個人的におもしろい記事を読んだので触発されて書いてみます。
「ナウシカに隠された宮崎駿の陰謀」([の] のまのしわざ)
http://nomano.shiwaza.com/tnoma/blog/archives/006543.html
簡単に言うと、
「“風の谷のナウシカ”は大政翼賛映画だった!」
「風の谷は大日本帝国だった!」
という。
そもそも記事の下敷きになっているのは、
「押井守・岡部いさく著の「戦争のリアル」という本」
だそうなんですが。
論拠となる点はいくつもあって、
・迎撃戦闘機で重爆撃機を火だるまにしてやるっていう発想
・風の谷自体が農本主義日本。石原莞爾が夢見た世界。
・軍隊は女も子供も動員する。
・ナウシカは戦う王族であり、蟲と話す巫女でもある(=卑弥呼)。
・王蟲は押し寄せるシャーマン(米軍戦車)であり、地を這うB-29(米軍爆撃機)。
・結論は腐海で浄化されるんだっていう話=一回焼け野原になって再出発する話。
といったところ。
で、記事では、
というわけでナウシカを見て、反戦・平和主義、環境保護の映画だと思ったら大間違い。本当は太平洋戦争を賛美し、慰撫する軍国主義映画かも。
という結論になるんですが。
ははははははははは!
何をバカなことを。
いかに古い映画(1984年劇場公開)とはいえ、世界的アニメ監督、宮崎駿氏が、そんな古すぎる思想の持ち主であろう筈がないではありませんか。
「風の谷のナウシカ」は、CCCP(ソビエト社会主義共和国連邦)を賛美する映画なのですよ!(古すぎる)*1
まず、戦う少女*2であるナウシカです。
Warriors of the Wind
なるほど日本は、学徒動員はやりましたし女性を勤労動員でかり出しもしました。
しかし、女性を兵士として戦場に立たせることはしませんでした。*3
先の大戦における女性兵士、といえば、やはりソ連でしょう。
ソ連軍の女性兵士
ソ連の女性兵士、飛行機のパイロットとしても活躍しています。
メーヴェやガンシップを操るナウシカとも重なるではありませんか?
また、理想的なコミュニティとして描かれる風の谷が、農業主体であることも、共産主義の視点から見れば素直に理解できます。
「風の谷」全景。「都市から農村へ!」
石原莞爾などという負け犬を引っ張り出してくる必要はないのですよ同志。
ナウシカが世襲の王族であるらしい、というのはちょっとひっかかりますが。
しかし、風の谷はそもそも小規模な都市国家……というか農村です。
ですから、「王族」と言っても、支配階級であるというより、村の指導者、まとめ役のような立場にある、と考えるべきでしょう。
工房都市ペジテの王子、アスベルにしても、幼い頃から工房で技術を叩き込まれ、自らエンジンの修理をこなす、工場労働者(工場長?)です。
ですから、「姫様」というのは、お話をわかりやすくするための設定に過ぎない、と考えます。
人民に敬愛される指導者、ナウシカの図
一方で、トルメキア王国の王族は腐敗しきっており、そのことは映画版でも少し触れられます。
コミック版で詳細に描かれる、堕落した彼らの姿は、まさに「階級の敵」と呼ぶにふさわしいものです。
映画版には登場しませんが、トルメキアと対立する土鬼諸候国においても、神聖皇帝は民衆の苦しみなど一顧だにせず、己の権力にしか興味のない存在として表現されています。
土鬼はトルメキアよりも一般大衆の姿が描かれる機会が多いこともあって、
「無学な農民を迷信で操る権力者」
という図式が一層鮮明になっています。
また、統治機構である「僧会」の教えが、そもそも支配者によって創作されたものである、というのも、唯物史観に沿った表現と言えるでしょう。
宗教は人民の阿片である。
さて。
農村の少女ナウシカは、工房都市ペジテが、おそるべきトルメキア王国の侵略によって滅ぼされたことを知ります。
