『シュタインズ・ゲート』15周年か……僕も年を取るわけだ……
と思ったのですが、15年前はすでに30代半ばだったわけで、そんなに若くもなかったのに、XBoxからPSPに移植された『シュタゲ』をなんとなくプレイしはじめ、序盤は、なんだこの僕にしかわからないようなオタクテキストの嵐は……こんなマニアックでハードル高そうなゲームがそんなに売れているのか?しかもなんか主人公変なヤツなのにモテすぎだろ常考……
僕自身は、まだ電気街だった頃の秋葉原に家族旅行で連れてきてもらったことがあって、「ここではこうやって買うんだぞ」と電気製品の値切り交渉をしている父親に「なんかカッコ悪いなあ」と感じた記憶があるくらいです。
昔、マイコン雑誌の『I/O』に、東京の秋葉原、大阪の日本橋のマイコンの価格情報とか載っていたよなあ。
などと思いつつ、膨大なテキストとオタク&ラブコメ展開を流し読みしていたのですが、途中から(あるラボメンバーの悲劇を回避するためのループに入ったくらいから)この世界にのめり込んでしまい、クリアするまで(トゥルーエンドまでの分岐ポイントは正直よくわからなかったので、攻略サイトのお世話になったのですが)、PSPを持ち歩き、寝る間を惜しんでプレイしていました。
自分で遊んでみるまでは、いわゆる「ノベルゲーム」ってやつは、キャラクターの声が入っているのと多少の分岐があるくらいで、テキストを読むなら本を買ったほうがずっと安いし、ボイス目当てならアニメを見たほうが良いしで、割高で存在意義はないのでは、と思っていたのです。元々僕は歴史とかコンピュータのほうが恋愛ものよりずっと好きで、「萌え系」「18禁系」にはあまり興味がなかったし。それは所詮2人の関係のことでしかなくて、それで世界の何が変わるの?と。
僕みたいな斜に構えた人たちが、いわゆる「セカイ系」のメインターゲットになっていったのでしょうけど。
『シュタインズ・ゲート』をプレイしていて感じたのは、悲劇が繰り返し起こるのを目の当たりにするなかで、「自分でボタンを押して先に進める」という、ただそれだけの行為が加わるだけで、物語への没入感がこんなに変わるのか、ということでした。
本やアニメの物語は、こちらはあくまでも「観客」で、流れていく物語を目撃するしかないのだけれど(それは、シュタゲでの「悲劇のループ」でも同じことです)、そこに「自分でボタンを押さないと次のテキストが表示されない」「どういう結果にリンクしているのかわからない選択肢」という要素が加わるだけで、こんなに「当事者感」が生まれるものなんですね。
あの、画面いっぱいに表示された「◯◯した」の衝撃と無力感は、すさまじかった。
岡部倫太郎役の宮野真守さんと椎名まゆり役の花澤香菜さんは、その後、声優界のアイコンとも言うべき存在になっていきました。
花澤さんの名前を見かけるたびに、「あっ、椎名まゆりの人がこのアニメにも出ている!」とちょっと嬉しくなっていたのです。
星野源さんとW主演でアニメ映画にも出演されていて、そこでもものすごく存在感があって。
『鬼滅の刃』があまりにも大ヒットしたために、花澤さんも「鬼滅声優」のカテゴリーに入れられることがあるのですが、花澤香菜は椎名まゆりなんだよ!トゥットゥルー!と声を大にして言いたい(けどおっさんが口にするのは恥ずかしいので心の中で思っていました)。
アニメ化された作品も大ヒットし、その後『シュタインズ・ゲート・ゼロ』も作られたのです。
アニメの表現を取り入れた『シュタインズ・ゲート・エリート』がリメイク作品として発売されたり、さまざまなスピンオフ作品も出ています。
僕にとっては「ノベルゲー沼」にハマるきっかけでもあり、いわゆる「18禁シーン」がなくても、物語の力だけで、多くのユーザーに支持されることは可能なことを証明した作品でもあります。
ゲームからアニメ化でファン層を広げ、メジャーになっていく、というルートを開拓したのもこの作品の大きな功績なのですが、現時点では「出発点にして、最高到達点」だとも言えるかもしれません。その後も「テレビゲーム発」のアニメ作品はけっこうたくさん出ているのですが、(マリオのアニメ映画は別腹として)シュタゲほどの成功を収めた作品は現れていません。
冒頭の15周年イベント、僕も行きたかったけどチケット取れませんでした。
今ではラボメンの声優さんたちはみんな多忙になっています。
おそらくこういう機会でもなければ再集合することは難しいであろうラボメンたちを見たい!とチケットに応募しまくってみたのですが、全く当たらず、リセールもほとんど見かけず、という状況で、会場で見ることはできませんでした(かなり狭き門だったみたいです)。
配信は購入したもののまだ観ていないのですが、見たら終わっちゃうしなあ、みたいなモラトリアム状態(視聴期限があるのですけど)。
