日常・雑感 : 煌めき日誌

煌めき日誌

夫と二人暮らし。日々を気ままに綴ります。たまに夫も更新します。

日常・雑感


心境の変化の多い一ヶ月でした。
いや、まだ今月あと五日残ってるけど。

ことし一年を通して振り返ってみても、(客観的にはともかく)自己の内なる世界では山あり谷ありでした。
いや、まだ今年あと一ヶ月強残ってるけど。 

こうして総括したくなるのは、誕生月であることが自分にとっての区切り的な意味合いをもっているからなのかもしれません。すごく、うきうきしてます。

なんでだろう?
わからないけど、すこし前までと今とでは決定的になにかが違う、なんというか、実人生への積極性を取り戻したような感覚です。
新しいことや違う景色を生活に取り入れたい気持ちがふくらんでいます。
まったくの未知に踏み出すというより、すでに取り組んだことのある分野の幅を広げたり、延長線上を進んでみたりというイメージで、たとえば元から好きだった、手芸、写真、絵、料理、文芸創作などの別ジャンルに手をつけてみるようなこと。それも、現実の暮らしを凌駕しない程度に。

生身の人間であることへの意識が遠のき、かなり、文字で表現された世界に魅了されつづけた昨今でしたが、「いまここ」を生きているからこその現実世界への肯定感を失っては本末転倒であるという事実にもようやく目を向けることができるようになりました。

世間では自己肯定感なんて言葉がよく使われますが、私の場合はそもそも自己否定しないので、どちらかといえば他者や社会や世界全体をもっと肯定的に捉えていきたいわけです。
実際、ものごとを達観できることばかりではないと思いますが、今のような気分になったときくらいは、積極的に動きたい。というか、そうすることでしか、自分の人生は動いてこなかったのは確かです。

小説を書くときにもそうなのですが、あらかじめ具体的に想像できすぎているのはたいていつまらないものなので、結局、やってみるしかないですね。

とりあえず、いま頭に浮かんでいるぼんやりとした輪郭が、脳内でハッキリくっきりしてしまう前に、手や体を動かして実体験&実現してみせたいです。

ぬいぐるみ、チーズケーキ、10kmラン、筋力UPによる増量……難易度や所要期間はまちまちなものの「えいっ」と立ち上がらないとできないことばかり。こう書くと、めちゃくちゃのんきそうにも見えますが、少なくとも私はいたって真剣ですし、あまりにも深刻すぎることは自分の外側に表明したくない節があるので、まあ当然ですね。

自分や他人の、期待や希望や幻想の諸々とうまく付き合っていくことが、これから先しばらくの課題なのかもしれません。
うーん、でも無理は苦労を呼ぶだけなので、難しい……いずれにせよ、ひとことでは言い切れないわけで、そのときそのときで手探りするしかないのかな……?

とはいえ、こういったことを考えるとき、われながら自分の精神的な成長に驚くのでした。これぞ自己肯定感。


勇者生活を送った一週間。
楽ちんプレイのおかげで、どうにかこうにかラストまで辿り着き、ロトの称号を頂戴するはこびとなりました。そして伝説へ……(注:ドラクエの話です)
来年発売予定とされている続編が楽しみ!

今作は発売日以来、夜更かしをして、本を読んだり文章を書いたりする時間も削って、ドラクエの世界に浸っていました。
だいたい、35時間ほど。
イベントや頼まれごとの内容を忘れないうちに探索を進めなくちゃ!という強迫観念めいたものに突き動かされ、結構がんばりました。
如何せん街がたくさんありマップも広く、そしてドラクエ用語に疎い人間にとっては語彙もむずかしいのでした。単語帳がほしいくらい。ひらがなやカタカナの言葉も目が滑って勝手に脳内変換されてしまったり……(りりょくの杖をリリックの杖と勘違い、とか)たぶん今でも誤認したままの概念も多いかもしれません。

それだけ楽しかったのも事実。
わからないことだらけでも、放り出したくならなかった。
飽き性な分、これはかなり重要なことです。

ただ、エンディングを迎えたときは、感動よりも、「ああ、やっとこれでドラクエ世界から帰れる……」という意味での感慨のほうが大きかったです。つまり、やりすぎ?いや、でもああするしかなかったような気も。