そして、トルメキアの帝国主義者たちは、風の谷にまで侵略の魔の手を伸ばしてくるのです。
農地を轢きつぶして着陸する、トルメキアの軍用機。まさに人民の敵。
展開するファシストの犬ども
戦車(旋回砲塔がないけど)までが軍用機から現れる。
……しかしこうしてみると、トルメキアのコルベットって、「重爆」というより輸送機では。
ドイツ空軍輸送機 メッサーシュミットMe323
いくら対空銃座があるとはいえ、輸送機だけで編隊組んでたら、そりゃあ迎撃戦闘機の餌食ですよ。
まあ、ナウシカはアスベルがコルベットを落とすのを止めようとしたわけで、いずれにしても作品のテーマとは関係ないんですが。
さて。
このようなトルメキアの暴挙に、始めは抵抗する術を持たなかった風の谷の人民達ですが、やがて、武器(というか農具)を持って立ち上がります。
侵略者に対して蜂起する、風の谷人民解放戦線の闘士たち
……このような「侵略に対する抵抗」という戦いは、日本の戦争とはちょっと異質なものです。
今まさに王蟲につぶされようとする、トルメキアの戦車
ドイツ軍III号突撃砲と、それに乗ったファシストの豚*4
そっくりですね!
そう、トルメキア軍は、ドイツ軍を模したものなのです。*5
トルメキア兵の甲冑にしても、アメリカ兵のイメージだとかいうよりは、ドイツの騎士団か何かをモチーフにしている、と考えた方がしっくりきます。
つまり、ドイツの侵略に対するソビエトの祖国防衛戦争、というテーマがここにあるのです。
え、個艦優越主義?
ソ連の人海戦術とは噛み合わない?
ええとええとその、ほら、ソ連も多砲塔戦車とか作ってるし……。
さ、さて、それは措いておいて、侵略者であるトルメキアの言い分を聞いてみましょう。
我らは、辺境の国々を統合し、この地に王道楽土を建設するために来た!
我らに従い、我が事業に参加せよ!
(トルメキアの王女クシャナ)
……あれ?
これってむしろ大東亜共栄……(むにゃむにゃ)*6
ま、まあそれはさておき。
農村の出身であるナウシカは、工場労働者であるアスベルと出会い、いろいろあった末に協力し合うことになります。
人民戦線理論の下に団結しよう!
王蟲がB29だとかシャーマン戦車だとか、最後の場面が特攻だとかいう意見がありますが、これは明らかな歪曲です。
ナウシカは王蟲と戦う気など最初からありませんし、最後には和解に成功するからです。
「憎み合うのはやめよう! 私たちは階級的同志ではないか!」
第一次大戦で、ソ連はドイツと単独講和を果たしました。
戦争は、資本家の都合で始められるもので、兵士(=労働者)は、それに利用されているに過ぎない、というのです。
そして、労働者同士が殺し合いをするのをやめ、資本家を打倒するために団結しよう、と呼びかけたのです。
「帝国主義戦争を階級闘争に転化せよ!」
「今日ここから新たな時代が始まる!」
「これも党中央の指導のおかげだ!」
ちなみに、作中、予言された救世主である「青き衣の者」が、伝説上のイメージとして登場します。
左:青き衣の者(イメージ) 右:ウラジミール・イリイチ・レーニン
どうです。明らかにプロレタリア映画であることがおわかりかと思います。
世界革命は歴史の必然である。
……いやあの、私もナウシカはファンで。
コミック版も全巻持っていますので。
だから怒らないでくださいファンの方。
ええとつまり、こじつけが許されるならなんでもできてしまう、という話なのです。
かつて、オウム真理教が日本中を騒がしていた頃には、
「ナウシカはオウム事件を予言していた」
「オウム真理教は、ナウシカに影響されて事件を起こした」
なんて話さえありました。
まあ、オウムがアニメとかの影響が強かったのは事実のようですし。
(自分たちでもアニメを作ってたし)
