2018年07月のバックナンバー : 映画批評的妄想覚え書き/日々是口実
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『ウインド・リバー』 暑い夏にお薦めの1本

 脚本・監督はテイラー・シェリダン
 この人は『ボーダーライン』の脚本を書いた人で、今回が初監督作品ながら、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞した。

 “ウインド・リバー”とは先住民保留区(Indian reservation)の名前。「先住民のために取っておいた土地」と言うといい響きにも聞こえるけれど、実際には先住民であるネイティブ・アメリカンを豊かな土地から追い払い、不毛な土地に移住させたということだ。
 実際“ウインド・リバー”には何もない。何もないから地下核施設なんかが作られたりもしているらしい。さらにこの作品の冒頭に描かれるように、この土地はとんでもなく寒い場所らしい。氷点下30度までに下がった夜に外で走ったりすると、肺胞が凍ってしまって血を吐いて死ぬことになる。それほど人が住むには適さない場所ということだろう。
 “ウインド・リバー”の広さは鹿児島県くらいとのこと。ちなみに鹿児島県の警察官の人数を調べてみると約3000人くらいらしいのだが、“ウインド・リバー”の警察官の人数はたったの6人。たった6人で真っ当な仕事ができるのかといえばそれは無理な話で、事件などが起きてもうやむやになってしまう場合が多く、ある意味では無法地帯となっているのだ。

テイラー・シェリダン 『ウインド・リバー』 主人公のコリー(ジェレミー・レナー)と亡くなったナタリーの父親。先住民を演じるギル・バーミンガムがいい味を出している。


 人里離れた雪原の上で先住民の少女が死体となって発見される。その少女は雪原の上を裸足で何キロも走ってきたあげく、そこで息絶えたのだ。発見したハンターのコリー(ジェレミー・レナー)はその少女を知っていた。彼女はコリーの娘の親友だったのだ。

 事件のために派遣されたFBIはまだ新米の女性ジェーン(エリザベス・オルセン)だった。ジェーンは亡くなった少女ナタリー(ケルシー・アスビル)がレイプされているのを知り、殺人事件として処理しようとするのだが、実際の死因が肺胞の凍結による窒息死であることからそれもできない。結局FBIから応援要員は来ることもなく、ジェーンはその土地をよく知るコリーに援助を頼み、自分たちだけで犯人を見つけようとする。

『ウインド・リバー』 FBIのジェーン(エリザベス・オルセン)はこの土地の寒さも知らずに軽装で現れるのだが……。

 テイラー・シェリダンの脚本は犯人を捜すミステリーでありながら、先住民保留区の現実を描き、そこに生きる先住民が抱える問題を浮かび上がらせる。不毛な土地に囲い込まれた先住民は何もない場所で鬱屈して生きていくほかなく、ドラッグに逃避する人も多いようだ。
 さらに女性たちの置かれた状況もひどいものがある。女性はほかの地域よりも何倍もレイプされる率が高く、先住民の女性が非先住民の人間にレイプされても起訴されないことも多いのだという。
 主人公のコリーも半分は先住民の血が混じった娘を、ナタリーと似たような状況で亡くしている。しかし遺体はコヨーテによって食べられてしまったために事件として処理することもできなかったらしい。そんなことがあったからこそ、コリーはナタリーの事件に対して復讐心を燃やすことになる。

