学生時代、「いまのうちに親知らず抜いといたほうがいいよ!」という抜歯アドバイスを、駆け出しの社会人たちから賜ることが多々ありました。
たいていそれは、「大学生のうちにやっておけばよかったことってありますか?」とキラキラした目で訊ねたときの現実的な回答で、それはたしかにそうかもしれないけれど、未だなんの害もない歯をわざわざ抜こうとは思えず、歯医者へ相談することもありませんでした。
そして今。
奥歯のさらに奥のほうで不穏な動きを見せはじめている親知らずに地味なストレスをじわじわ感じています。
なんだか最近歯並びが変わったような気がするし、歯茎もむずむずする気がする……一度気になり出すと、もう親知らずのことが気になってしかたなくなるのです。
乳歯から永久歯に生え変わるとき、口の中じゅう全部の歯がかわるがわる抜け、そして新たに生え始めたはずなのに、あのときはそこまで大袈裟に捉えてなかったのが不思議に思えます。
自分にも、前歯がなかった時期があるなんて、もう思いだせない。
グラついた歯がぽろっと取れる感覚を二十回分しているはずなのに、思いだせない。
今よりもっと不快感ある状態を送っていたに違いないけれど、周りの子どもたちみんなが同じ経験をしているわけで、いちいち症状(?)を口にして訴えたりもしなかったのでしょう。
自分の言葉で意識的に伝えようとしていなかったから、ほとんど記憶に残っていません。
でも今。
この違和感を黙っていられなくて、つい言ってしまうし書いてしまう。
コドモらしい忍耐力をすっかり失ったオトナのくだらない悩みが世に溢れる理由もよくわかります。
「そんなの気のせい」「みんなおんなじ」「しょーがない、しょーがない」なんてやや無責任に聞き流したり笑い飛ばしたりされると傷つくこともありますが、正直、他人のそういう楽観的な発言が役に立つ場合も少なくないのかもしれません。
でも、自分が真剣なときに言われるとめちゃくちゃ嫌なのも事実。
歯医者の予約はすでに取ってあるので、それまでの辛抱です。
この一件で、歯の悪いお年寄りの心情がなんとなく想像できるようになりました。
やわらかいもの、食べやすいもの、パサパサしていないもの、などへの食の嗜好に、なるほど、こういうことかと合点がいきます。
消化への負担を棚に上げれば、カジュアルな洋食はわりと食べやすく、凝った和食や欧風料理はお呼びでないというかんじ。
若い人がグミやガムを好み、高齢になるとアメを好むのにも納得です。
さらば、歯ごたえ。くちどけ万歳、潤い万歳。
似たような境遇にならないと、そのつらさは理解できないのだなとしみじみ思いました。
子ども時代の生え変わりのことを思いだしたり、年老いたあとの口腔事情への想像力がはたらいたのは、痛みの副産物として思わぬ収穫でしたが、でもやっぱり痛くないに越したことはないです。
虫歯と違って予防や対策のしようのない親知らずの底知れぬパワー、おそるべし。
まだ埋まっている分もいずれ疼くのだとしたら、この先も断続的な憂鬱におそわれるのかもしれない……杞憂であってほしいです。
とはいえ、望めば気楽に医療を受けられる平和なこの国にいられて、ほんとうによかった!と、のんきな幸せをググッと噛みしめるのでした。あ、イテテ。