2017年05月のバックナンバー : 映画批評的妄想覚え書き/日々是口実
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『美しい星』 どこまで本気なのか

 原作は『金閣寺』『憂国』などの三島由紀夫。
 監督・脚本は『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などの吉田大八

吉田大八 『美しい星』大杉重一郎(リリー・フランキー)はある日火星人として目覚め……。 

 ある平凡な家族が宇宙人として覚醒するという何とも荒唐無稽な話。父親の大杉重一郎(リリー・フランキー)は火星人、長男・一雄(亀梨和也)は水星人、妹・暁子(橋本愛)は金星人であることに突然気づく。なぜか母親の伊余子(中嶋朋子)は相変わらず地球人のままなのだが、ほかの家族が宇宙人になったものだから最後まで彼らに付き合うことになる。
 お天気キャスターをしている重一郎は空飛ぶ円盤を見て以来、火星人としての使命に目覚め、番組内で地球人に向けて訴えかける。地球は温暖化によって危機的状況になっている。今、悔い改めなければ大変なことになる。しかし、重一郎の訴えに真っ向から反対する勢力もいる。温暖化なんて嘘だと言い切る連中の側には黒木(佐々木蔵之介)という議員秘書がいて、実はこの男も宇宙人である。

 空飛ぶ円盤と宇宙人というネタは古臭く感じるが、それもそのはずで原作は約50年も前に書かれたもの。そのころはそんなネタが流行りだったらしい。今回の映画では舞台は現代であるし、中身もかなり今風にアレンジされている。当時の差し迫った危機は原水爆だったのに対し、映画のほうでは地球温暖化になっていたりもする。
 原作者の三島由紀夫はこの作品を「実にへんてこりんな小説」と言っていたようだが、この映画のほうもそれに負けずへんてこりんなものを見せてくれる。金星人たる橋本愛が同郷仲間(若葉竜也)とUFOを呼び寄せる場面はノリノリに仕上がっているし、火星人リリー・フランキーのキメポーズも繰り出すたびにおかしくなってくる。
 どこを見てしゃべっているのかわからない佐々木蔵之介も宇宙人らしさを醸し出していたし、“美しさ”のあまり周囲にとけこめない橋本愛はとても金星人らしくて、『PARKSパークス』で吉祥寺をうろついている橋本愛よりも似つかわしく感じられた。

 ※ 以下、ネタバレもあり!


『美しい星』 暁子(橋本愛)は金星人として目覚め、処女懐胎することに……。こちらは金星人のポーズ?

 重一郎(リリー)と黒木(佐々木蔵之介)は環境問題を論じてはいるけれど、根っこには人間は滅びるべきか否かという対立があるのだろう。黒木は「“美しい自然”と人間が言うときに、そのなかに人間は含まれていない」みたいなことも語っていて、黒木は人間なんて救う価値もないと考える。しかし重一郎はそんな人間を守りたいと考えていて、重一郎がその最期に“美しさ”を見出すのは人間たちがつくったネオン街の明かりだった。
 それでもそうした対立に決着はつかず、ラストでは空飛ぶ円盤が大杉家の面々を出迎えることになる(映画では円盤内部まで描かれる)。宇宙人として覚醒するという突拍子もない設定は、頭のおかしな人間の妄想だったというオチをつけることもなく、実際に彼らは宇宙人だったという何とも説明のつかない終わり方をすることになるのだ。それにしても原作者の三島由紀夫はどんなつもりでこれを書いたのだろうか。

 三島由紀夫の最期は誰でも知っているけれど、当時、実際にクーデターを企てたりするとまで考えていた人はいたのだろうか。三島とほぼ同い歳の評論家・吉本隆明は事件後、こんな文章を書いているようだ(ウィキペディアから引用したもの)。

 三島由紀夫の劇的な割腹死・介錯による首はね。これは衝撃である。この自死の方法は、いくぶんか生きているものすべてを〈コケ〉にみせるだけの迫力をもっている。この自死の方法の凄まじさと、悲惨なばかりの〈檄文〉や〈辞世〉の歌の下らなさ、政治的行為としての見当外れの愚劣さ、自死にいたる過程を、あらかじめテレビカメラに映写させるような所にあらわれている大向うむけの〈醒めた計算〉の仕方等々の奇妙なアマルガムが、衝撃に色彩をあたえている。そして問いはここ数年来三島由紀夫にいだいていたのとおなじようにわたしにのこる。〈どこまで本気なのかね〉。つまり、わたしにはいちばん判りにくいところでかれは死んでいる。この問いにたいして三島の自死の方法の凄まじさだけが答えになっている。そしてこの答は一瞬〈おまえはなにをしてきたのか!〉と迫るだけの力をわたしに対してもっている。   — 吉本隆明「暫定的メモ」


