本日は新しく小説を書くつもりが時間が中途半端になったので、二つの有名な映画・・上は「コッポラ監督・ゴッドファーザーで有名なマーロンブランド主演」の少し難しいモノ・・下は子供も喜びそうなランボー1につき・・。
昨晩見たレンタルDVDが、「地獄の黙示録」「特別完全版」だったので三時間19分ほどと長く、日本語吹き替えは無し、Englishの台詞(せりふ)のみ、字幕も英語か日本語しかないので英語で見たが、結構疲れた・・。
というのも・・若い頃は戦争を抉(えぐ)った作品という感想が・・年をとれば・・陰気で気持ちが悪く長くて暗い画像・・となる。
素人でも作家であれば・・感じ方が異なり・・現代のTVドラマや映画などでは・・「刑事ものと殺人ばかり・・が、恋愛もの以外で主流となっており・・職業作家達・・宮部みゆきにしても東野圭吾にしろ・・先ずは読者に受けないものは書いても生活の糧にも賞にも繋がらない。もう一つは・・その手の類は文字数を増やし易く・・本にするのには最低でも文字数が十万字を超える・・筋書はいろいろでも、スタートからendまでの間に、経緯の説明・登場人物の個性・諸事情・アリバイ・隠した謎・等々・・盛り沢山の要素を盛りこむ事により・・筋書が面白くなり、他の作品との差別化、書いている本人たちの好みや満足度・・等にも影響をするだろう・・。純文学を書いたところで誰も読んでくれないし・・価値が?ところが・・素人はそこが異なり・・小説にしろ作曲演奏にしろ・・誰がどう判断しようが全くといって良い程気にしなくて済む・・寧ろ、他人を気にするのではなく、自己の満足度=何を書きたいのか・主張したいのか・文章を可能な限り奇麗に整えながら・・Endingに至らしめ・・別の意味での余韻を残せば、書き・作曲・演奏・しながらも満足が出来る・・という事である・・。やりたい放題し放題・・自由気まま・・然して・・自己判断での傑作でもできようものなら・・正に悦に至れる・・という事~。その際には・・嫌いなモノ・詰まらないモノ・・刑事ものや殺人を始め・・エログロナンセンスには絶対に触れず・・、連愛はさりげなく感じさせ・・男女の絡みは避け、ニュアンスで奇麗に描写をしている筈・・」。
まあ、時間が無いので・・幸いなことに、出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」が案内してくれるので貼り付けだけで済む・・70年代にヒットした事の中に・・「FEN=USA極東放送=This is amerikan forces radio and television services. Far East Network Tokyo 」・・此れを聞いて訳しレポートしろ・・というのが大学の夏休みの宿題で登場した・・。
「日本航空等スポンサーの・・JET STREAM」・・深夜飛行で世界中・・何処へでも行ける・・FM東京・・「・・午前0時、ラジオから聴こえてくるジェット音、そしてオープニングテーマの「ミスター・ロンリー」。
「・・機長を勤めるのは・・城達也です・・」
海外旅行のロマンを誘う深夜のリラクゼーション・プログラム「ジェットストリーム」は、 1967年の放送開始から約50年、放送回数1万回を超え、現在も続く人気ラジオ番組・・だそうだ。別に宣伝するつもりではないのだが・・(笑)。
ところで・・若い頃初めて見た時のエピソード、及び感想を昨晩と比較すれば次のよう。
伊藤忠にいた頃に・・僅か一年半程度だったが・・いろいろ思い出す。自衛隊を辞めた人たちは民間会社で優遇され、昇進もしている。
課長と次長、次長は最終的に役員にまでなったが、課長は教育係を・・箱根の社員保養所では、「模擬野戦ではないのだが、案外思い違いと錯覚をする、というテーマで二人一組のチームが箱根の自然林の中に隠されている番号札を、一番から順番に探し当て・・子供のゲームのようでもあるが・・それでもゴールインできなくリタイアするティームもあった・・実際に持ち運び・・家庭の子や近所の子供達を楽しませたことがある・・。
野戦に於き、進路、や、各人の考え方、に、方針、が異なるので、場合によっては喧嘩のように迄揉めてしまう事もあった。」それを勉強させるのが狙いである。
諸君は、何でも右に習えが多いが、一旦、ジャングルで孤立ともなると同じ事を繰り返すだろう。
つまりは・・人類は二人だけで焦り出すと同じ意見におさまることは案外少ないという事。
その次長は自衛隊だから考え方が固定されているように思える人物、まあ、面白い事も嫌な事もあったが、笑顔で当方を褒めた事があった。
社内の壁に貼られた社員の写真集は相当の枚数があったが、写真の下に簡単なメッセージを勝手に書いたのを見ての事。
「・・さんは、普通は言葉で笑わせるけれど、文章で笑わせるとは・・隊ではそういう人はいない・・」
