『ありがとう、トニ・エルドマン』 何事にも時間は必要
監督・脚本は『恋愛社会学のススメ』などのマーレン・アデ。
この作品は長編第3作目で、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。
ちなみに引退を表明していたジャック・ニコルソンは、リメイク版で“トニ・エルドマン”というタイトルロールを演じるとのこと。引退を撤回するほどこの役柄が気に入ったらしい。
この作品のキモとなっているのは父親のキャラクターだ。異国で働く娘イネス(ザンドラ・ヒュラー)が心配なあまりカツラと入れ歯をつけて“トニ・エルドマン”という別人のフリをして娘につきまとう。娘には当然バレバレなのだけれど、それを意に介する様子もなく冗談を言ってばかりいる。
この父親=トニ・エルドマン(ペーター・ジモニシェック)は作品の冒頭から意味不明な行動で人を混乱させる。宅配便がやってくるとわざわざ一度引っ込んで別の服にまで着替えて双子の弟という役柄を演じてみせる。そうした行動は彼が「冗談だ」と明かすまでまったく意図がわからないため迷惑この上ないのだ。
町山智浩によれば「オヤジギャグ」という言葉は世界共通で、どの国でも似たような言葉があるとのこと。トニ・エルドマンの「オヤジギャグ」もほとんど笑えない代物で、場の空気を微妙なものにし、周囲の人々を苦笑いさせることになる。
※ 以下、ネタバレもあり!
マーレン・アデの前作『恋愛社会学のススメ』では、風変わりな女と将来性はあるけれど嫌な男というふたりの関係を描いている。男女の繊細な部分を描いていくのだけど、男と女だけにその関係性は「好きか嫌いか」「くっ付くか離れるか」というあたりに収束していくことになる。
それに対して『ありがとう、トニ・エルドマン』は親子の関係だけにもっと微妙な関係性を見ていくことになる。イネスは大事な仕事を抱えていて父親の相手ばかりもしていられないし、一方の父親としては仕事に忙殺されて人間性を失いつつある娘のことが心配で堪らない。とはいえトニ・エルドマンはイネスのことを言葉で説得したりするわけではなく、ただ笑えない冗談を連発しながらつきまとい続ける。しかもこの作品はそれが162分という長い時間続くことになる。
映画の終盤、自らの誕生パーティーの場面でイネスに変化が訪れる。ケータリングで食事や飲み物も用意し、すべての準備が整ったところで、イネスは着飾っていた服を脱ぎ始めて勝手に「全裸パーティー」という設定にしてしまう。それまで真面目一辺倒だったイネスが唐突に脱ぎ始めるのには飛躍があるようにも感じられるのだけれど、ここまですでに2時間以上もトニ・エルドマンの冗談に付き合ってきた観客としては、何となくわかるような気もしないでもない。
実はその前にはイネスがホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love Of All」を熱唱する場面がある。これはトニ・エルドマンがイネスに無理に歌わせたものなのだけれど、その歌詞はイネスに対するメッセージともなっていて感動的なエピソードともなっている。しかしイネスはその段階ではそれを素直に受け取ることができずに逃げ出してしまう。多分、そのためには時間が必要だということなのだ。
トニ・エルドマンの冗談は日常に裂け目を生じさせるほどのインパクトはないけれど、イネスが働く企業社会の張り詰めた空気を一瞬緩ませる程度の影響力はあったということかもしれない。懲りもせずにイネスにつきまとい、企業の論理とは別の何かを見せられているうちに、イネスの心のなかにも次第にトニ・エルドマンのようにユーモアを忘れない生き方が浸透していき、それが一気にパーティーの場面に表れたということなのだろう。
トニ・エルドマンが結局イネスに何をしてくれたのかはよくわからないのだけれど、常にそばにいてくれるというそのことだけで半ばはウザいと思いながらも、イネスは失いかけていたものと取り戻すことになったのだ。162分という時間は、イネスの心にトニ・エルドマン的な何かが染みこんでいくために必要な時間だったのだろう。
絶妙な間のとり方がこの作品のテンポを生み出していて、意外にも上映時間の長さはそれほど感じなかった。終盤の予想のつかない展開は笑わせるし、説教臭くもならずにちょっと感動的な部分もある。それでも観客に媚びて泣かせにかかったりしないというのも潔くていい。
