「非モテ」が女性に「キモい」と思われるのは、女性差別が原因
昨今、非モテだの弱者男性だのがフェミニズムと絡めて語られることが多いようですね。
ちょっと、気になる話なので、久々に述べさせていただきます。
さて、非モテ*1、と称する人たちが嘆くのが、女性にぞんざいに扱われること、のようです。
誉めたら「キモい」と云われた、だの、相手にされない、だのですね。
で、なぜかそれをフェミニズムに責をなするケースを良く目立ちます。
しかしですね、「非モテ」が女性に「キモい」と思われるのは、女性差別が原因なのです。
どういうことか、説明していきます。
女性差別の現れ方として一般的なのが、女性をモノ扱いする、というのがあります。で、モノ扱いすると、そこに“ランキング”が適用されます。つまり、美醜の基準を当て嵌め、序列を付けるわけですね。“イイ女”は「カワイイ顔して、オッパイがでかくて垂れておらず、ウェストがキュッとくびれて脚はスッと伸びて足首が締まっている。太ったり痩せ過ぎていたりしない。」みたいな感じですね。そしてその基準からの距離で女性は“値踏み”されてきたわけです。もちろん、男に対して“わきまえない”なんてとんでもない!男のわがままを受け入れて、優しく包んでくれるような態度、が求められるのです。“美女”であっても、“わきまえない”女はランクが落ちてしまいます。男の欲望に対して都合のよい女、モノとしての女が“良い”とされる、それが女性差別が当たり前にある社会の規範です。
では、そのランキングを内面化した女性にとって、男はどう位置づけられるのか?今度は、男の序列も決まってくるわけです。
スポーツカーに乗れるのは選ばれたドライバーであるように、“特上”の女に釣り合うのも、“ステータスの高い”男となります。従って、男の方のランキングも、その美醜や社会的ステータスによって決まってくる。そして、自分の“モノ”としての価値を心得た(女性差別を内面化した)女性は、自分の値踏みとして、釣り合う男の格付けを行なうようになります。
一番判りやすい例が、銀座のクラブでしょう。そこは露骨なまでの序列が敷かれ、男も女も序列をいかに上げるか、に汲々とする。くだらないように見えますが、当人たちは、それこそが自分の“価値”を示すものだ、と真剣に考えているのです。
さて、これを非モテの扱われ方に当て嵌めてみましょうか。
非モテは、(女性差別を内面化した)女性にとってはランキングが低位の存在であり、対等に接することは自分の価値をそこに“下げる”ことにほかなりません。
例えば、外見を誉める、というのは、モノに価値を付けることですから、“非モテ”ごときに自分の価値を判断される、と感じるわけです。当然、イヤな顔をするに決まっています。誉められて嬉しいのは、(値踏みされる女性自身が)ランキングが高いと感じる男性なのです。
もちろん、告白なんてとんでもない!それを受け入れるのは、自分の価値を下げることになります。
釣り合う男を捜す、出来れば、自分から見て高いランキングの男に選ばれたい!
鼻持ちならないように思いますか?でも、これは、女性差別、女性をモノ扱いすることによる、当然の結果なのです。男が女をモノ扱いするなら、女も自分を“所有する”男を選ぶのです。
果てしない格付けの果てに得るものがあるのか、弾かれたものに安らぎはあるのか。
そのモノ扱いにNO!を突き付けるのがフェミニズムなら、フェミニズムは男性に対する値踏みにもNO!というのです。相手をモノ扱いしない、勝手なランキングで判断しない、人としてどうか、で相手を見ること。そこでは、“非モテ”が理不尽な扱いをされることもありません。
もちろん、自分が人を好きになって相手が好きになってくれるか、が上手くいくとは限りません。しかし、女性をモノ扱いしなくなれば、キモい奴扱いはされなくなるでしょう。めげずに自分に合う相手を捜すことも出来るようになると思いますよ。非モテにとって、フェミニズムは自身を救う考えでもあるのです。
では。