大手生命保険会社の営業課長が指導し、必ず取得しなければならないとされた生保の資格、簡単だが要領があり生保曰く「・・暗記ものですが、教科書が存在をする。ところが、暗記をするのではなく、質問と回答、に結び付く言葉が記載された全てのページに目次を貼り付け、時間内にページから回答を探し出すという方法をとります・・」これが、案外時間はかかるし面倒だ・・そこで、当時話題になっていた映画である誰もが知っていた「地獄の黙示録(もくしろく)」にかけて・・「・・それは、地獄の目次録(もくじろく)だね・・」・・此れに営業課長は大笑いで、その後本社に戻ってから皆にジョークで笑わせるように、と・・ひろめた、という事だった。
ランボーは昔のTVでもよく放送されたもので・・一作目とし、ベトナム戦争敗戦から帰国した兵士がどんな思いをしたのかという意味合いも含まれ、ランボーが警察や州兵を相手に大暴れをしている。
どちらもベトナム戦の実話を挿入しており・・前者は原作「闇の奥~ジョゼフ・コンラッド」、代表的な自動小銃=Englishの台詞では、ライフル=M16や、ヘリコプターUH‐1、などが大量に登場をしている。
では・・時間・・貼り付ける・・Wikipedia著作権を侵害するつもりは・・毛頭ない・・。
文字数が多いからはてなは兎も角・・アメーバは無理かな・・?
『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now)は、1979年のアメリカ合衆国の戦争映画。原作はジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』。
監督はフランシス・フォード・コッポラで、出演はマーロン・ブランドとマーティン・シーンなど。物語の舞台を原作の19世紀後半のアフリカ・コンゴから20世紀後半のベトナム戦争に移した叙事詩的映画(エピックフィルム)。
紹介
[編集]1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞している。
2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において『地獄の黙示録 ファイナル・カット』(Apocalypse Now Final Cut)が上映された[3]。このバージョンは同年8月15日にアメリカの劇場で一般公開され、8月27日にはホームメディアが発売された[4]。
日本では1980年(昭和55年)2月16日から東京の有楽座で特別先行公開され、3月15日から全国公開が始まった。2001年には、コッポラ自身の再編集による『地獄の黙示録 特別完全版』が公開された。2020年2月28日に『地獄の黙示録 ファイナル・カット』が公開された。
ストーリー
[編集]ベトナム戦争中の1969年、アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)のウォルター・E・カーツ大佐は、上官の許可を得ずに北ベトナム軍、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)及びクメール・ルージュ軍に対して激しい戦闘を繰り広げていた。さらに彼はカンボジア東部の人里離れたジャングルの中の前哨基地を拠点として、米国軍、山岳民族軍、地元のクメール民兵部隊を指揮し、独立王国を築き、彼らに半神と崇められていた。
南ベトナム軍事援助司令部・研究監視団に所属する工作員ベンジャミン・L・ウィラード大尉は、ニャチャンにある第1野戦軍本部に呼び出される。ウィラードは、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事してきた経験が豊富だったが、戦地を離れていると無聊にさいなまれ、酒に溺れる日々を送っていた。彼は、カーツがベトナム人4人を殺害した罪に問われていることや、前述の独立王国を築いていることを告げられた上で「カーツを殺し、その指揮を終了させる」よう命じられる。複雑な思いを抱きつつもウィラードは、フィリップス上等兵曹(チーフ)が指揮する米海軍の河川哨戒艇(以下、PBR)に乗員のランス、シェフ、クリーンと共に乗り込み、静かにヌング川を遡ってカーツの前哨基地を目指すことになる。
ヌング川の河口に到着する前に、ウィラードたちは「空の騎兵隊」と呼ばれている、精鋭の第1騎兵師団所属のビル・キルゴア中佐が指揮するヘリコプター強襲部隊である第9航空騎兵連隊第1大隊と合流し、川への安全な進入について討議する。キルゴアは、彼らの任務について通常のルートでは情報を受けていなかったので、最初は殆ど関心を持たなかった。しかし、ランスが有名なサーファーであることを知り、キルゴアは俄然、関心を持つようになる。自身も熱心なサーファーであるキルゴアは、ベトコンが支配するヌング川の河口の先まで彼らを護衛することに同意する。夜明けにヘリコプター部隊は拡声器で「ワルキューレの騎行」を流しながらロケット弾や機銃掃射でベトコンの拠点を攻撃し、キルゴアの要請によって近接航空支援に飛来したアメリカ空軍のF-5編隊がナパーム弾でベトコンが潜む森林地帯を焼き払っていく。
