1985年に、ノーベル平和賞を受けたヘレン・カルディコット(Helen Mary Caldicott)博士について : 焼きそばと言えば……♪
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2012年 11月 04日
1985年に、ノーベル平和賞を受けたヘレン・カルディコット(Helen Mary Caldicott)博士について
Helen Mary Caldicottについて

ヘレン・マリー・カルディコット(1938年8月7日生まれ)は、オーストラリアの医師、著者、反核唱道者。

これまで、原子力や劣化ウラン武器の使用、核兵器拡散、戦争や軍事活動全般への反対を目的とする多くの協会を設立して来た。

ラジオ番組”If YouLove This Planet”を毎週主催し、原子力や核の問題、環境や人体への影響など時代を反映した鋭いトピックと、切れ味の良いトーク、人間味あふれる人柄で多くのファンを獲得している。

2009年には、National Women's History Projectにより、Women's History Month 受賞者に選ばれた。

生い立ち:
オーストラリア・メルボルン生まれ。
カルディコットは、Fintona Girls' Schoolで教育を受けた後、アデレード大学医学部を1961年に卒業。

1977年には、ボストンのChildren'sHospital Medical Center のスタッフとなり、1977年から1978年までハーバード医科大学小児科にて教鞭をとる。

1980年、スリーマイル島原子力発電所事故後、世界の目を核競争の「狂気」と発展しつつある原子力依存に注目させるべく、医学の道を去る。

1982年に、オスカーを受賞したNational Film Board of Canadaによる、論争を招いたドキュメンタリー映画If You Love This Planetの主役である。

活動:
カルディコットは、政府関連の機密情報である、ザ・ハーシー・カンパニーは自社のペンシルバニア工場がスリーマイル島事故現場に近いために自社商品に使われた牛乳の放射能レベルを気にしていたという点に着目。

また、ペンシルバニア州立大学工学部の1979年3月30日の研究を挙げ、ペンシルバニアの芝草に落ちた放射性汚染物質は、地元の乳牛に取り込まれたと言及し、これはスリーマイル島事故直後に政府から発表された報告書内の情報と異なる、と指摘した。

カルディコットは、著書Nuclear Power is Not the Answer内でこの報告書に異議を唱えている。

また、1980年には、米国において、政府支出に占める原子力に対する割合を減らし、対処されていない社会問題に向けさせるための組織Women's Action for Nuclear Disarmament(WAND) を設立(組織は後にWomen's Action for New Directionsと名称を変更)。

1977年から1986年の在米期間中(1961年に設立されたが実質1970年から1978年まで休止状態にあった)、Physicians for Social Responsibility(社会的責任を果たす医師団)を復活させ、1978年から1983年まで創立会長として、原子力の危険性について大衆や同僚を教育する事に専心する医師23,000人勧誘することに尽力した。

また、米国外においても、原子力、核兵器、核戦争の医学的危険性の教育に焦点を合わせた同様のグループを各国で設立した。

傘下組織であるInternational Physicians for the Prevention of Nuclear War(核戦争防止医師会議)は1985年にノーベル平和賞を授与。

カルディコット自身、1982年にAmerican HumanistAssociationからヒューマニスト・オブ・ジ・イヤー賞を授与された。

1995年には再び米国に渡り、New School of Social Researchでメディア、世界政治と環境について講義を行う。

また、WBAI (Pacifica)で週刊ラジオ番組を主催し、STAR (Standing for Truth AboutRadiation)財団の創立会長となる。

6冊目の著書、The New Nuclear Danger: George W. Bush's Military-Industrial Complexは、2001年に出版された。
この本の宣伝ツアー中、カルディコットは、ワシントンDCに本部を置くNuclear Policy Research Institute (NPRI)を設立。

NPRIは主要メディアにおける、核兵器、エネルギープログラムやポリシーを含む原子力の危険性についての継続した大衆教育運動を促進した。

NPRIはカルディコットと常任理事であるジュリー・エンスザーを中心とする組織である。

NPRIは、大衆教育、キャンペーン、主要メディア内への働きかけ、シンポジウムの後援側に訴えかけ、原子力の全ての使用を止めるコンセンサスを生み出そうと試みた。

NPRIは現在Beyond Nuclearとなっている。

2008年、カルディコットは、Helen Caldicott Foundation for a Nuclear Free Future(核のない将来のためのヘレン・カルディコット財団)を設立。