 テイラー・シェリダンは自分が脚本を書いた3作品を“フロンティア3部作”と位置づけている。これらの作品を観るとこれらフロンティアはある種の無法地帯で、自分の身は自分で守らなければならないという厳しい掟が支配している。
 だから『ボーダーライン』で法の遵守と正義の問題で悩んでいたケイトは、何も知らない観客の案内役の役割に留まるほかなかった(ちなみに『ボーダーライン』の続編ではケイトは登場しないようだ)。『ボーダーライン』の真の主人公は殺し屋であるアレハンドロで、彼は妻と娘の仇を討つために行動しているのだ。
 『最後の追跡』(劇場未公開だがネットフリックスにて配信中)では、銀行に土地を奪われそうになった兄弟が、それを奪い返すために銀行強盗という手段に出る。ここでのフロンティアとは経済の領域で、たとえば『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』のようにリーマン・ショック後に銀行が貧乏人から土地を奪い取っていくという事態が背景にある。
 『ウインド・リバー』の世界もそうした無法地帯である。そんな世界で生きていくことは難しい。「死んだ鹿は、弱い鹿」であって、この世界に「偶然はない」というコリーの言葉には厳しいものがある。しかし、コリーには自分の娘を救うことができなかった点で弱者に対する理解がある(コリー自身はハンターとして強者だとしても)。
 思えば『ボーダーライン』においてメキシコでの麻薬取引に関わっている警察官のエピソードが意外にも丁寧に描かれているのは、麻薬によって家族を失うことになるごく普通の家族の悲劇を強調するためだろう。そして『最後の追跡』において同情的に描かれるのも銀行に騙される貧乏人だった。テイラー・シェリダンの描くフロンティアは厳しい掟が支配する。そして、それを逞しく生き抜くヒロイックな主人公が居たとしても、テイラー・シェリダンの視線は弱者のほうに向いている。
 だから『ウインド・リバー』のコリーは、雪原を何キロも逃亡したナタリーの“強さ”を賞賛するし、FBIのジェーンも壮絶な銃撃戦を生き残ったこと自体が“強さ”なのだとコリーに諭されもする。さらにコリーはドラッグに逃避しているナタリーの兄に対してこんな説教をしていた。「社会は変えられない。だから俺は感情のほうを変える」と。これは先住民が“ウインド・リバー”で生きていくための処世術だけれど、多分、テイラー・シェリダンは「社会を変える」ほうを望んでいるし、この作品を世に送り出すことでそうなることを願っているのだ。
 加えて言っておけば、社会問題を声高に訴えるだけではなく、ハラハラドキドキが最後まで続くエンターテインメントとしてもよく出来ていた。ナタリーの死の真相が明らかになる部分の演出も見事だったし、そのあとの壮絶な銃撃戦も見応えがあった。あまり粒揃いとは言えないこの夏の劇場公開作品のなかでは断然お薦めの作品だと思う。

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Date: 2018.07.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (6)

『悲しみに、こんにちは』 6歳で母を亡くした少女のひと夏

 スペインの女性監督カルラ・シモンの長編デビュー作。
 ベルリン国際映画祭では新人監督賞を受賞した。
 原題は「Estiu 1993」で、「1993年、夏」という意味。

カルラ・シモン 『悲しみに、こんにちは』 フリダ(ライア・アルティガス)は6歳で両親を亡くす。


 両親を亡くした主人公の少女フリダ(ライア・アルティガス)は、叔父夫婦のところに引き取られる。バルセロナからカタルーニャの田舎に引っ越し、いとこのアナ(パウラ・ロブレス)と一緒の新しい生活が始まるのだが……。
 
 作品中に詳しく説明があるわけではないのだが、フリダは父と母をエイズで相次いで亡くしたという設定。これは監督であるカルラ・シモンの自伝的な話のようだ。1993年が舞台となっているが、この時期はまだエイズに対する効果的な治療は確立されていなかったころ。よくわからない病気で両親を亡くした少女のひと夏が丁寧に描かれていく。
 フリダはまだ6歳。“死”というものが何なのかもまだ理解していない。それでも母親がいなくなったことだけは感じていて、一緒に暮らすことになった叔母マルガ(ブルーナ・クッシ)に最初はちょっと遠慮しているようにも見える。
 フリダは親から甘やかされて育ったらしく、自分では靴ヒモを結ぶこともできない。母親が居ればそんなことはしなくてもよかったのだ。しかし今では母親は死に、やさしい祖母からも遠く離れているわけで、フリダはその場所で生きていくしかないのだ。