新たに制圧した砂浜で一緒にサーフィンするようランスを説得しようとするキルゴアから逃れ、ウィラードは乗員たちを促してPBRに乗り込み、任務を続行する。途中で燃料を供給するために米軍基地に立ち寄ったところ、その夜プレイメイトによる慰安活動が行われるが、兵士たちが余りにも興奮したことから中止される。
燃料を供給し基地を出発したウィラードたち。彼は自分がPBRの指揮官であると考えていたが、艇長であるチーフはウィラードの任務よりも通常のパトロールを優先するため、緊張が高まる。ゆっくりと川を遡上する中、ウィラードは、自分の任務は重要であり、いかなる困難に遭遇しようとも遂行する必要があると説得するために、チーフに命令の一部を明らかにする。ウィラードはカーツの関連書類を読み、カーツが大佐より上への昇進の見込みのない特殊部隊への入隊のために国防総省での上級の任務から離れたことに衝撃を受ける。
到着したド・ラン橋の米陸軍の前哨基地で、ウィラードとランスは上流の状況に関する情報を求め、公用郵便物と私用郵便物が入った行嚢を受け取る。その前哨基地での指揮官を見つけることが出来なかったウィラードは艇長に遡上の続行を命じる。ウィラードは行嚢に入っていた文書を読み、嘗て、南ベトナム軍事援助司令部・研究監視団の別の工作員である特殊部隊大尉リチャード・コルビーがウィラードと同じ任務に起用され、その後カーツ側に寝返ったことを知る。
橋の上流に遡った頃、ボートは突然敵襲を受ける。ランスがLSDの影響下で発煙手榴弾を作動させたことから、敵の砲火を浴びることとなり、クリーンが戦死してしまう。ウィラードたちは彼の死を嘆きつつも、その先にあったフランス人のプランテーションに立ち寄ってクリーンを埋葬する。更に上流では、山岳民が投げた槍でチーフが串刺しにされ、死亡してしまう。
ウィラードは、今やPBRの艇長となったシェフに自分の任務を明かす。そしてPBRは遂にカーツの前哨基地に到着する。そこは山岳民で溢れかえり、犠牲者の遺体が散乱するクメール寺院であった。ウィラード、シェフ、ランスはアメリカ人フォトジャーナリストに迎えられる。その男はカーツの天才性を称賛しており、彼が言うにはカーツはと共に山奥へと入っていったとのことだった。また彼らは殆ど緊張病に罹っているコルビーにも遭遇する。ウィラードはランスと共にカーツを探し始め、シェフは2人が戻らない場合は前哨基地への空爆要請を発出するよう指示される。
カーツの宮殿の前で山岳民に捕らえられたウィラードは縛られてカーツの前に連れて行かれ、竹籠に監禁される。さらにカーツが現れ、シェフの生首をウィラードの膝の上に落とす。シェフはカーツの放った刺客によって殺害されていた。そしてしばらくしたのちウィラードは逃げると射殺すると警告されながらも竹籠から解放される。自由になったウィラードは暗殺を決行しようとするも、それには至らなかった。
カーツはベトコンの冷酷さを称賛しながら、自分自身が目の当たりにした地獄を語り「地獄を知らないものに私を殺す資格はない」と告げる。カーツは自分の家族について話し、自分が死んだ後、自分のことを息子に話して欲しいとウィラードに頼む。そして「必要な軍事行動は果断に、無慈悲に、怯むことなくやりとげなければならない」「もし私が殺される運命にあるのであれば、君がやってくれ」と告げる。それを聞いたウィラードは、カーツは裏切り者ではなく、誇り高い軍人としての死を望んでいることを悟る。
その夜、山岳民が水牛を生贄に捧げる儀式を行うが、その隙に乗じてウィラードはカーツになたで襲い掛かる。カーツは一切の抵抗をすることなく致命傷を受け、「恐怖だ」と言い残し、息を引き取る。ウィラードが外に出ると、そこには山岳民たちが彼を待ち構えていた。そこにいた全員が、カーツの書いた文書一式を抱えて立ち去るウィラードを見て、彼に頭を下げる。ウィラードはランスを見つけてPBRに連れ戻し、軍からの無線連絡を無視しつつ、カーツの前哨基地から離れて川を下って行く。ウィラードの頭には、まだカーツの最期の言葉が頭から離れず残っていた。
製作
[編集]背景
[編集]映画の原案は、1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness )である。当初は、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。
しかし、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。後にルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、作品の権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。
コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land )や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Men )の一節が引用されていたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough )から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用[5] されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノアの回想録によると、コッポラは撮影フィルム編集の合間、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を読み続けたという[6][7]。
コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録 特別完全版』 サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている[注 3]。
2019年製作のドキュメンタリー「すばらしき映画音響の世界(Making Waves)」では冨田とのもう一つの接点が明かされた。製作期間中CD-4(4チャンネルステレオ)方式のLPレコード『惑星 (冨田勲のアルバム)』を聴いたコッポラはこの盤を意識した音響製作を敢行。アカデミー録音賞を獲得している。サラウンド音声に1チャンネルを充てるドルビーステレオさえ一般的ではなかった当時は時代を先取りした取り組みで、映画館/家庭用ソフト両面の不足無い再生にはデジタル音声技術の発達を待たねばならなかった(本作のドルビーデジタル5.1ch音声収録レーザーディスク発売は1997年)。後年スカイウォーカー・サウンドで『地獄の黙示録』の音響スタッフだったランディ・トムの同僚となるゲイリー・ライドストロムは、1970年代映画音響に変革をもたらした作品として『地獄の黙示録』を挙げた。[要出典]
キャスティング
[編集]
ウィラード大尉は、当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因で降板した[注 4]。これ以降、カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後、ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により、最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。なおフォード自身は、撮影の見学に来たときに端役として出演しており、そのときの役名は「G・ルーカス大佐」となっている。またG・D・スプラドリンが演じた将軍の役名は「R・コーマン中将」であり、各々ジョージ・ルーカス、ロジャー・コーマンに由来している。
報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また第一騎兵師団がベトコンの拠点を襲う場面では、ヘリコプターの操縦手をベトナム戦争で従軍経験があるR・リー・アーメイが演じている。
「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」役は、実際の1974年プレイメイト・オブ・ザ・イヤーであるシンシア・ウッド、「ミス8月」役は実際の1976年8月プレイメイトであるリンダ・ビーティである。また、「ミス5月」役のコリーン・キャンプは、映画封切り後に1979年10月の『PLAYBOY』誌で写真を発表した。彼女らプレイメイトによる慰問公演の司会者は、1960年代からロック音楽のプロモーターとして活躍していたビル・グレアムが演じている。
撮影
[編集]
ロケは、当時アメリカ合衆国とベトナム社会主義共和国との国交がなかっため、フィリピン共和国の熱帯雨林で行われた。また、アメリカ合衆国軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは、全てフィリピン軍の協力に拠った。しかし、当時のフィリピンは、フィリピン共産党ゲリラ「新人民軍」との内戦や南部イスラム教住民「モロ民族解放戦線」の反乱に直面していたため、実戦出動によって、ヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れることもしばしばであった。
途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したことも撮影スケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。