あと、こんなイベントができてしまうパチンコマネーは、昔ほどではないにしても、けっこう強力なんだなあ、とも。
シュタインズ・ゲートの新しい台がニューギンさんから出るので、そのプロモーションの一環、でもあったのでしょう。
このイベントのなかで、2025年に『STEINS;GATE RE:BOOT(シュタインズゲート リブート)』が出ることが発表されました。
dengekionline.com
『シュタゲ』の続編、第1作の「続き」が開発されている、というのを何年か前から噂に聞いていて、ついに、か、と思っていたら、
本作は2009年に発売した想定科学アドベンチャー「STEINS;GATE」のリメイク作品。グラフィックをリファインし、ストーリーにも一部追加要素が加わるとのこと。
だそうで、リメイクかよ!エリートついこの間出したじゃん!と、ちょっとがっかりしました。
まあでも、それはそれで、こうしてシリーズ作品が出るということは、作品が愛され、生き続けているということですから、悪い話ではないし、『リブート』が出たら久しぶりに僕もプレイしてみようと思っています。
そもそも、『エリート』が出たのも2018年ですから、もう6年前ですし。
最初の『シュタインズ・ゲート』が出たときには、上の子はまだ1歳で、下の子は生まれてもいなかった。
『リブート』ではじめて『シュタゲ』に触れる若いゲーマーも大勢いるはず。
もうすぐ発売される『ドラゴンクエスト3』のリメイク版にしても、最近は昔の名作をリメイクしたゲームが目立っている印象があります。それだけ、テレビゲームの歴史が積み重なっている、ということではありますが、その一方で、ゲーム界そのものも、ちょっと袋小路に入ってしまっているというか、「リスクを取って新しいものを作るよりも、ある程度確実な成功を約束された『名作のリメイク』に頼りがちになってしまっている」のではないか、とも思うのです。
『シュタインズ・ゲート』に関しては、第1作の物語の完成度が高すぎて、ファンを納得させる「続き」と「その結末」を作ることが難しくなっているのかもしれません。時間が経てば経つほど、「これだけ待たせたんだから」と、続きへのハードルも上がっていくでしょうし。
それより、すでに完成されている第1作をリメイクして、それをきっかけに新しいファンを掘り起こし、オールドファンに思い出してもらうほうが確実で、「失望」させるリスクも少ない。
僕自身「続き」があるなら見てみたい、というのと納得できない続きを見せられるくらいなら、そんなの無い方がいい、という気持ちが入り乱れていて、最近はどちらかというと、「もう続きは無しでもいいかな」の気持ちが優勢です。
続きを出す、とか完結させる、ということにはリスクもあるんだと思います。
『エヴァンゲリオン・新劇場版』は、すごく納得感がある終わりだったけれど、僕はあの終わりを観てから、『エヴァンゲリオン』というコンテンツへの興味が失われたというか、自分の中で「ひと区切りついた」感じがすごくしているのです。
とくにテレビの旧シリーズや昔の劇場版に対しては「どうせ最後はああなるんだから」と、視なおすモチベーションが消えてしまった。
人は年齢や立場によってコンテンツへの向き合いかたが違ってくるのも感じています。
僕は学生時代に、全くモテなかったし、そういうことへのコンプレックスが強かったので、恋愛小説とかラブコメのアニメとか、若者が仲間と夢を追う話とか嫌いだったんですよ。お前らはいいよな!みたいな嫉妬心が先に立ってしまって。
でも、この年齢になると、そういう「縛り」とか「コンプレックス」から、ようやく解放された感じもするし、おかげで『ぼっち・ざ・ろっく!』とか『負けヒロインが多すぎる!』とかを素直に楽しめています。八奈見さんいいよね、アニメの監督さんは「(アニメだから魅力的だけど)実際にあんな子がいたらかなりうざい」というようなことを仰っていたそうで、僕も同感ですが。
『シュタインズ・ゲート』のラボメンたちも、実際に大学とかの同級生にいたら、かなり近寄りがたい人たちのような気がします。
でも、岡部倫太郎の「やり直せるがゆえの苦悩」みたいなのは「やり直せない無力感」を抱えてきた人には、ものすごく刺さるのではなかろうか。
「やってやる。それがシュタインズゲートの選択というのならばな。俺は狂気のマッドサイエンティスト・鳳凰院凶真!
世界を騙すなど、造作もない!!」
辛いとき、僕はけっこう、ひとり車の中とかで、岡部倫太郎になっている。
立派な大人のフリをして、世界を、そして、自分自身を騙せ。騙し続けろ。
『シュタインズ・ゲート』15周年に、そして、この15年間、良くも悪くもいろんな選択をしながら生きてきた自分自身に「ありがとう」と伝えたい。