『悲しみに、こんにちは』 フリダ(ライア・アルティガス)はいとこのアナ(パウラ・ロブレス)と一緒に暮らすころに。

 冒頭はバルセロナから引っ越しの日の場面。いつもと違う家の様子に、所在なさげに居場所を探すように歩き回るフリダが描かれている。ここでの映像は極端に被写界深度が浅いものとなっている(あの『サウルの息子』のように)。スクリーンの中心に位置するものにしかピントが合わず、周囲はひどくぼやけた状態になっているのだ。これはフリダが母の死を経験して内にこもってしまい、外界にあまり注意が向いていないような状態を示しているのかもしれない。
 それでもカタルーニャで幼いいとこアナと暮らすようになると、次第にそんな状態からは脱出してくる。そうすると元々のワガママな部分が出てきて、叔母を困らせてみたり、アナにいたずらをしてケガをさせたりもしてしまう。
 家族とはいえ一緒に暮らしていくのは何かと苦労が多い。急にひとり成員が増えればなおさらである。叔母のマルガは血のつながりのないフリダの母親になることを決めたけれど、まだ幼いアナのことも守らなければならない。となればフリダに厳しく接することもあるわけで、これまで甘やかされてきたフリダにとっては耐え難いこと。どちらにも言い分はある。フリダは望んでマルガの家に来たわけではないし、マルガだってフリダのアレルギーのために飼っていた猫をほかに追いやったりする努力をしている。家族になるのは大変なのだ。

 最初はあまりに自由気ままな態度がいけ好かなくも感じられるフリダ。それでもマリア像に母親に対しての贈り物を捧げてみたり、祖母が教えてくれた祈りの言葉を唱えたりする姿を見ていると、母親と暮らした家に戻ろうと家出を試みるエピソードあたりでは同情したくもなってくる。怖くなって家出からは戻ってきたものの、「暗いから明日にする」と言い放って毅然としているのがフリダらしいところ。そんなフリダが最後に流す涙にはちょっともらい泣きした。
 無邪気にフリダの後を追っかけているアナ役の少女はまだ幼くて何ともかわいらしい。カメラの前の姿は演技というか自然のリアクションなんじゃないかと思える。フリダ役のライア・アルティガスだってまだ幼いのだけれど、意外と芸達者なのかもしれない。最後の場面ではアナと叔父と三人でベッドの上でじゃれあっているという長回しのなか、いつの間にか泣き出してしまうという難しい場面をすんなりこなしているのだ。

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Date: 2018.07.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『グッバイ・ゴダール!』 ゴダールも妻から見ればただの男

 監督・脚本は『アーティスト』ミシェル・アザナヴィシウス
 原作は、ジャン=リュック・ゴダールの2番目の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説。アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝と謳いつつも、この映画は彼女の目を通したゴダールが描かれていくことになる。

ミシェル・アザナヴィシウス 『グッバイ・ゴダール』 ゴダールを演じるルイ・ガレルと、アンヌ・ヴィアゼムスキー役のステイシー・マーティン。

 『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などでヌーベルバーグの旗手なったジャン=リュック・ゴダール。ゴダールがアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚していたのは、商業映画とは別の方向性を模索していた時代。
 この時期、フランスでは5月革命などと呼ばれた出来事が起き、世界的にも反体制運動が盛り上がっていた。日本では学生運動が最後の盛り上がりを見せた時期として記憶されている。ゴダールはそんな時代のなかで商業映画など撮ってはいられないと考えたのか、政治的な作品へと移行していく。
 ただ、この作品はそうした事実をもとにしつつもコメディ作品に仕上がっている。ゴダール(ルイ・ガレル)は再三再四眼鏡を壊されるドタバタを演じることになるし、アンヌ(ステイシー・マーティン)はゴダールとヌードの必要性について論じながらまったく不必要なオールヌード姿を披露することになる。そんなわけでゴダールを知らなくてもそれなりに楽しめる作品となっていたと思う。もちろんゴダール作品に対するオマージュにも溢れているし、無声映画『裁かるるジャンヌ』にふたりの台詞を重ねたてみたりといった映像と音のコラージュもゴダールのそれを意識しているのだろう。