コッポラは、キャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは、撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも、撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[9]。報道写真家役のデニス・ホッパーは、麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。
出演者のサム・ボトムズによると、撮影中、麻薬中毒兵士の役づくりのため、実際にマリファナやLSDを使っていたという。すると次第にスタッフも使い始め、橋での撮影は夜間撮影だったので、興奮剤のスピードを使っていたという。
それ以外にも、主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[10]。また、ブランドは、キャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(役作りにより体から強烈な臭いを発していたデニス・ホッパーと一緒に撮影されることを拒否した)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。
マーティンは、拳で鏡台を叩き割るシーンで、切傷を負って流血した。これは、台本にない完全な事故であったが、本人がそのまま撮影を続行するようにスタッフを促し、本編においてドアーズの「ジ・エンド」がBGMとして流れる場面に使用された。
続いて・・。
『ランボー』(原題: First Blood)は、1982年のアメリカのアクション映画で、『ランボー』シリーズの第1作である。
ディヴィッド・マレルのデビュー小説『一人だけの軍隊』の映画化作品であり、社会から孤立したベトナム帰還兵ランボーと、たまたま街を訪れた流れ者というだけでランボーを排除しようとした保安官との戦いや、ランボー自身の独白を通して、「ベトナム戦争によって負ったアメリカの傷」が描かれている。 本作によりスタローンは当たり役の一つを得て、『ロッキー』に続くキャラクターイメージを獲得し、アクションスターとしての地位を不動のものとした。本作は単なる娯楽追求のアクション映画と異なり、現実のアメリカのベトナム帰還兵の姿と重ね合わせたストーリー[3]となっており、非常に重いテーマの作品となっている。
あらすじ
- プロローグ
- 1981年12月のワシントン州。ベトナム帰還兵ジョン・ランボーは、ベトナム時代の戦友を訪ねて山間の田舎町を訪れる。しかし戦友は、戦争で浴びた化学兵器の後遺症で癌を患い、既にこの世を去っていた。戦友宅を辞去し、食事をとるため街へ入ったランボーに、保安官ティーズルが声を掛ける。ティーズルはランボーがトラブルを起こしそうな身なりや顔つきだと判断し、偏見から街を素通りして出ていけと高圧的な態度で告げ、ランボーをパトカーに乗せて市街地の外れへと追い出す。それでも来た道を戻り街へ入ろうとするランボーを、ティーズルは公務執行妨害とサバイバルナイフ所持で逮捕し保安官事務所へと連行する。
- 保安官達との戦闘
- 事務所の取調室に入れられたランボーに、ベトナム時代に囚われの身になった時の体験がフラッシュバックする。取調べにあたる保安官達はフラッシュバックにより沈黙するランボーに対し、取り調べに協力的でないとして高圧的に接し、小突いたり消防ホースからの噴流を浴びせるなど拷問じみた嫌がらせを行う。そしてランボーの髭を剃ろうと羽交い絞めにし、シェービングクリームも付けずにその顔へ剃刀を近付けた瞬間、ランボーの脳裏に、かつてベトナムで受けた拷問の様子が鮮烈に蘇ってくる。その場にいた保安官助手全員を素手で叩きのめし、ランボーは没収されたナイフを奪い返して山中へと逃走する。
- ティーズルは部下を率いて山狩りを開始し、絶壁まで追い詰める。しかしヘリに乗っていた保安官助手が独断でランボーの射殺を図り、身を守ろうとしたランボーが投げた石によって動揺したヘリから転落し、命を落とす。「これは事故だ、彼を殺す意志はなかった」と戦闘の停止を呼びかけるランボーに対し、死んだ保安官助手の独走を知らないティーズル達は仇討ちとばかりに発砲。これをきっかけにランボーは反撃へと転じ、グリーンベレー仕込みのゲリラ戦で保安官助手達を1人ずつ無力化し、最後に残ったティーズルの喉元にナイフを突き付けて「この山では俺が法律だ」と言い残し、山奥へと姿を消す。
- 州兵による追撃