・「火の七日間」=ハルマゲドン後の世界を描いている。
・高貴な存在としての王蟲=オウムが登場する。
・瘴気=毒ガスも登場する。
・一見、人間にとって危険なものであるかに見えた蟲や瘴気が、実は世界を浄化して新しい世界を作るために必要なものだった、という真実。*7
「青き衣の者」ナウシカが着ることになる服が、オウムの修行服によく似ている、なんて話さえありました。
だからまあ、なんでもこじつけるのは自由自在なのです。
……っていうか、宮崎駿氏が軍事ネタが好きだ、っていうのは、なにも驚くようなことではないと思ってたんですが……。
下記のような、軍事ネタ満載の本も出しています。
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ところで、宮崎駿氏の「個艦優越主義」についてはまったく正鵠を射た指摘だと思います。
「雑想ノート」の中で、氏は、
「大和があるのに空母に頼って戦争をした」
というのを旧日本軍の愚行として指摘しています。
いやむしろ、世界に先駆けて空母戦術を採用したのが、日本軍の数少ない美点で、大和の方が時代後れだったんだと思うんですが……。
艦隊決戦を挑めばアウトレンジ攻撃で勝てた、みたいな立場なんでしょうか?
いずれにしても、宮崎駿氏は、軍事ネタは大好きみたいですが、その一方で、実際の戦争は嫌いだそうです。
「自分の描いた作品を見て、戦争嫌いになってくれる子どもが出てくれればいいな、と、矛盾したことを考えている」
と述べています。
このあたり、私もすごくわかります。
これだけ阿呆なことを喜んで書いていても、自分が共産国に住みたいとか、戦争に行きたいとかは全然思いませんもの。
確かに、宮崎駿氏の描く物語が「日本人の心象をきっちりとらえたアニメ」であることは事実です。
その中には、例えば自己犠牲の礼賛とか、旧軍につながるものもあるかも知れません。
だって、戦前・戦中と現在、日本の文化に完全な断絶があるわけではないですから。
過去と現在の日本人の感性は、ある程度はつながってこざるを得ない。
そして、宮崎駿氏も日本生まれの日本育ちである以上、日本的なものとまったく無関係な作品ができたら逆に驚きです。
キリスト教圏で作られた小説や映画に、時としてなんとなくキリスト教的な香りが漂っているように。
日本で作られたアニメ映画に、日本的な香りが漂ってしまうのはやむを得ないことです。
だから、宮崎アニメと旧日本軍(と私たち)の感性に共通した点があったからと言って、それを責めても始まらないと思うわけです。
キリスト教圏の作品が(たぶん)そうであるように、宮崎駿氏も、別に旧日本軍とか考えずに作品を作ったと思います。
土着の文化の中で生きている以上、無意識のうちにそこから影響を受けてしまうのは仕方ないこと。
そこに意図的なものを感じて、「陰謀」とかいう言葉を使ってしまうのはいかがなものかな、と思った次第です。
「人は土を離れては生きてゆけないのよ!」(シータ。“天空の城ラピュタ”より)*8
*1:というほどでもないのかな。時代的に。
*2:……なんて、うかつに言うと宮崎駿氏に叱られそうですが。
*3:いや、竹槍で訓練してたじゃん?とか、ひめゆり部隊とか挺身隊が……とかいうツッコミは禁止。
*4:比較しやすいように、画像を左右反転しています。
*5:何? マチルダとかシャールとか(どっちも英軍戦車)にも似てる? うるさいよ。
*6:少なくともこの場面では、大東亜共栄圏構想的なものが、かなりうさんくさいものとして扱われているのは確か。
*7:コミック版では、最終的にこの立場は覆されるわけですが。
*8:ちなみにこの台詞、英語版だと
「人は愛がなければ生きてゆけない」
になってるんだとか。うへえ。
これぞまさしく文化圏の影響ですね。