『グッバイ・ゴダール』 『勝手にしやがれ』っぽい? ステイシー・マーティンがとてもかわいらしくアンヌを演じる。

 ゴダールは「政治映画を撮る」のでなく「映画を政治的に撮る」のだと言っていたのだとか……。なかなか含意のありそうな言葉で映画評論家ならここから様々な論を組み立てることもできるのかもしれないのだけれど、凡人にとっては煙に巻かれたような気にもなる言葉でもある。本作でもゴダールは若者たちの集会で革命について訴えかけるけれど、その言葉は若者たちには通じてはいなかったようだ。道化のようにも見えるゴダールだが、本作に登場するゴダールはアンヌ・ヴィアゼムスキーが見たゴダールということになるからかもしれない。
 アンヌは哲学科の学生でもあり、ノーベル文学賞を受賞したフランソワ・モーリアックの孫という由緒正しい家柄とはいえ、その当時は19歳の女の子である。難しい政治の話よりファッションのほうに興味があるわけで、政治のほうに傾斜していくゴダールとは離れていくことになるのは当然だったのかもしれない。
 時代の寵児として騒がれたゴダールも妻から見ればただの男。才能には溢れているけれど、ちょっとお騒がせで困った男でもあるのだ。しかも嫉妬に駆られたのか自殺未遂騒動まで引き起こすことに……。ゴダールの神話は多いけれど、本作はそんな映画作家を描くというよりは、ひとりの男の悲喜劇を描いた作品ということなのだろう。

 ゴダールを演じたルイ・ガレルは薄くなった頭髪まで再現してゴダールっぽく成りきっている。一方で、アンヌ・ヴィアゼムスキーが主演した『中国女』ステイシー・マーティンによって再現されているけれど、特段本人に似せようとは思っていないようで髪形すら合っていない。何となくゴダールの最初の妻アンナ・カリーナのほうに似ているようにも思えた。とは言うもののステイシー・マーティンはゴダールのミューズとしての魅力はとてもよく体現していたんじゃないだろうか。アブノーマルな女の子を演じた『ニンフォマニアック』のときとは違って、どちらかと言えば等身大の女の子をハツラツと演じているのが印象的だった。

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Date: 2018.07.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『君が君で君だ』 幻想を捨てて現実に生きる?

 監督は『私たちのハァハァ』『アズミ・ハルコは行方不明』などの松居大悟で、脚本も松居大悟が長年温めてきたオリジナルとのこと。
 タイトルは登場人物が合唱する尾崎豊「僕が僕であるために」を受けてのものかと思われる。

松居大悟 『君が君で君だ』 坂本竜馬(大倉孝二)、尾崎豊(池松壮亮)、ブラッド・ピット(満島真之介)になったつもりの三人。
 
 わかりやすくこの作品を紹介するとすれば、ストーカーを描いたものということになるのだろうと思うのだけれど、実際にこんなストーカーがいるのかどうかはわからない。登場する三人の男たちは、ソン(キム・コッピ)という韓国人の女性を好きになり、彼女の家の向かいに住み込み、彼女を監視するストーカー行為を続ける。その間、なんと10年間。
 さらに風変わりなのは、彼らは自分の名前すら捨てて、ソンが好む人物に成りきって生きていること。ひとりはブラッド・ピット(満島真之介)に、ひとりは坂本竜馬(大倉孝二)に、ひとりは尾崎豊(池松壮亮)になったつもりなのだ。というのもソンはブラピのような顔が好きで、坂本竜馬のような生き方に憧れ、尾崎豊の歌をよく聴いていたから。
 そんなふうに彼女の好きな人物に成りきったとしても無駄とすら思えるのは、彼らはソンを遠くから見守るだけで干渉しようとはしないから。ソンを見守り、彼女と一緒のことをして彼女に同化しようとし、彼女の気持ちを知ろうとはするものの、彼女と接触を試みるのは避けているのだ。