- ティーズルが麓へ戻ると、州警察と州兵によって組まれた対策本部へ、国防総省からサミュエル・トラウトマン大佐が派遣されてくる。ランボーのベトナム時代の上官である大佐は、ゲリラ戦においてランボーがどれだけ優秀な兵士であるかを語り、被害を最小限に抑えるため、一旦ランボーから手を引いて山から下ろし、別の街へ移動したところを改めて逮捕することを提案する。しかしティーズルは自分の手でランボーを捕えることに固執し、大佐の案を聞き入れない。ランボーを説得するため、大佐はベトナム時代のコールサインを使って無線で呼び掛ける。応答したランボーは、ベトナム時代の戦友たちが彼を除いて全員死んだことを伝えつつ、先に仕掛けてきた(first blood)のは保安官達だと告げ、投降の意思がないことを明確に表す。
- 夜が明け、追っ手に見付かったランボーはねぐらにしていた廃坑に駆け込むが、州兵によって包囲される。戦闘慣れしていない州兵たちはランボーの戦闘力に恐怖し、ティーズルが生け捕りにしろと言うのも聞かず、坑道にロケット弾を撃ちこんでランボーを生き埋めにする。跡形もなく崩れ落ちた廃坑を見て、州兵、州警察、ティーズルは、ランボーの死を確信する。しかし間一髪で坑道に跳び込んで生きていたランボーは坑道の中をひたすら進み、ついに出口を見つけて地上へと脱出する。
- 街へと逆襲へ
- ランボーは通りかかった州兵のトラックを強奪。荷台にあったM60機関銃と弾薬を携え、夜陰に乗じて再び街へと姿を現す。彼はガソリンスタンドを爆破して街の注意をそちらに向けた後、保安官事務所の電源を断って近所の銃砲店を破壊し、保安官事務所に連射の銃弾を撃ち込む。ティーズルは屋上の天窓に潜んで待ち伏せていたが、踏み込んできたランボーに返り討ちにされ、重傷を負って屋内に転落する。彼にとどめを刺そうとするランボーの前に、大佐が現れる。「周囲は完全に包囲され200丁のM16がお前を狙ってる、もう助かる見込みはない、投降しろ、戦いは終わった」と告げる大佐に、ランボーは「まだ終わっちゃいない!戦争は続いている!」と絶叫する。そしてその口から、戦争終結から7年経った現在でも続くトラウマと悲劇が語られる。
- ベトナムから帰還した直後に空港で戦争を知らない一般人から浴びせられた反戦デモの罵声。ベトナムの戦場には助け合える友人がたくさんいたのに、祖国アメリカでは誰も助けてくれない。100万ドルの兵器を使いこなした歴戦の勇士でも、祖国アメリカでは駐車場の警備員の仕事にすら就けない。博打好きだった戦友が靴磨きを装って近づいた子供の自爆テロによって無惨に爆死した瞬間も、今なお悪夢として自分を苛む。戦友とは、この戦争が終わったらラスベガスでスポーツカー(原語ではシェビー)を乗り回そうと楽しそうに語って、約束していたが、もう永遠に果たせない。ランボーは走馬灯のようにベトナム戦争を回顧しながら、まるで子供のように泣きじゃくり、凄惨な事件の背後にある悲劇を知った大佐は、ただランボーをその胸に抱きとめることしかできなかった。
- そしてランボーは投降。救急車で搬送されるティーズルを横目に大佐の手で連行されていき、事件は終結する。
登場人物
- ジョン・ランボー
- 演 - シルヴェスター・スタローン
- 本シリーズの主人公で、ベトナム帰還兵。グリーンベレーの元隊員。戦闘のプロフェッショナルだが、作中では相手を殺さないように手加減するなど冷酷ではない。戦争で功績を残した優秀な兵士。しかし、帰国後は国民から疎まれ、仕事に就けていない。また戦争での悲惨な記憶がフラッシュバックして苦しんでいる。
- サミュエル・トラウトマン
- 演 - リチャード・クレンナ
- 大佐。ランボーの上官。ランボーの理解者として捜査に加わる。
- ティーズル
- 演 - ブライアン・デネヒー
- 保安官。流れ者のランボーを目の敵にして不当な理由で逮捕したが逃げられ、追跡する。ランボーに対してトラブルを起こしたことが事件の発端となる。
- カーン
- 演 - ビル・マッキニー
- 州警察長。
- クリント・モーガン
- 演 - パトリック・スタック
- 中尉。
- ガルト
- 演 - ジャック・スターレット
- 保安官。ランボーに対して露骨な虐め行為を行う。逃走したランボーを追った際にヘリコプターに乗り込むが、生け捕りにするというティーズルの指示に背いてランボーを狙撃するうち、谷川へ転落して死亡する。
- ミッチ
- 演 - デヴィッド・カルーソ
- 保安官。
- ウォード
- 演 - クリス・マルケイ
- ティーズルの部下。
- バルフォード
- 演 - マイケル・タルボット
- ティーズルの部下。
- レスター
- 演 - アルフ・ハンフリーズ
- ティーズルの部下。ランボーが保安官事務所から脱出する際にランボーと鉢合わせし、顔面に肘打ちを喰らわされ怪我を負う[4]。以降の登場では鼻にテーピングを巻いている。
- オーヴァル
- 演 - ジョン・マクリアム
- 保安官。
- シングルトン
- 演 - デヴィッド・L・クローリー
- ティーズルの部下。
- プレストン
- 演 - ドン・マッケイ
- ティーズルの部下。
roger?(lol)。