原子力はやめよう
20年以上前になるのだが、学生の頃にチェルノブイリ原子力発電所事故が起きた。
私はすでにスリーマイル島(TMI)原子力発電所事故の経験を経て原子力というものに疑問を持っていたのだが、チェルノブイリはハッキリと原子力反対、へと押しやった。当時、物理学科の仲間にもそうした意見を表明する者も少なくなく、我々はささやかではあるが「反原発」活動を始めた。
今でも鮮明に覚えているのが、学科の教授達を交えた討論会で、学生・教員の区別無く「原発は是か非か」について話し合った。
意外というべきか、教授の中にはハッキリと反原発の立場に立つ先生もいた。核物理の教授は「原子力は必要だ。安全措置を施してある日本の原発で事故が起きることはありえない」と述べた。
だが、大方の先生の意見はこうだった。
「原子力は既に電力の4分の1を占めている。代替手段が無ければ原子力は仕方がない」
つまり、消極的賛成、という事だ。
その頃は、まだ地球温暖化(人為的気候変動)の問題は持ち上がっていなかったから、「原子力に拘る必要性は無いはず」という当然の意見があった。
それに対する回答は
「発電コストが安い」「エネルギー安全保障に繋がる」
であり、それに対してもやはり
「核廃棄物処理や誘致や建設のコストを考えれば安価とは云えないのでは*1」
「ウランだって輸入に頼っている*2」
と意見は交わされた。
結局、教授陣においても一部を除いては積極的な原子力推進を図るべき、という人は少なく、消極的立場の人がほとんどだった。
「いつまでも石油が保つかはわからない。だから、原子力(核分裂)は核融合実用化までの繋ぎとして考えるべきだよ」
とプラズマ研究の先生が締めくくった。
代替手段が確立するまでは原子力はやむを得ない、という考え方は、なんの事はない。半世紀以上前からの変わり映えのしない意見なのだ。
そんな消極的な、維持する/漸減していく、というような考え方は、しかし実際とは重ならなかった。なぜなら、原子力はそれ以前もそれ以後も、着実に推進されたからだ。
我々のささやかな活動も、声を上げた人の意見も、何一つ反映されなかった。TMI事故時に比べれば4倍以上、チェルノブイリ時から考えても20基以上原発は増えている。
現地の反対を圧殺し、補助金・助成金漬けにして、宣伝/広報活動を推し進め、原子力は着実に増加してきたのだ。まるで津波のよう。原子力推進派の巨大な力を思えば、反対派の力など障害になど成り得なかった。この国では、司法でさえも原子力推進に積極的に協力してきたくらいなのだから。
参考: 浜岡原発運転差し止め訴訟
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071026/1193372190
上関原発工事の妨害 地裁が「1日70万円」支払い命令
http://mytown.asahi.com/areanews/yamaguchi/SEB201103290025.html
つまり、原子力はやむをえない、というような考えは、何一つ言っていないのと同じである。そのような考えが、原子力推進側の行動に繋がり、そして、電力の確保には必要だ、とした結果、現在の状況を生んでいるのである。
だから、考え方を変えなくてはいけない。
「代替技術が見つかったら、脱原発しましょう」ではなく、「脱原発しましょう。そのために代替技術を生み出しましょう」でなくてはならない。
そのうちに、ではなく、ハッキリと具体的スケジュールと併せ、「脱原発」を打ち出すべきなのだ。
よく、そんな事出来っこない、という意見が聞かれるが、それは愚かしい意見だ。
アメリカにおける自動車の排ガス規制(マスキー法)の存在は、当時アメリカ自動車メーカー(ビッグスリー)の大きな反発を招いた*3。しかし、カリフォルニア州などで実践された規制をクリアする事で日本自動車メーカーはシェアを拡大したのだった。
同様の事は技術史的には珍しくなく、
水銀フリーのアルカリ電池 有機ハロゲン化合物*4、も「代替は不可能」「全廃は現実的でない」というような意見が出る。しかし、規制が実行されると、代替技術は生まれるのだ。
興味深いのは取り上げた例も含めて、欧州での規制が契機になっているケースが多いこと。その事は、ドイツを始めとして、自然エネルギーの導入が進んでいる事と無関係ではない。つまり、欧州では、ビジョンを明確に掲げ、具体的な課題設定をすることで、技術革新は図れる、と考えられているのだ。そこが、彼らの強みである。
ビジョンとして掲げているのは
「持続可能性のある社会システムへの移行」
である。そして、そのビジョンにおいて、持続可能性がある(エネルギー源が無尽蔵で、環境負荷の低い)自然エネルギーの導入、は当然の帰結なのだ。
それに対して、具体的な課題設定とスケジュールを定める事、これがドイツと日本の差となった。
ドイツでは今回の福島での事故を受けて、原発を推進しようとする産業界にNO!を突き付け、原発全廃へと舵を切り直す事が出来た。
では、実際には自然エネルギーの需給ギャップをどう埋めたらいいだろう?アプローチとしては4つが考えられる
自然エネルギーは不安定だ、という意見もある、それはいかにするか?
