はじめに
乙黒亮さんと共著で書いた形態論(言語学)の教科書・概説書が無事刊行されました。
電子書籍もちゃんと読めますし(自分で買って確かめた)、予約していた方のところにも届いているようです。買ってくださったみなさんありがとうございます。
これまでもいくつか紹介の記事を書きましたので、今回は読み方に関する簡単なガイドと訳語に関する裏話的なものを書いて宣伝記事の締めにします。もちろん今後補足やリアクションの必要が出てきたらその都度何か書きます。過去の宣伝記事は下の2つです。
- 形態論(言語学)の教科書・概説書を書きましたので少しだけ補足と宣伝 - 誰がログ
- 本を書いたので宣伝2(LaTeXとか共著者とか) - 誰がログ
読み方ガイド
教科書(としても使える)と言っても概説書に近い形態のものなので、読む方の興味や現在持っている言語学に関する知識に応じてある程度自由に読むことができるとは思います。
とは言っても、やはり理論や概念は少しずつ導入していきますし、「6つの現象」も完全に独立したパラレルな関係にはありませんので、特に本書に書かれている内容になじみが(あまり)ないという方は下記のポイントも参考にしてみてください。
2章の次は3章を(ほぼセット)
第1章は本全体の紹介という感じで内容的なイントロではないので読み飛ばしてもそれほど支障はないはずです。各章のまとめは比較的詳しく書いてあるので、どの章を読もうかなという参考としてお使いください。読んだ後の理解の確認のサポートにもなるかもしれません。
第2章が内容としてのイントロです。形態論はどのような問題に取り組む領域なのかということとごく基礎的な用語についての導入に続いて、形態論の理論に関する研究史の概観と現代における分類が紹介されます。本書で何度か出てくるように、分散形態論 (以下DM) とパラダイム関数形態論 (以下PFM) は多くの面で対立している理論ではあるものの、具現的 (realizational) という点では共通しているというところが重要です。
2章でDMとPFMの基本的なメカニズムについても導入していますが、特に初学者の方はここだけで理解を深めるのは難しいでしょう(理論に強い人はここだけでもいけるのかな)。そこで、この枠組みを使って実際にどのような分析ができるのかということを知るためにぜひ2章の次は3章「融合」を読んでください。2章と3章は実質セットと言ってもよい関係になっています。
また、本書では融合 (syncretism) と補充法 (suppletion) を標準型屈折とどのように違うのかという形で捉え(直し)ていますので、3章は「屈折とは何か」ということについても理解を深める助けになるはずです。そのため、融合という現象にそれほど興味がなく形態論についてすでに知識がある人も3章はまずある程度消化してしまうことをおすすめします。
3章の次は…
特にこだわりがなければ3章の後も順に読んでいくのがもちろん一番おすすめではあるのですが、4章「補充法」も屈折形態論の研究としてはかなり優先度が高いものでさらに3章との結び付きも強い内容になっていますので、4章までは続けて読むのが良いと思います。
5章から先はトピックごとの独立性が高いです。5章「ゼロ形態」6章「虚形態」は形式と意味のどちらが欠けているかという点では対照的ではあるものの扱いはかなり異なりますので、書いてある内容は切り離せないというほどの関係にはなっていません。また、7章「阻止」は派生形態論寄りの話、8章「迂言法」は統語論寄りの話ですので少し応用的な位置付けのトピックです。派生形態論や生成統語論についてすでに知識がある方は3章の後はこちらから先に読んでも楽しめるかもしれません。
各章の読み方
2章から8章まではそれぞれ理論に寄らない一般的なイントロのあと、DMの話、PFMの話と続く構成になっています。
各章の一般的なイントロのところだけまず読むという読み方をしても良いと思います。理論的なところについては人によってはかなり消化するのが大変かもしれません。また、DMとPDMはそれぞれの理解を前提としない関係の理論なので、たとえばDMに興味がない場合は一般的なイントロのあとすぐにPFMのところを読むという読み方をしてもほぼ大丈夫です(少しだけDMの分析に言及しているところもあります)。
理論に関するところをあまりうまく消化できなかった場合でも、各章の終わりにある「まとめ」のところは読んでみてください。各章の内容に合わせてそれぞれの理論の特徴と対立点や共通点について概説してありますので、簡潔ではありますが理解の助けになると思います。
