翼の勢力が伸びないのか?
「はてな左翼」と呼ばれる人たちをみていると、彼らは「弱者への包摂」を訴える一方で、自分たちの価値観に合わない異物は、「お前たちは何も知らない」「語る資格がない」と、ひたすら排除、排斥しているように感じる。
それも、傍から見ればごく小さな違いにこだわって、マウンティング合戦をやっている。
自分たちが圧倒的に強い立場でいられて、崇めてくれる相手には優しいが、同じ舞台に立つことは許さない。
もちろん、そんな人ばかりじゃないはずだ。
でも、ネットでは、そういう人が「サヨク」として悪目立ちしている。
いわゆる「ネット右翼」とか「はてな左翼」とかをみていると、彼ら自身が抱えている「生きづらさ」みたいなものを強く感じることがあるのだ。
自分が必要な人間であることをアピールしたい、他者に寛容であるとしても、自分が失敗すること、否定されることには耐えられない、というのは、自己肯定感の低さを反映しているようにも思う。
「他人から必要とされたい」という欲求は、人によっては「自分の好きに生きたい」よりも、ずっとずっと強い。
人生が党派を帯びてしまうと、その党派以外からは敬遠されがちだ。
その党派の中で生きていき、重んじられるには、より敬虔な信者としてふるまうしかなくなってしまう。
塩見孝也さんは、本当に「革命バカ一代」だったのか、それとも、人生のある時点から、「革命バカ」として生き抜くしかなくなってしまったのか。それとも、この両者は、結局、同じことなのか。
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