この作品は長編第3作目で、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。
ちなみに引退を表明していたジャック・ニコルソンは、リメイク版で“トニ・エルドマン”というタイトルロールを演じるとのこと。引退を撤回するほどこの役柄が気に入ったらしい。
この作品のキモとなっているのは父親のキャラクターだ。異国で働く娘イネス(ザンドラ・ヒュラー)が心配なあまりカツラと入れ歯をつけて“トニ・エルドマン”という別人のフリをして娘につきまとう。娘には当然バレバレなのだけれど、それを意に介する様子もなく冗談を言ってばかりいる。
この父親=トニ・エルドマン(ペーター・ジモニシェック)は作品の冒頭から意味不明な行動で人を混乱させる。宅配便がやってくるとわざわざ一度引っ込んで別の服にまで着替えて双子の弟という役柄を演じてみせる。そうした行動は彼が「冗談だ」と明かすまでまったく意図がわからないため迷惑この上ないのだ。
町山智浩によれば「オヤジギャグ」という言葉は世界共通で、どの国でも似たような言葉があるとのこと。トニ・エルドマンの「オヤジギャグ」もほとんど笑えない代物で、場の空気を微妙なものにし、周囲の人々を苦笑いさせることになる。
※ 以下、ネタバレもあり!
マーレン・アデの前作『恋愛社会学のススメ』では、風変わりな女と将来性はあるけれど嫌な男というふたりの関係を描いている。男女の繊細な部分を描いていくのだけど、男と女だけにその関係性は「好きか嫌いか」「くっ付くか離れるか」というあたりに収束していくことになる。
それに対して『ありがとう、トニ・エルドマン』は親子の関係だけにもっと微妙な関係性を見ていくことになる。イネスは大事な仕事を抱えていて父親の相手ばかりもしていられないし、一方の父親としては仕事に忙殺されて人間性を失いつつある娘のことが心配で堪らない。とはいえトニ・エルドマンはイネスのことを言葉で説得したりするわけではなく、ただ笑えない冗談を連発しながらつきまとい続ける。しかもこの作品はそれが162分という長い時間続くことになる。
映画の終盤、自らの誕生パーティーの場面でイネスに変化が訪れる。ケータリングで食事や飲み物も用意し、すべての準備が整ったところで、イネスは着飾っていた服を脱ぎ始めて勝手に「全裸パーティー」という設定にしてしまう。それまで真面目一辺倒だったイネスが唐突に脱ぎ始めるのには飛躍があるようにも感じられるのだけれど、ここまですでに2時間以上もトニ・エルドマンの冗談に付き合ってきた観客としては、何となくわかるような気もしないでもない。
実はその前にはイネスがホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love Of All」を熱唱する場面がある。これはトニ・エルドマンがイネスに無理に歌わせたものなのだけれど、その歌詞はイネスに対するメッセージともなっていて感動的なエピソードともなっている。しかしイネスはその段階ではそれを素直に受け取ることができずに逃げ出してしまう。多分、そのためには時間が必要だということなのだ。
トニ・エルドマンの冗談は日常に裂け目を生じさせるほどのインパクトはないけれど、イネスが働く企業社会の張り詰めた空気を一瞬緩ませる程度の影響力はあったということかもしれない。懲りもせずにイネスにつきまとい、企業の論理とは別の何かを見せられているうちに、イネスの心のなかにも次第にトニ・エルドマンのようにユーモアを忘れない生き方が浸透していき、それが一気にパーティーの場面に表れたということなのだろう。
トニ・エルドマンが結局イネスに何をしてくれたのかはよくわからないのだけれど、常にそばにいてくれるというそのことだけで半ばはウザいと思いながらも、イネスは失いかけていたものと取り戻すことになったのだ。162分という時間は、イネスの心にトニ・エルドマン的な何かが染みこんでいくために必要な時間だったのだろう。
絶妙な間のとり方がこの作品のテンポを生み出していて、意外にも上映時間の長さはそれほど感じなかった。終盤の予想のつかない展開は笑わせるし、説教臭くもならずにちょっと感動的な部分もある。それでも観客に媚びて泣かせにかかったりしないというのも潔くていい。