一つには、多様な発電手段によるリスクヘッジだ。太陽光発電でも多様な地域での発電により日照差を解消し、風力やマイクロ水力は太陽光発電と相補的な役割を果たすだろう*5。
いわゆるスマートグリッド(賢い電力格子網)とは、多様で変動する電力供給と需要を制御するためのシステムだ。ビジョンに合わせて新たな技術やシステムが生み出されるのである。
今まで自然エネルギーは日本においては極めて軽んじられてきた。しかし、状況は変わりつつある。このところ、自然エネルギーに関係するような展示会の盛況ぶりはかつてを思えば驚くほどだ。多様な技術が続々と生み出され、新規参入企業によって市場は活況を呈している。
PV EXPO [国際]太陽電池展
http://www.pvexpo.jp/
同時開催展・併催イベント
http://www.pvexpo.jp/ja/About-PV-EXPO/Concurrent-Exhibitions/
これが原子力となるとどうだ?巨大企業とその関連下請け企業ぐらいしか市場にはおらず、その巨大すぎるシステムゆえ行政とのなれ合いも激しい。おびただしい(国も含めれば十数兆)研究予算を投じながらも、この数十年、新規性のある技術など生み出し得なかった。原子力には魅力的な研究余地は無いのである。
だから、若い技術者?っぽい人が、原子力はしかたないよね、などと発言しているのを見ると、笑ってしまう。自然エネルギーには大きな技術開発の余地があり、競争を通じて新規参入企業の伸長の可能性が多くある。脱原発には技術革新と社会変革のチャンスがあるのだ。チャンスが欲しければ自然エネルギーをプッシュすればいい。
そこいくと、原発厨(原子力やむなし、脱原発はムリ、の自称リアリスト)は、救いようがない。社会に対する不満は募らせる割には、実際の変化には及び腰なのだものな。
原発厨の傾向や意見を見ていくと、以前論議を呼んだ(性犯罪)自衛厨との共通点が浮かんでくる。
女性に対して性犯罪被害に遭いたくなければ、自衛*6しろ、と説き、その理不尽さに対しては「でも、現実的に自衛するほか無いでしょ?」と云い垂れ、現実を変えていく可能性を無視する(性犯罪)自衛厨
原子力の理不尽さを説くと、代替手段の不可能性を延々と説き、「現実的に原子力しか無いでしょ?」と云い垂れ、現実を変えていく可能性を無視する原発厨
彼我の立場の非対称性を無視し、女性や反原発派へのルサンチマンを募らせているあたりも共通している。現実を見据えることと、現実に安易に妥協することは違うのに。
そのへんが、反原発派を女性の考え、と侮る
のような考えを生むのだろう*7。反原発派と女性が一致しているのではなく、反発する側の意識が共通しているのだ。その侮りは、認識不足を呼ぶ。
反原発派こそ、市場メカニズムを使え - モジログ
http://mojix.org/2011/03/29/hangenpatsu-market
また、「ぼくのかんがえた反原発派」を開陳しているけど、電力需要ピークの制御という考えは、脱原発活動を行っている者には基本中の基本だ。
ap bankの活動で知られる田中優氏の著作「地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか」(扶桑社新書)には、電力需要ピークの削減について色々書かれている。
飯田哲也氏もスマートグリッドの他、電力事業の自由化*8、送電分離、電源選択*9に対する意見を表明しているのだ。このへんの議論は既に行われており、単に原発厨どもが今になって気づいたにすぎない。
http://b.hatena.ne.jp/m-matsuoka/20110402#bookmark-36293066
m-matsuoka これはひどい, 政治, 経済, ビジネス 化学プラントなども危険な物質を扱っているが営利企業でも安全確保のために投資できている。国営にすれば解決というのは国家に勝手に片思いをぶつけているだけ。宗教団体のような反原発団体を何とかするべき。
などと書いている。こいつ、どうやら水俣病*10も阿賀野川の有機水銀被害*11も、神通川のカドミウム汚染も、田中正造のエピソード*12も、インドボパールの毒ガス事故*13も、アラスカのバルディーズ号事故も昨年のBPの海底油田事故も知らないらしい。
本来なら20年以上前に踏み出していてもよかった「脱原発」。遅ればせながら日本でも一歩を踏み出そうではないか。また、現実とやらに流されるなら、今回と同じような結果を招くだけだろう。いずれにせよ、持続的可能性のある文明を営もうとすれば、自然エネルギーのシフトは避けられないのだ。やるなら、今、である。
昨年末、名古屋生活クラブに誘われて、三重県の芦浜原発建設予定地を見に行った。
名古屋生活クラブ
http://www.nagoyaseikatsuclub.com/
芦浜(現 紀勢町)では地元の漁業関係者を中心として反対運動を続け、中部電力の計画を白紙に追い込んだ。その結果、静岡県浜岡町(現 御前崎市)に原発が出来たのはご承知の通り。中部電力や国はいまだに芦浜への原発建設を目論んでいる。紀勢町では盛大な公共土木事業を始めとする大盤振る舞いが行われ、漁業不振と高齢化に悩む町は原発受け入れやむなしに近づきつつある、と原発推進派の攻勢を土地の人は苦々しそうに話してくれた。
だが、今回の事故は芦浜の人々の意識を再び「原発はいらない」へと向けただろう。闘い続けた彼らの判断は正しかったのだ。
写真は芦浜の海 右手が原発建設予定地
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*1:当時も、原子力関係の研究を行うと莫大な資金が付くことは学生にも知られていた
*2:未だ冷戦中だったので、核物質の輸出入は国際情勢による制約が大きかった
*3:実施前に廃案となった
*4:フロンのようなフッ化炭素類の他、洗浄剤のトリクロロエタンや難燃剤の臭素化合物など
*5:晴天時は太陽光、荒天時は太陽光はダメだが風力・マイクロ水力は向いている
*6:といっても外出するなとか服装をおとなしくしろとか愚にも似つかない話だが
*7:再三続く原発に関するつぶやきは、原発推進派の隠れdisじゃないか、と思うほど凄い
*8:日本でも電力事業の自由化が一応は進められたが、送電分離が行われなかったので電力買い取りで不利になり事業化する企業は増えなかった
*9:自分で購入する電力の電源を選択できる 日本では電力会社の反発で実現しなかったが、はてなも行っているグリーン電力はその劣化版