この財団は、毎週If You Love This Planet というラジオ番組を主催している。

この、もともとヒューストンのローカル局KPFTから始まったこの番組は、今では多数の米国、オーストラリア、カナダのラジオ局で放送されており、www.ifyoulovethisplanet.org からポッドキャストで聴くこともできる。

またこの財団は、原子力、福島、そして核兵器に関する情報やデータを含む、NuclearFreePlanet.org というサイトも運営している。

2003年5月には、カルディコットは、「新しい原子力の脅威」と言うタイトルの講演を、サンディエゴ大学のジョーン・B・クロック平和と正義研究所の著名人講演シリーズで行った。

2004年のドキュメンタリー映画'Helen's War: portrait of a dissident'では、カルディコット博士の日常を、姪である映画監督アナ・ブロイノウスキーの目を通して見ることができる。

カルディコットは現在、米国とオーストラリアに居住し、核兵器と、原子力発電を含む原子力についての意見を促進するために広範囲での講演を続けている。

21の名誉博士号を授与され、ノーベル賞受賞者のライナス・ポーリングによって、ノーベル平和賞に推薦された。

2003年にはLannan Foundation Prize for Cultural Freedom を授与された。

2006年にはPeace Organisation of Australia により「核時代の医学的・環境的危険性に対する意識を高める長期に渡る献身のために」一番最初のAustralian Peace Prize を授与された。

スミソニアン博物館は、カルディコットを20世紀で一番影響力のある女性の一人だと呼んでいる。

カルディコットは、スペインの前進的シンク・タンクであるFundacion IDEASの科学委員会の一員である。

1992年に出版された著書If You Love This Planet の完全改訂最新版は、2009年9月にW.W.Nortonから出版された。

また、デニス・デレストラックの2010年ドキュメンタリー、"Pax Americana and the Weaponization of Space"で、外交問題専門家、宇宙安全活動家や軍関係者と共に、インタビューをされた。

2012年3月23日には、サンタ・バーバラのフォークナー・ギャラリーで、満員の聴衆に、「福島、原子力と核拡散の医学的影響」について講演をした。

政治活動:
カルディコットは、1990年の連邦議会選挙で下院におけるリッチモンド選挙区のニューサウスウェールズの議席を争った。

議席は、1901年の就任選挙以来保守派の有議席の一つであり、1992年の選挙で当選の有効性を初めて争って以来、地方党(現国民党)の有議席の一つでもあった。

カルディコットは、予備選挙投票の23.3%を獲得し、連邦無所属候補者としては高い投票数を得た。

国民党現職(当時の国民党のリーダー)のチャールズ・ブラントの43.2%と労働党の候補者ネヴィル・ニュールの29.4%と並び、第六選で27.4%の票を獲得した。

カルディコットは落選したものの、カルディコットを第一選好票とした票の多くはニュールに流れ、この影響により票数は7.1%変動し、間選好得票の50.5%で労働党が歴史上初めて議席を獲得することができた。

これは、大政党のリーダー(首相)が現職中に選挙で落選した数少ない三回のうちの一回となった。
他は1929年の選挙でのスタンリー・ブルースと2007年での選挙のジョン・ハワードである。

カルディコットは、1991年にオーストラリアの元老院に入ることを希望し、辞任して間もないニューサウスウェールズ上院議員のポール・マクレーンの議席を埋めるため、オーストラリア民主党のサポートを得ようとした。

しかしながら、オーストラリア民主党は、前選挙のニューサウスウェールズ上院議員公認候補者名簿で最上位に位置し、選出されなかった人物を選び、カレン・ソワダがその地位を獲得した。

by fujinomiya_city | 2012-11-04 00:30 | ★松村昭雄氏(元国連職員)の話 | Comments(0)


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