『THE GUILTY ギルティ』 音が導く空想の世界
サンダンス映画祭では観客賞を受賞した。
警察内の緊急通報指令室だけですべてが進行していくという作品。主人公のアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は緊急通報指令室のオペレーターで、電話の向こう側の声や物音に耳を澄ませる。観客としても与えられる情報もそれだけということになる。
◆誘拐事件発生
アスガーはその日、イーベン(イェシカ・ディナウエ)名乗る女性からの電話を受ける。電話の近くに犯人が居て詳しく話すことはできないのだが、彼女は誘拐されたのだという。車に乗せられている彼女がどこに向かっているのか、その車の車種や色は、そうした詳細を確認しようとするうちに電話は切れてしまう。アスガーは無事にこの事件を解決できるのか?
通常の緊急通報指令室の仕事は、恐らくその電話をどこかに回した時点で終了なのだろう。しかし、アスガーは役割を超えてその事件に首を突っ込んでいく。自宅にいるイーベンの娘マチルドからの情報によれば、イーベンを連れ出したのは元夫のミケル(ヨハン・オルセン)で、彼はナイフを手にしているらしい。マチルドは母親が殺されないかと心配しているため、アスガーは「必ずお母さんを家に帰す」と彼女に約束することになる。
この状況は最近取り上げた『ジュリアン』とよく似ている。DV夫の凶行で苦しむのは、常にか弱い妻と子供たちということだ。『ジュリアン』では、家に乗り込んでこようとする夫のただならぬ様子を察した妻が緊急通報し、電話の向こう側のオペレーターの的確な指示によって何とか事なきを得ることになった。『ジュリアン』ではバスルームで怯える妻とジュリアンの様子と、電話の向こう側から冷静な指示を出す警察官の両方が描かれるのだが、『THE GUILTY ギルティ』ではカメラは常にオペレーターのアスガーの顔だけを捉えていて、誘拐事件に関しては電話からの音だけで推測していくしかない。
車の走る音、雨が打ちつける音、ドアが開く音、歩く音や泣き声、そうした音だけが頼りなのだ。それはアスガーも観客も同じで、当然もどかしい思いもあるのだが、本作はその原則を最後まで貫いていく。
電話の向こう側から聞こえてくる音は、実際に役者たちが物語の進行と同じように演技をしているものと思われる。効果音でもつくるように単なる音をつくっているだけならばかなり安上がりだけれど、そうではなくてリアルな音が使われているような気がする。イーベン役やミケル役の役者も配役表に名前は挙がっているのだが、顔などは一切出ることがない。事件現場の映像をまったく見せず、音だけで観客に想像させるというのはユニークな手法だったと思う(ただ、映像メディアにとっては危険な賭けでもあり、繰り返し使える手法ではないかも)。
※ 以下、ネタバレもあり!
◆事件の顛末
ほとんど音だけしかないというのは情報量としては圧倒的に少ないということになる。人間が認識する情報の8割から9割くらいは視覚からであり、聴覚からの情報は1割にも満たないという話もあるくらいなのだ。だから、その少ない情報からだけで電話の向こう側の事件について正確に把握することは難しい。実際にアスガーは大きな勘違いをしていることに後に気づくことになる。
というのは誘拐事件の犯人だと信じ込んでいたミケルは、元妻に執着心を抱くストーカーではなかったのだ。実はイーベンは精神に異常をきたしていて、赤ん坊をナイフで切り刻んでしまったのだ。それを知った元夫ミケルがイーベンを精神病院へと連れて行こうとしていたというのが真相なのだ。
ここまでで私が思い描いていたのは『ジュリアン』のモンスターのような父親の姿だったのだが、ここで唐突にイーベンの病に憔悴しきった哀れな男に変貌するように感じられた。音だけの情報で事件のあらましを勝手に想像していたからこその“どんでん返し”ということになるだろう。
◆もうひとつの物語
さらに本作では誘拐事件と同時に進行しているもうひとつの物語がある。それが主人公アスガー自身の物語だ。アスガーは本来別の部署で働いていたのだが、今は一時的に緊急通報指令室にいる。彼は明日開かれる法廷の結果によって、現場に復帰できるかが決まるらしい。
恐らく緊急通報指令室にいるオペレーターたちは警察OBとかの類いで、現役バリバリのアスガーは同僚たちにも失礼な態度を示したりもする。すぐにも現場に戻りたいアスガーとしては、リタイア組と一緒にされるのは堪らないということなのだろう。本作ではカメラの被写界深度が浅く、ほとんどアスガーの顔だけしか捉えていないのは、アスガー自身の視野の狭さの表れということなのかもしれない。
アスガーは結構嫌な奴ではあるのだが、オペレーターの役割を超えてまで積極的にイーベンを助けようとする、正義感にあふれた警察官でもある。そのためには相棒にも不法行為を強いたりもする。やり過ぎなところがあるのも否めないのだ。また、アスガーは妻との関係にも問題を抱えている。妻はアスガーが警察の仕事に入れ込み過ぎることが理解できずに出ていったのかもしれない。
その点でアスガーはミケルに同情を覚えた可能性もある。ミケルはイーベンの病気をあちこちに訴えたものの無視され、今回の事件は起きてしまった。自分の訴えを誰も聞いてくれなかったじゃないかとの叫びはミケルのものだが、妻にすら理解されないという不遇感の点で、アスガーとミケルには共通するものがあるのだ。
アスガーはある事件で、若い犯人を撃ち殺している。そんな必要はなかったのにも関わらずだ。彼はその罪を認めずに、明日の法廷では相棒に嘘を言わせ、現場の仕事に復帰しようとしている。一つの過ちを認めることよりも、自分が現場に復帰するほうが大いなる正義にかなうとまで考えているのかもしれないのだ。
ラストではアスガーはイーベンに対して自分の抱えている罪を告白することになる。ただ、これはアスガーが悔い改めたせいではない。罪を認めようとはしないアスガーに罰が当たったとでもいうかのように、彼は自分の過失を最小限にするために行動して、さらなるどつぼにはまっていくようにも見えた。
誘拐事件と主人公の物語のふたつをうまく絡ませて、88分間を退屈させることがない作品だった。ほとんど一人芝居で、音だけで展開される物語にも関わらず(だからこそなのかもしれないが)、空想のなかでは様々な映像が思い描かれ、もっと広い世界が描かれていたようにすら感じていたのが意外だった。