私と同じくドラクエ初心者の人には、まとまった時間を取れるときに遊ぶのをオススメしたいです。
途中で離れると話がわからなくなるから。
でも映像が綺麗だし(とくに遠景!)、戦うことに頭を使わなくてもいいし(ほぼ自動でやってくれる)、ストーリーの展開も気になるし(勇者の父はいずこへ?)、というわけで、冒険を始めさえすれば自然と続きをやりたくなるはず。
RPGのいいとこ取りした傑作なので、少しでも興味があればぜひやってみてほしいです。

ちなみにゲーム中、運動不足にならないように、1~2時間はエアロバイクを漕いだり、音楽に合わせてリズミカルに体を動かしたりしながら、全身で楽しくプレイしていました。
音楽が良いので、ながら運動に向いています。じゅうぶん没頭できました。

一方、元の生活リズムに戻れてホッとしている自分もいます。
いっぱい書くぞー読むぞー!
やっぱり本が、文字の世界が、落ち着くのでした。



ドラクエ漬けの週末でした。

待ちに待ったリメイク版。
かなりの親切設計なおかげで、バトルが苦手なわたしでもゲームがすいすい進みます。
楽ちんプレイかつ、自分で命令しないさくせんなので、ゲーム世界の探索とストーリーの進行を思う存分たのしんでいます。

ドラクエは11に続きまだ二作目なので用語や世界観がわからないことも多く、わたしは未だ手探り中。

さすがに、敵からのダメージで死なない仕様というのはつまらない面もありますが、至れり尽くせりに飽きたら途中で設定変更もできるので、いろいろ試しながらやってみるのもアリかもしれません。

とりあえず、世界旅行気分であっちこっちの街を旅しています。
いやあ、楽しい。とても楽しい。
何時間でもできる!……と言い切りたいところですが、二時間もやっていると目が疲れてくるのが大人のつらさ。子どもの頃だったら、夢中で五時間くらいはできたはず。(どうだろう、意外と飽きるものなのかな、いまいち童心を思い出せない……。でも二、三時間はあっという間だったんじゃないかな。)
というわけで、すっかり大人になったわたしは断続的に遊ぶことを覚えたのでした。

ゲームとは別に読みたい本も手に入って、今月はそちらも読み進めたいところ。
ジョージ・オーウェルのエッセイをきっかけに、『一九八四』と『一九八四年』を読み比べしようと計画しています。村上春樹ではなくて、名作ディストピア小説の別の訳です。基本的には同じ内容ですが、翻訳の違いも味わいたいのでこうなりました。
もし、これでもまだ好奇心が疼いたら、英語版でも読んでみようと思います。

そして書くほうも、平日にコツコツやっています。
ペースさえ守れば今年中には一作仕上がりそうです。
あまり気負わず、執筆中の集中力にだけ気をつけて、とにかく継続していきたい。

さて。
まだだいぶ早いですが、なんだか、いい一年でした。

とくに精神世界の豊かさが、これまで生きてきたなかでもっとも上質だった気がします。
うさんくさいスピリチュアルな話をしたいわけではなくって、ほんとうに、心の平穏とは、葛藤や苦悩とは別次元にあるんだなあと思う瞬間がたびたびあったのでした。
瑣末なことに囚われるとわたしはすぐに現実世界に圧迫、圧縮されてしまいがちなので、たとえば詩を味わえるくらい、ぼんやりやさしい気持ちでいつも過ごしたいなと思います。

とはいえ、ドラクエはドラクエで、真剣に楽しみ尽くしたいです。


いま書いている小説は、今年最後になるのだろうか。
それとも、もう一作、いや二作くらい手を付けられるか……?
そんなことを考えながら、今日も今日とて書いてます。

「文章の価値いかほどか問題」があたまの中をぐるぐる巡り、書いている意味とは?、評価できる人間に巡り会える日はいつになるのか?、と悶々とすることも多いです。最近は。
うまい文章を目指さないこととか、小説っぽくならないようにとか、そんな理想がある分、余計ややこしくなっています。
自分のセンスを磨くしかないのだとわかってはいながらも、やっぱり思考は寄り道ばかり。