練習問題とコラム
この本の目標はきちんとやれば自分でそれぞれの理論を使った分析ができる(書ける)ようになるというものなので、問1としてかなり具体的な練習問題を付けてあります。理論の勉強はこういう自分で実際に書いてみるというのがかなり重要ですので、ぜひチャレンジしてみてください。
一方、問2の方はちゃんとやると1つの論文になるかもしれないというくらい大きな(大きくなりうる)トピックを取り上げています。よければ卒業論文のネタ探しなどにも使ってみてください。
コラム、特に「純形態的 (morphomic)」については英語文献を含めてもそれほど解説は多くなく貴重だと思います。「構文 (construction)」も今は認知言語学関係の文献では日本語で多くの解説が読めますが、HPSGやConstruction Morphology以外の形態論との関係から(も)書かれたものという点であまり見ない内容のものではないでしょうか。
訳語の話
用語の訳語対応一覧のようなものは付いていませんが、事項索引が実質的にそのリストになっています。
特に理論関係の用語については英語に対応する日本語として定訳がないものが多く、新しく考えたものが多いです。極端なことを言うとその用語や概念が表している内容が正確に理解できれば良いのですが、教科書でもありますし、できるだけ理解の助けになる適切な訳語を付けたいのですよね。
DM絡みで厄介だったのが削除系の形態操作の "Impoverishment" と "Obliteration" で、言語学にはすでに「消す」ことに関する用語が複数存在するので(ellipsis, deletion, ...)どう訳し分けようかけっこう困りました。結局前者を「消去」、後者を「切除」としました。後者は節点の削除であることをそこそこうまく表せたかなと思います。あとはDMの方針としてよく言及される "Syntax all the way down" も苦労しました。西山國雄氏はかなり意訳していましたね。PFM関係では "Identity Function Default" が難しかったようです。結局無理に漢語にするよりはということで「恒等関数デフォルト」になりました。
伝統的な用語についても逐一確認はしました。たとえば、「融合 (syncretism)」は現代では通時的な背景が必須というわけではないので「同形(性)」のようにした方が分かりやすいのではないかという話が出たりしましたが、教科書ということもありある程度定着しているものについては伝統的なものを使っています。
訳が難しいものについては、言語学以外の分野で同じ用語が使われていないか、その訳語はどうなっているかについて調べたり、日本語のシソーラスを引いたり、打ち合わせでもけっこうな時間を使ったような記憶があります。
書けなかったこと:日本語周り
日本語については形態論関係でいろいろ重要な研究が出ていますが、日本語研究の観点からのものはむしろ比較的情報がありますので、ほとんど取り上げませんでした。たとえばDMを使った日本語の分析例としては西山國雄氏の下記のものがかなり具体的です。個別の文献も探せばいろいろ出てくるでしょう。
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日本語研究の研究者としては日本語研究との関連もいろいろ気になるところですがそちらも言及はしないことにしました。Rootと川端善明の「形状言」などがどの点で違う/同じかということや、工藤真由美のテンスアスペクト関係の語形の位置付けが形態素基盤/パラダイム基盤モデルという観点から見るとどうか、というようなことについてはこれまでも論文の脚注などでちょこちょこ書いてきましたので、機会があれば簡単にでもまとめてみたい気はします。
日本語関係の話をこれだけおさえて自分がどれだけ書けるかというのは自分にとってはかなりチャレンジだなと思っていたのですが、結局はこれ以上ボリューム的に内容を増やすのは無理でしたので良かったのかもしれません。
おわりに
形態論についてはこれまでも良い教科書や入門書がいろいろあり、またこれからも出るものもあるようですので、ほかの書籍に関する読書ガイドを作ることも考えています。ただすぐにというわけにはいかないのでしばらくお待ちください。
人によっては一通り読むのもなかなか大変な本かもしれませんが、何度も書いているように日本語で読めるものとしてはレアな内容がいろいろあります。部分的にでも楽しめたり参考になるということがあれば嬉しいです。