 ↓ キム・コッピ演じるソンは映画のなかでは「ブスなのに」とか言われているけれど、実は松居監督のお気に入りらしい。



 松居大悟の作品ではどこかとち狂った人が登場することが多いけれど、『君が君で君だ』はオリジナル作品だけあって主要三人のこじらせ方が異様だった。そもそもの始まりはプラピがソンのことが気に入ったからで、尾崎豊はそれを見守るような立場だった。しかしそこにさらにソンの元彼だった坂本竜馬まで加わって、姫と呼ぶソンの日常を垣間見ては悦に浸るという監視生活を続けてきたらしい。
 ソンに干渉することを禁じているのは、そうすることで長らく続いてきた監視生活が壊れてしまうことを恐れていたのかもしれない。実際にソンのピンチに三人が干渉してしまったことで、そうした関係性が壊れていくことになる。
 ソンは現在のクズ彼氏・宗太(高杉真宙)の借金を肩代わりする羽目になっているのだけれど、その借金取りたち(YOU向井理の二人組)はソンのことを監視している三人からも金を取り立てようと部屋に乗り込んでくる。そして素朴な疑問として「何のためにそんなことをしているのか」と聞いてみるのだが、三人の答えは「姫を守っている」などと言いつつも、借金のためにソンがピンサロで働くことすらも止めようとしないわけで、三人が何を守っているのかはよくわからないのだ。

 そもそも最初は何をしたかったのか。それがわからなくなっているのに、それに気づかないフリをしている。もはや意味不明だが、やり始めたからやる。わけがわからないけどもはや止められない。男のこじらせ方にはそんなところがあるというのは何となくわかる気がする。
 この三人の男たちの壊れ方はすさまじくて気味が悪いほど。ただ、それを通り越すと次第におもしろくなってきて、彼らが愛おしく感じられるかもしれない。もちろん三人を受け入れ難いという人もいるだろう。そもそものきっかけをつくったブラピですらも、尾崎豊がソンの切り落とした髪を食べるという段になって目が覚めるように、彼らにドン引きするかもしれない。それまではブラピに追随していたようにも見えた尾崎豊は、女性用の下着に身を包んだままモリモリ髪を食べてソンと同一化しようとするのだ。このシーンにはちょっと唖然とさせられた。

 一応の結末としては三人の幻想も終わりを告げることにはなる。しかし一方では、監督・脚本の松居大悟は幻想のなかで映画を終わらせたがっているようにも思えた。ラストでは尾崎豊がソンとひまわりの咲く場所で結婚式を挙げるという妄想が描かれるけれど、そこに留まることはせずにとりあえずは現実に着地する。ゴスロリの少女が主人公だった『ワンダフルワールドエンド』が、幻想のなか(桜と菜の花が咲く場所)で映画を終えていたのと比べると結末は抑制されている。というのは松居大悟にとって女の子自体がすでに幻想だからなのだろう。一方でこじらせた男たちを幻想のなかに放置するのはあまりにグロテスクすぎるという判断があったのかもしれない。もう若くはない男たちも幻想が崩壊することで現実を生きていくということになるのだろうか。松居監督は未だにちょっと逡巡しているようにも思えたのだけれど……。

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Date: 2018.07.12 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『パンク侍、斬られて候』 嘘っぽい世の中をやり過ごすには

 原作は町田康の同名小説。脚本には宮藤官九郎
 監督は『爆裂都市 BURST CITY』『シャニダールの花』などの石井岳龍

石井岳龍 『パンク侍、斬られて候』 主人公を演じるのは綾野剛。『シャニダールの花』『ソレダケ / that’s it』に続き、3作目の石井監督とのコンビ。


 時は江戸時代。とある街道沿いで主人公の掛十之進(綾野剛)が腹ふり党の残党だと思わしき男を斬り殺す。それを目撃した黒和藩藩士・長岡主馬(近藤公園)は「なにゆえ男を斬ったのか」と問いかけると、掛十之進は腹ふり党と呼ばれる邪教の恐ろしさを語り出す。

