2024年08月 : 煌めき日誌

煌めき日誌

夫と二人暮らし。日々を気ままに綴ります。たまに夫も更新します。

2024年08月


学生時代、「いまのうちに親知らず抜いといたほうがいいよ!」という抜歯アドバイスを、駆け出しの社会人たちから賜ることが多々ありました。

たいていそれは、「大学生のうちにやっておけばよかったことってありますか?」とキラキラした目で訊ねたときの現実的な回答で、それはたしかにそうかもしれないけれど、未だなんの害もない歯をわざわざ抜こうとは思えず、歯医者へ相談することもありませんでした。

そして今。
奥歯のさらに奥のほうで不穏な動きを見せはじめている親知らずに地味なストレスをじわじわ感じています。

なんだか最近歯並びが変わったような気がするし、歯茎もむずむずする気がする……一度気になり出すと、もう親知らずのことが気になってしかたなくなるのです。

乳歯から永久歯に生え変わるとき、口の中じゅう全部の歯がかわるがわる抜け、そして新たに生え始めたはずなのに、あのときはそこまで大袈裟に捉えてなかったのが不思議に思えます。

自分にも、前歯がなかった時期があるなんて、もう思いだせない。
グラついた歯がぽろっと取れる感覚を二十回分しているはずなのに、思いだせない。

今よりもっと不快感ある状態を送っていたに違いないけれど、周りの子どもたちみんなが同じ経験をしているわけで、いちいち症状(?)を口にして訴えたりもしなかったのでしょう。
自分の言葉で意識的に伝えようとしていなかったから、ほとんど記憶に残っていません。

でも今。
この違和感を黙っていられなくて、つい言ってしまうし書いてしまう。

コドモらしい忍耐力をすっかり失ったオトナのくだらない悩みが世に溢れる理由もよくわかります。

「そんなの気のせい」「みんなおんなじ」「しょーがない、しょーがない」なんてやや無責任に聞き流したり笑い飛ばしたりされると傷つくこともありますが、正直、他人のそういう楽観的な発言が役に立つ場合も少なくないのかもしれません。
でも、自分が真剣なときに言われるとめちゃくちゃ嫌なのも事実。

歯医者の予約はすでに取ってあるので、それまでの辛抱です。

この一件で、歯の悪いお年寄りの心情がなんとなく想像できるようになりました。
やわらかいもの、食べやすいもの、パサパサしていないもの、などへの食の嗜好に、なるほど、こういうことかと合点がいきます。
消化への負担を棚に上げれば、カジュアルな洋食はわりと食べやすく、凝った和食や欧風料理はお呼びでないというかんじ。
若い人がグミやガムを好み、高齢になるとアメを好むのにも納得です。

さらば、歯ごたえ。くちどけ万歳、潤い万歳。

似たような境遇にならないと、そのつらさは理解できないのだなとしみじみ思いました。
子ども時代の生え変わりのことを思いだしたり、年老いたあとの口腔事情への想像力がはたらいたのは、痛みの副産物として思わぬ収穫でしたが、でもやっぱり痛くないに越したことはないです。

虫歯と違って予防や対策のしようのない親知らずの底知れぬパワー、おそるべし。
まだ埋まっている分もいずれ疼くのだとしたら、この先も断続的な憂鬱におそわれるのかもしれない……杞憂であってほしいです。

とはいえ、望めば気楽に医療を受けられる平和なこの国にいられて、ほんとうによかった!と、のんきな幸せをググッと噛みしめるのでした。あ、イテテ。


怖い夢を、昨日も一昨日も見ました。
警察に追われていたり、犯罪に巻き込まれていたり。夢だとわかった瞬間もあって、一度は目を覚ましてみたけれど、眠くて再び目を閉じるとまた同じ夢の中へ……という悪夢。

原因は明らかに、『地面師たち』です。

ネットフリックスを久々に再開して話題作に釘付けになっていたら、見事に世界観を引きずる有り様。
犯罪モノをほとんど摂取しないせいか、平気で人が死んだり裏切ったりする展開に、脳がびっくりしているのだと思います。
話の先が気になるおもしろい作品ですが、事件絡みでどうしてもやるせない気分になる場面が多く、正直、はやく見終わってしまいたい……。
でも途中でやめるという選択肢はないので、今日か明日くらいで最終回を見届けたいです。

一方で、ストップモーションアニメの『ポケモン・コンシェルジュ』はとびきりよかった!

リゾート地でのポケモンたちと人間のほのぼのとした過ごし方が、なんとも癒されます。
こんな世界あったらいいな~、たのしそうだな~、と束の間の幸せ気分に浸れる良作。
15分のショートアニメが四話と小ぶりではありながら、細部に注目すれば何度でもたのしめそうです。
YouTubeでメイキング映像も見ました。ひとコマひとコマ人形の動作や表情を調整する、気の遠くなりそうな撮影風景も含めて、ぜひ、人におすすめしたいです。

わたしも、人にすすめたくなるような、よい作品を仕上げてゆけたらなあと思います。
もう、そうすることでしか、わたしらしい人間として生きていく道がないような昨今なので、生きているうちになるべくよいものを書き残していきたいです。

二十二世紀になっても、そんな気持ちを忘れずに、書くことをたのしんでいてくれたらうれしいな。(わたしが)



ほんのり涼しくなってきて、ようやく夏の終わりを感じるようになりました。
といってもまだまだまだ暑いですが、ピークはすでに過ぎたもよう。

先日、涼しいと噂の勝浦へ行ってみると、本来の夏の空気があって、けっして「ひゃぁ涼しーっ」ってほどではありませんが「夏の暑さって、昔はこれくらいだったよね」程度のお手柔らかな気候でした。

