2015年 12月 17日
論文:ノリツッコミの再構成とその起源 |
Chromecastを導入して以来、よく、日本のお笑いをみるようになった。最近気になっているのが、ノリツッコミは誰が一番最初にやったのか、という疑問である。ノリツッコミとは、ボケに対してすぐ突っ込まず、一度受けとめてから突っ込むというものである。例えば以下のような会話である。
A「お前血液型何なん?」
B「俺か、俺はC型やな」
A「Cか、そうは見えへんなあって、おい!」
このパターンは、秘密のケンミンショーで紹介されたこともあって、全国的に広まってしまったうえ、大阪人はみんなああいうことができるらしいという間違った印象を与えてしまった。しかしながら、私の理解では、本当のノリツッコミは、例えば上の場合だと、
A「お前血液型何なん?」
B「俺か、俺はC型やな」
A「Cか、実は俺はD型やねんって、おい!」
と、相手のボケを一度受けとめたあと、ボケで返しながら突っ込むというものと言うべきではないか。自分もとっさに正しくボケる技量があって(=そこでまず笑いを作って)、その後に突っ込むことによって(=最初のボケを消化することで)自分のボケで起こった笑いを増幅させるのである。
これは言ってみれば、ラーメンのダブルスープのように、それぞれのスープ(=笑い)がしっかりしていて、かつ、うまく混ざり合っていなければならないという、非常に高度な技術なのであり、単純な最近のノリツッコミの理解は間違っていることをまず指摘しなければならない(ソース:俺)。
このように、正しいノリツッコミには、ツッコミとボケの両方ができる、あるいは交互に入れ替えられるような技術が必要だ。ブラック・マヨネーズがM-1で優勝した際に、ボケとツッコミが途中で入れ替わるスタイルを披露していたが、最近では珍しい部類と言っていいだろう。
ただの間違いを一呼吸おいてから訂正するだけのノリツッコミに、こうしたツッコミとボケの二重性という観点を加えてみた場合、これを最初に広めたのは誰なのか。昭和の漫才師を網羅的にチェックしたわけではないが、漫才ブームの時代には、すでに、ボケとツッコミが明確に分かれるのが普通だった。
ということはこれより前に遡らなければならないのかと思ったが、漫才ブーム時にすでに中堅からベテランになりつつあった、横山やすし・西川きよしの漫才を見ていて、あることに気がついた。きよしもそうだが、特にやすしは、相手のボケにツッコミつつ、それにボケを重ねることを多用していた。例えば、
A「これ新しい時計やねん」
B「うわ、かっこええやん。どこで盗んだん?」
A「誰が盗んだんや!盗人呼ばわりすんな!」
B「盗んだんちゃうんかいな?」
A「ちゃうわ!盗んだんやなくてかっぱらったんや!」
B「かっぱらいか、それやったらええか、ってええことあるか!」
これはボケを受け止めるのではなく、ボケに対して、ちゃんと突っ込んで笑いを起こしてから、突っ込んだ方が(=真面目に見える方が)さらにボケるという期待ハズレが起こることで、1つのボケの面白さと、期待ハズレからくる面白さを掛け合わせて笑いを増幅させる仕掛けなのだ。
言い換えれば、やす・きよが面白かったのは、2人ともこの種の笑いを掛け合わせる技術に長けており、やすしの、ツッコミの後のボケを受けて、きよしがもう一度、それを受けとめてからさらに突っ込むことで、最初のボケの笑いが指数関数のように膨らんだからだ。
やすしが警察沙汰を起こしたこともあって、きよしには、やすしのキャラクターをいじれるという有利な点があった。やんちゃなキャラクターをいじる点では中田カウス・ボタンも同じで、彼らもノリツッコミをするが、結成年度の点で、やすし・きよしの方が少し早い。
これより早い世代で、かつ影響力を持ったコンビとなると私にはほとんど分からないが、You Tubeでみる限るでは、いとし・こいし、ダイマル・ラケットは、こうしたスタイルをとっていなかったようだ。というわけで、ノリツッコミの原型を作ったのは、やすし・きよしである考えることができる。