書きたいものを書きたいので、たとえ他人がすぐには認めてくれなくったってしぶとくやっていくしかないのですが、生きている以上、時間の経過もまあまあ気になってしまいます。
そして、この一年が終わる。

終わったって、また来年がはじまることは明白なのに、どうしても区切りに引っ張られる気持ちがあります。

現実社会に無関心でもいられないし、クリスマスがくればそのムードは楽しみたいタチだし、それでも自分の空想から生まれた世界を高純度のままこの世に出したい思いはなくならないし、むずかしいなあと思います。

書く前から作品の質を保証できる人なんていないはず。
だから、始めたら仕上げるしかない。

そして仮に賞をとったり出版したりする機会に恵まれたとしたって、自分がやり続けないことには(長期的には)何も変わらないわけで、要は覚悟なんだなと。
こうして、自分に言い聞かせるようにしてブログに綴ることも、自分には必要なんだなと。

他人の期待や要請に人生を乗っ取られてしまったら敵わない。
この気持ちが近頃つよくて、身近にこそ脅威は紙一重で、あたまの片隅で常に思い悩んでいる状況なのです。
執筆に向かう原動力でもあるのかもしれないですが、結構な重荷。時が解決できるかどうかもわからない。

ともあれ、今ある健康や幸せな日常に感謝しつつも、自分の人生の舵取りには責任をもって生きていかねばと再認識したのでした。

これも糧にして、ぶいぶい書くぞっ。



夕方の涼しさに誘われて川沿いを散歩する日がつづき、ついにこの週末は運動着に着替えて走ってみました。 

呼吸のリズムをとることや、あきらかに血の巡りがよくなること、それから頭が無になるのが快感。

雨ニモマケズとはいきませんが、走るのってやっぱり気持ちいい。
屋内で体を動かすのとはわけが違いますね。
もちろん、昨今の夏ノ暑サとたたかっては危険ですが、そのかわり秋から冬は外での活動を増やして健康的に過ごしたいものです。
適度に日光に当たりつつ、心地よく汗ばむ程度に。

エアロバイクを漕ぐときは基本的になにかしら活字を読んでいるのですが、走っているとそうはいきません。
むしろ考え事すらできない状況。
感じたことが言語未満のまま心にぽっと浮かんでいるという状態は、少なくとも私にとってはめずらしいことなので、だいぶ脳の(その部分の)働きを休められているような気がします。
おそらく、手足をグングン動かし心肺機能をせっせと働かせることに、脳はそのぶん忙しいはず。
ある意味、活性化しつつ休息しているかんじだろうと妄想しています。医学的な根拠はほぼゼロです。
あくまでも脳科学の勝手なイメージで言ってるだけですが、実際リフレッシュできるわけだし、あながち間違っていないとこれまた勝手に思っています。

走ると言ってもせいぜい三十分にも満たない程度。
ただ、普段ほとんど走らない人間にとって、五分や十分でも走るポーズをとることは新鮮な刺激になります。
健康や体型やその他もろもろのわかりやすい結果が出るまでには時間がかかるかもしれないけれど、そのときの気分は確実に変わるはず。

私が走った時間帯も、ジョギング初心者みたいな人ばかりで道が結構混みあっていました。
たとえ不慣れで不格好だとしても、とりあえず走ろう!!と家を飛び出せる人は、よきチャレンジャーだと思います。(自分のことを言いたいわけじゃないです)

習慣的に走るかどうかはまだ決めてませんが、「たまには走ろ~」を選択肢として持っておきたいです。
結局、走るのって気持ちいいんですね。

いま読んでいる小説『ベル・ジャー』にひっぱられてアンニュイな気分になりがちなのですが、それはそれ、これはこれ、というふうにうまく切り替えて、せっかくの秋をのびのびと暮らしたい。
秋だ旬だと言わんばかりに山へ分け入って埋もれた松茸のかさを探すよりも、晴れた日の空をふと見上げればいつでもすがすがしい気分でいられることのほうが私にはよっぽど大事。

そういう自由を、私は愛しつづけていきたいです。


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