海風も景色もロードサイドの食堂も、まさに喧騒を離れたのんびりとした時間が流れていました。
観光客はそこそこいるものの、観光地モード全開になっていない様子が気に入りました。

さて、本題にうつります。
その帰り道に寄った道の駅で、こんな、夏の名残りを見つけたのでした。

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しそ。赤紫蘇でございます。
自宅の近辺ではまったく見かけず、シーズンを逃したものと諦めていた赤紫蘇との偶然の出会い……。

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二袋買って、しそジュース作りに初挑戦。
洗って、煮出して、砂糖を溶かして、最後に酢を加えるというカンタンなオシゴトでした。

熱を加えるとすぐに赤い色素はお湯に溶け出てゆき、

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葉を取り除くと、濃いめの紫色の液が残ります。

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そこへグラニュー糖を溶かしいれたあと、
仕上げにリンゴ酢を投入すると、
あら不思議!

明るめの赤紫に大変身。これぞ、しそジュースという色合いになりました。

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砂糖や酢の種類や配合を変えると風味の違いをたのしめそうです。
身近な店で手に入るものの中から、爽やかな味わいを重視して、今回はグラニュー糖とリンゴ酢をチョイスしました。

家の中がゆかり風味の青臭さに包まれましたが、その田舎らしい独特のにおいも、夏を感じさせてくれました。

初夏の手仕事といえば梅酒や梅シロップ派なのですが、とくに最近では梅味のペットボトル飲料が夏季に流通するようになっていて、飲みたいタイミングで手軽にいつでも飲める分、希少性というか手作りする動機が薄らいだ気がします。

一方、しそジュースはそう簡単には手に入りません。
マメなおばあちゃん(理想の架空のおばあちゃん像)がお裾分けでもしてくれないかぎり、なかなか入手困難なのではないでしょうか。
何が何でも手に入れたいのだとしたらネット通販で調べればないこともないけれど、そういうときって、商品ページを見ているうちに「わざわざ買うほどか……?」と謎の冷静さを取り戻してしまいがち。

なにはともあれ、およそ2L出来上がった我が家のしそジュースは、しばらくの間、勝浦を思いださせてくれそうです。
一袋百円の赤紫蘇よ、ありがとう。





ここから八月いっぱいは夏休み気分でいっぱいがんばるぞ!
と、子どもじみたやる気に満ち溢れていたのは七月末のこと。

傍から見たら夏休みもへったくれもない生活をしていると我ながら思うのですが、私にとっての夏休みというのは、夏の課題にレッツチャレンジ★というような意味合いです。

つまり、自由研究とか読書感想文とか○○コンクールの類に挑戦しようというわけです。

思想や哲学の本を読んだり、随筆や俳句にも手を出してみたり。
(ほんとは外で体を気持ちよく動かしたいけれど、自然がそれを許さない……)

夏の時期は、気軽に応募できるコンクールやコンテストが多く、小説と違って一日二日で仕上がる性質のジャンルであれば、手っ取り早く達成感を味わうこともできます。
入選は容易ではないかもしれませんが、一般的な懸賞に応募するよりは倍率もおそらく低いですし、ハガキ職人をするよりも努力の甲斐があるので、運試し&センス試しの意味で誰にでもおすすめしたいです。

ところで私の応募意欲はどこからくるのだろう……ちょっと考えてみました。

小説のようにひとつの作品に時間が掛かればかかるほど、無意味な不安や心配におそわれるので、適度に満足感のバランスを取りながらでないと謎の気負いに押しつぶされそうになります。
きっとそれが理由のような気がします。

創作は好きでやっているはずなのに、不思議なものです。
でも、そう感じてしまうのはしかたのないことだとして、とにかく継続するためにできる工夫は、多少寄り道になったとしても、取り入れていいきたいと思います。

そもそも、一年に一作品をたったひとつの公募に出すというペースが、現実的というか平均的なんじゃないかと想像するのですが、私の場合は月に中編一作(ひと月あたりトータル百枚分くらい)を仕上げているので、そのぶん一喜一憂も多いのです。
手を抜いてやっつけ仕事をしているのではなく、出来に満足のいくレベルに推敲もしています。
あまり捏ねくり回して魔改造された文章が嫌なので、磨きに磨きをかけるといったことはしません。
そういう意味ではとことん自分のために書いているようなものです。
それでも、賞に応募している以上は結果も気になるのですが、如何せん、早々投稿を済ませていることばかりで、待ちの期間がかなり長く感じます。
そして私の創作方針では万人受けするはずもないので気長にやっていくしかないのに、焦る気持ちがどうしても出てきます。
砲撃も飢餓もない恵まれた状況にありながら、心のうちの欲望が勝手に生み出した欠乏感に悩まされるなんてばかげているとわかっていても、正直やっぱり悶々としてしまいます。

……というモヤモヤのすべてが小説に昇華されますように!
優雅に憂いている暇があったら、とっとと書くべし。
書かないと、やってみないと、その先にある何かには永遠に出会えません。
そしてその過程の酸いも甘いも、ちゃんと楽しんでいたいですね。

ちなみに、広義の自由研究としては、健康状態の変動や心理変化といった若干人体実験みのある個人的な体験を日々考察しています。
でもそれは公表すべきものではないのであくまで自分だけの記録として留めてあります。

人生という幻を思い描いては脳内シミュレーションをし、あれこれ悩ましくなりがちな今日この頃も、ぜんぶぜーんぶ暑さのせいにして、まだ始まったばかりの八月を精いっぱい過ごしていきたいです。

ちょっとだけ大人になった気がするこの夏も、またいつか振り返って、こんな日もあったなあと微笑ましく振り返りたい。
そんな気持ちの八月五日。




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