※冗談です。
A「お前血液型何なん?」
B「俺か、俺はC型やな」
A「Cか、そうは見えへんなあって、おい!」
このパターンは、秘密のケンミンショーで紹介されたこともあって、全国的に広まってしまったうえ、大阪人はみんなああいうことができるらしいという間違った印象を与えてしまった。しかしながら、私の理解では、本当のノリツッコミは、例えば上の場合だと、
A「お前血液型何なん?」
B「俺か、俺はC型やな」
A「Cか、実は俺はD型やねんって、おい!」
と、相手のボケを一度受けとめたあと、ボケで返しながら突っ込むというものと言うべきではないか。自分もとっさに正しくボケる技量があって(=そこでまず笑いを作って)、その後に突っ込むことによって(=最初のボケを消化することで)自分のボケで起こった笑いを増幅させるのである。
これは言ってみれば、ラーメンのダブルスープのように、それぞれのスープ(=笑い)がしっかりしていて、かつ、うまく混ざり合っていなければならないという、非常に高度な技術なのであり、単純な最近のノリツッコミの理解は間違っていることをまず指摘しなければならない(ソース:俺)。
このように、正しいノリツッコミには、ツッコミとボケの両方ができる、あるいは交互に入れ替えられるような技術が必要だ。ブラック・マヨネーズがM-1で優勝した際に、ボケとツッコミが途中で入れ替わるスタイルを披露していたが、最近では珍しい部類と言っていいだろう。
ただの間違いを一呼吸おいてから訂正するだけのノリツッコミに、こうしたツッコミとボケの二重性という観点を加えてみた場合、これを最初に広めたのは誰なのか。昭和の漫才師を網羅的にチェックしたわけではないが、漫才ブームの時代には、すでに、ボケとツッコミが明確に分かれるのが普通だった。
ということはこれより前に遡らなければならないのかと思ったが、漫才ブーム時にすでに中堅からベテランになりつつあった、横山やすし・西川きよしの漫才を見ていて、あることに気がついた。きよしもそうだが、特にやすしは、相手のボケにツッコミつつ、それにボケを重ねることを多用していた。例えば、
A「これ新しい時計やねん」
B「うわ、かっこええやん。どこで盗んだん?」
A「誰が盗んだんや!盗人呼ばわりすんな!」
B「盗んだんちゃうんかいな?」
A「ちゃうわ!盗んだんやなくてかっぱらったんや!」
B「かっぱらいか、それやったらええか、ってええことあるか!」
これはボケを受け止めるのではなく、ボケに対して、ちゃんと突っ込んで笑いを起こしてから、突っ込んだ方が(=真面目に見える方が)さらにボケるという期待ハズレが起こることで、1つのボケの面白さと、期待ハズレからくる面白さを掛け合わせて笑いを増幅させる仕掛けなのだ。
言い換えれば、やす・きよが面白かったのは、2人ともこの種の笑いを掛け合わせる技術に長けており、やすしの、ツッコミの後のボケを受けて、きよしがもう一度、それを受けとめてからさらに突っ込むことで、最初のボケの笑いが指数関数のように膨らんだからだ。
やすしが警察沙汰を起こしたこともあって、きよしには、やすしのキャラクターをいじれるという有利な点があった。やんちゃなキャラクターをいじる点では中田カウス・ボタンも同じで、彼らもノリツッコミをするが、結成年度の点で、やすし・きよしの方が少し早い。
これより早い世代で、かつ影響力を持ったコンビとなると私にはほとんど分からないが、You Tubeでみる限るでは、いとし・こいし、ダイマル・ラケットは、こうしたスタイルをとっていなかったようだ。というわけで、ノリツッコミの原型を作ったのは、やすし・きよしである考えることができる。
※冗談です。
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by eastriver46
| 2015-12-17 15:07
| 日記