最終回に関する記事は特に書くつもりなかったんですが,読んでみたら下記の2つのレビュー記事で取り上げた「大人」と「子供」の関わり方が取り上げられているような気がしましたので,また少し書いておきます。
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ちなみに,連載はコミックDAYSのアプリで読んでいます。この「もっとプレミアム」契約してなかったらこのマンガを読んでなかったかも。ほかにも良いマンガとの出会いが色々あり感謝です。
「大人」代表?の深津
文脈や,下記の引用部で触れていることが具体的に何かというのは,ぜひ自身で読んで確かめてください。恩田希に向けた深津監督の言葉です。
ガキ共に んな事思わせるのは 全部 大人の責任で 何とかするのも大人の責任だ
(中略)
サッカー界の未来を憂いて行動するのも立派だが んなもん強制するもんじゃない
高みを目指して苦闘するか 草サッカーを満喫するか フットボールの風景は人の数だけある
(「さよなら私のクラマー Episode.55」『月刊マガジン2021年1月号』pp.51-52)
この「大人の責任」ていうセリフは,おそらく能見奈緒子が深津監督に言った下記の言葉(特に「あんた達」)につながっているのではないかと思うのです。つまり,ここの「大人」は「大人達」ということなんじゃないかと,たぶん。
alu.jpで,この深津監督の言葉は,結果としては(おそらく意図としても)恩田の重荷を和らげることになっていると思うのですが,「大人が強制できるようなもんじゃない」ってことは,その分,自分がどういう形で競技に向き合うかは自分で選べってことにもなるんですよね。ある意味で「サッカー界の未来を背負え」って決めてしまうより厳しいのかもしれない。
その後に続く次の深津監督の言葉も,この文脈においては優しく響くのですが,
お前は楽しくサッカーをやりたいんだろ?
それで最高のパフォーマンスを出せるのならそうすべきだ
(「さよなら私のクラマー Episode.55」『月刊マガジン2021年1月号』p.52)
さいきんいろいろなスポーツで言われる「競技や試合を楽しむ」というのは良いパフォーマンスを引き出すためという側面もあるというのを思い出し,厳しさも(勝手に)感じてしまいます。良いパフォーマンスをするための環境作りとして,「楽しむ」ための技術(メンタルコントロールとか)やコンディショニング等の準備が必要ということです。人や環境によるでしょうけれど,これは実際にやる(できるようになるまでトレーニングする)のは実は大変なことです。
この後,恩田に対しては「君はそのままでいい」って言っているのでやっぱり「優しさ」だとは思うんですけどね。
「指導者」に関することで言うと,下記の深津監督と能見のやりとりも良いですね。
深津「俺は単なる傍観者だよ」
能見「いいんです それで そばで観ていてくれるなら」
(「さよなら私のクラマー Episode.55」『月刊マガジン2021年1月号』pp.74-75)
おわりに
ほかにも,印象的な言葉ややりとりが最終回だけでもいろいろありますし,私が上で紹介した言葉も,前後の文脈やこれまでの経緯を踏まえるとまた捉え方や感じることが違うでしょうから,ぜひ読んでてみ下さい(単行本でしか読まない派の人はしばらく我慢でしょうが…)。やっぱり,言葉が(も)素敵なマンガだと思います。
終わり方としては,(たとえば全国大会での久乃木や興蓮館との再戦とかの)「後日」を描いているところが一切なく,潔いなと思いました。さいきんだと,『コウノドリ』の最終回がすごいなと思いましたが,どちらも好きな漫画だからこそのバイアスがあるかもしれません。