 腹ふり党という宗教があったことは本当のことだし、それによって混乱が生じた藩もあったらしいのだが、実は殺された男は腹ふり党とはまったく関係ない人物。掛十之進は間違って斬ってしまったのだ。というのも牢人(浪人)としての生活は楽ではないし、この辺でそろそろ仕官して安定した暮らしがしたかったから。
 間違いとはいえ斬ってしまったものはもう生き返らないしとばかりに掛十之進は嘘八百を続け、その嘘を利用しようと企む内藤帯刀(豊川悦司)の手助けもあってうまく立ち回ったものの、腹ふり党の元幹部・茶山半郎(浅野忠信)を担ぎ出して腹ふり党再興プロジェクトを立ち上げてみたところとんでもない大騒ぎに発展してしまう。

『パンク侍、斬られて候』 カラフルな衣装も映える北川景子が演じるろんの正体は?

 腹ふり党とは何か? 彼らの教義によればこの世界は巨大なサナダ虫の腹の中なのだという。そんな世界から抜け出すためにはサナダ虫の腹をくださなければならない。腹をくださせるにはサナダ虫にとっての毒になる必要がある。毒となればサナダ虫はそれを排出しようするわけで、悪事でも何でもやり放題をすれば、この世界から抜け出し――つまりはサナダ虫の肛門から排出され――真正世界を垣間見ることができる。
 もちろんこうした教義は狂っている。わけがわからないし、ありがたみもなさそうだ。ただ、「この世が嘘である」という一事においては当たっている。真正世界はどこか別にあって、間違った嘘の世界で苦しんでいる。その部分では誰もが認識を同じくしている。
 腹をふれば真正世界に抜け出せるわけではないのだが、嘘の世界に留まっているだけは何のおもしろみもない。そんなわけで「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」となかばやけくそ気味に腹をふり始めると、それなりに楽しくなってきて真似するものも出てくる。みんながやっていると右へ倣えが続いていき、段々収拾がつかなくなってくる。

 主人公はすべての発端にいながらも自分で巻き起こした大騒動に驚くばかりだし、藩の治世を担う黒和直仁(東出昌大)や内藤たちにとっても腹ふり党はやっかいな代物だったわけだけれど、それなりにこのバカ騒ぎを楽しんでもいたようにも見える。どうもこの世は嘘っぽいという感覚は江戸時代も共通していて、だからどうすればいいのかというと「パンクであれ」ということなのだろう。となると「パンクとは何か」と問われることになるわけだが、そこはよくわからないのだけれど……。
 『爆裂都市 BURST CITY』(石井聰亙名義)では、重要な役柄で登場していた町田町蔵は、劇中で一言も口をきかず「あー」とか唸り声とも叫び声とも言える音を発していた。そんな町田康が作家となって書き上げた『パンク侍、斬られて候』は、その語り口こそがパンクなんじゃないんだろうか。つまりはパンクとは嘘っぽい世の中をやり過ごすための方策みたいなものなのだろう。
 その映画化である本作は、原作の語り口を活かし、ある登場人(?)物によるナレーションで心内語を描写し、混沌としたエネルギーをぶちまけるテンションの高い作品となっている。本作にとってはこの熱量こそがパンクということになるだろうか。
 時代は江戸なのに横文字ばかりが登場するというデタラメさに、カラフルな衣装、サル軍団の大立ち回り、超能力による人間花火、そして大人数での腹踊りの賑やかさなど見どころは多い(腹黒い内藤を演じる豊川悦司と綾野剛の掛け合いもおもしろい)。超人的剣客を自称する掛十之進と、それを暗殺しようとする真鍋五千郎(村上淳)の闘いはスピードがあってよかったし、“人間炬燵”という秘儀をプロレス技に移行させるなど遊び心もあって楽しめる作品となっていたと思う。原作に気を使ったのか、それに忠実すぎてエネルギーを削がれているように感じられたのが惜しいところかも。『爆裂都市 BURST CITY』なんてもっと混沌としていたような気がするし。

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ソレダケ/that’s it


シャニダールの花


石井岳龍の作品
Date: 2018.07.08 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『死の谷間』 ネオ・ジェネシス?

 監督は『コンプライアンス 服従の心理』クレイグ・ゾベル。『コンプライアンス』は実話を元にした作品で、何とも不快でイライラさせられる点が素晴らしかった。
 原作はロバート・C・オブライエンの小説『死の影の谷間』。
 原題は「Z For Zachariah」

クレイグ・ゾベル 『死の谷間』 マーゴット・ロビーが『スーサイド・スクワッド』あたりでブレイクする前に撮った作品。

 死の灰に覆われた核戦争後の世界のなかで唯一汚染されていない谷。どことなく『風の谷のナウシカ』なんかを思わせる設定だが、この作品が描こうとしているのは新しい「アダムとイブ」の物語ということになるようだ。
 その谷間での唯一の生存者アン(マーゴット・ロビー)は、愛犬と一緒に誰もいなくなった我が家に住んでいる。スーパーの食品もあらかた食べ尽くし、自給自足で生きていく方法を探している。そんなある日、谷間に防護服を来た誰かがやってくる。
 自らを唯一の生存者と思っていたアンは、自分以外の人間が生きていたことに喜びを感じつつも、その人間がどんな人物なのかがわからずに遠巻きに様子を窺う。しかしそのうちにその黒人男性ジョン(キウェテル・イジョフォー)は汚染された水の泉に浸かってしまい、体調を崩すことになってしまう。アンはジョンを助け、体力回復のために一緒に生活することになる。

『死の谷間』 微妙なバランスの上に成り立つ三角関係。

 まだ若くて健康的なアンと、放射能の被害に苦しむ中年男性ジョン。そんなふたりが新しいアダムとイブなのかと思っていると、そこに第三の男が登場するところが「創世記」のそれとは違うところ。
 ジョンはアンとふたりだけの生活をそれなりに楽しんだりもし、男女の関係にもなりかけるのだけれど、時間はたっぷりあるからと手を出さないのだ。そうこうしているうちに別の男ケイレブ(クリス・パイン)――白人で、アンと同じくキリスト教徒――がやってきたものだから、妙な三角関係になってしまう。
 世界の終わりという危機的な状況のなかで、何とも日常的なじれったい三角関係が描かれていく。三人がその谷で冬を越すためには水車を作り、電気を使えるようにすることが必要とされる。そのためにはケイレブの体力と、科学者としてジョンの知識も必要となる。微妙なバランスの上に成り立つ関係は水車の完成とともに崩れることになるのだが、その結末は明確に示されるわけではない。

 原題は「Z For Zachariah」というもの。これは映画『死の谷間』のなかにも登場する「A For Adam」という絵本と対になっている。これは「ドレミの歌」みたいに、「AはアダムのA」から始まって「ZはザカリアのZ」で終わるものだ。つまりは原題が「Z For Zachariah」となっているのは、人類の始祖であるアダムとイブではなく「最後の人」という意味合いもあるのかもしれない。
 3人が食卓を囲んでの告白合戦の際には、自分たちが見てきた世界の終わりの壮絶さが語られる。誰もが酷い世界を経験してきたわけだが、ジョンがアンに対して一歩踏み込めなかったのもそうした過去が影響しているらしい。どちらかと言えば本能的に生きているケイレブは無頓着だったからこそアンと結ばれることになったのかもしれない。考えすぎるとうまくいかないという教訓話をしたいわけではないと思うのだけれど、曖昧すぎて新しい「アダムとイブ」像というものが見えてくることはなかったようにも思えた。
 ちなみに原作は映画とはまったく異なるものだった。そもそも第三の男は登場しないのだから。しかもアンはまだ16歳の子供という設定。映画でアンを演じたマーゴット・ロビーはもっと大人に見えたし、積極的に次世代のことを考えていたようにすら見えたのだけれど……。

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Date: 2018.07.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』 ナンバー2が最高ってこともある

 『スター・ウォーズ』シリーズの外伝。監督は『インフェルノ』などのロン・ハワード
 かつてハリソン・フォードが演じて人気者になったハン・ソロが主役となった作品。
 原題は「Solo: A Star Wars Story」

ロン・ハワード 『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』 『スター・ウォーズ』シリーズのスピン・オフ作品。

 スピン・オフ作品としては『ローグ・ワン』があるわけだけれど、一応『ローグ・ワン』が直接的にエピソード4に結びつく物語となっていたのに対して、『ハン・ソロ』は『スター・ウォーズ』正史とはまったく別の話となっている。
 時代設定としてはエピソード4の10年ほど前で、若かりし頃“ハン”と呼ばれていた青年が、いかにしてミレニアム・ファルコン号の船長“ハン・ソロ”となったのかが描かれていく。ファミリーネームかと思っていた“ソロ”の由来やら、チューバッカとのなれそめ、ファルコン号獲得に至るエピソードなど、ハン・ソロの過去が詳らかにされる。
 しかしコアな『スター・ウォーズ』ファンというわけでもない私としては、これまで台詞だけで触れられていたこと――「ケッセル・ランを12パーセクで飛んだ」という伝説などが出てきてもあまりピンと来なかった。ほかにも正史とは別のアニメ作品なんかも観ていないとわからない部分もあるそうで、「コアなファンには楽しめるのかもしれないけれど……」というところもあった。

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』 ハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)とチューイ。チューイはちょっとやせてた? というか毛並みの違い?

 エピソード4~6においてハン・ソロが魅力的なキャラだったのはわかるけれど、あくまで脇役としてであって、味方の窮地に登場して一番いいところをかっさらって行くところがよかったんじゃないんだろうか。『科学忍者隊ガッチャマン』で言ったら主人公のケンよりも、コンドルのジョーのほうが好きといった感じだろうか(この比喩が適当かどうかはわからないけれど)。
 今回の作品はハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)が主役ということで、冒頭で幼なじみのキーラ(エミリア・クラーク)と自由を求めて惑星コレリアから逃げ出すことになるのだが、コレリアという故郷がそんなに酷いところなのかもわからないし、キーラとの関係もちょっとだけ触れられるだけだから、ふたりが逃げ出す動機も、離ればなれにされてもあきらめないという感情もよくわからず、物語に入り込めなかった(冒頭、画面が暗いのもちょっと気になった)。
 このふたりの関係は最後まで曖昧なままで、この作品のなかで何らかの決着がつくわけでもない。ふたりの関係が元に戻ることはないといった悲劇になるわけでもなければ、ハッピーエンドになるわけでもなく、そのまま次作に持ち越そうという展開には首をかしげることになった。
 それからエピソード4では宇宙の平和とかレジスタンスの大義より「金と命が大事」という態度だったハン・ソロが、本作ではレジスタンスにシンパシーを感じて大金を惜しげもなく差し出すことになるのだけれど、この落差はエピソード4までの間に何かしらの決定的な出来事が生じるということなんだろうか。どうやらこの作品自体の評判がいまひとつということで、『ハン・ソロ』シリーズ自体があやしくなっているようで、続篇が作られないとすれば、なおさら中途半端な作品ということになってしまうんじゃないだろうか。
 アクションとしてよかったのは西部劇を意識した列車強盗の場面。ハン・ソロにサバイバル術を伝授するトバイアス・ベケット(ウディ・ハレルソン)のキャラも悪くない。しかし、もっと感動的であってもよかったはずのハン・ソロがファルコン号を初めて操縦する瞬間に思い入れが感じられなかった。これならばエピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で久しぶりに登場したファルコン号のほうが魅力的に映っていたんじゃないだろうか。135分それなりに楽しませるのだけれど、総じて不満が残る作品だった。

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Date: 2018.07.04 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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Nick

Author:Nick
新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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