 事件が起きるまでは三島の政治的活動は「どこまで本気なのか」と思われていたのだろう。そして、事件が起きてからは「そこまで本気だったのか」と驚かせたのだろうか(同時代を生きているわけではないので推測でしかないのだが)。三島は自己演出にも長けた人だったのだろうとは思うのだけれど、さすがにまったくの冗談で割腹自殺はするはずもないだろうし、やはり本気なのだろう。

 この『美しい星』という作品も、三島という人と同じように受け止められた部分があるようにも思える。リアルタイムで読んでいた人は、三島は「どこまで本気なのか」と思ったのかもしれない。そして呆気に取られる結末は一体どんなふうに受け止められたのだろうか。
 この作品において主人公の重一郎が宇宙人でなければならない理由は、大局的な視点から地球というものを見るためだろう。小説のほうにはこんな文章もある。

 未来を現在に於て味わい、瞬間を永遠に於て味わう、こういう宇宙人にとってはごく普通の能力を、何とかして人間どもに伝えてやり、それを武器として、彼らが平和と宇宙的統一に到達するのを助けてやる、これが私の地球へやってきた目的でした。   『美しい星』 新潮文庫 p.283


 この「未来を現在に於て味わい」というあたりは、前回取り上げた『メッセージ』の異星人のものの見方とそっくりだし、ヘプタポッドがそうした能力を「武器」として人間に与えて手助けしてくれるというのもよく似ている。宇宙人は人間より進化した存在であるから、大局的に地球を見て近視眼的な人間を導いてくれるというのが、どちらの作品にも共通しているところだ。
 三島は重一郎と同様に、宇宙人のような視点で日本を見ていたのかもしれない。そして宇宙人・三島からすれば日本は危機的な状況にあって、何を措いても行動をしなければという憂国の情に駆られていた。
 『美しい星』でも重一郎が地球の問題を解決することはなかったけれど、最後に重一郎が宇宙人であることだけは明確に示された。これは言い換えれば、大局的な視点から地球を憂慮していることは明確にされたということだろう。それと同様に三島も、クーデターは失敗に終わることになったけれど、その衝撃的な自死で憂国の志だけは明確に示したということなのだろうか。
 映画はそんな面倒なことを考えずとも笑わせてくれるへんてこりんな作品になっているのだけれど、三島の最期と合わせるとそんなことも思う。

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吉田大八の作品
Date: 2017.05.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『メッセージ』 避けられない事態をどう扱うか?

 監督は『複製された男』『ボーダーライン』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ
 原作はテッド・チャン『あなたの人生の物語』
 原題は「Arrival」

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『メッセージ』 宇宙船はこの位置からは柿の種のように見えるのだが……。主人公のルイーズ(エイミー・アダムス)と同僚のイアン(ジェレミー・レナー)。

 異星人とのファーストコンタクトを描いた作品。人類が初めて出会った地球外生命体とのコミュニケーションを丁寧に描いていくのだが、そのことが主人公に何をもたらすことになるのかという部分が見どころとなっている。
 原作はSFの有名な賞を受賞している感動作なのだが、由緒正しきタコ型エイリアンはB級っぽくなりそうで敬遠されそうだし、重要な要素として映像化の難しい異星人の言語を扱っているために、映画化は難しいんじゃないかというのが大方の予想だったのではないだろうか。
 今回の映画版である『メッセージ』は原作の驚きの部分は残しつつ、異星人とのやり取りを巡る国際情勢なんかも取り入れてサスペンスフルな展開を見せる。ヘプタポッド(七本脚)と名付けられた異星人との遭遇場面では、彼らの声は『フラッシュバック・メモリーズ 3D』で演奏されていたディジュリドゥみたいに響き、それに合わされるヨハン・ヨハンソンの音楽は能舞台で聴く類いのもののようで妖しい雰囲気を演出していた。
 また主人公ルイーズ(エイミー・アダムス)が研究することになるヘプタポッドの文字は、墨汁で一筆書きに描いた円のような独特なものだったし、ヘプタポッドの乗る宇宙船(?)の造形は巨大な米粒のようでもあり柿の種のようでもあり、一部ではお菓子の「ばかうけ」に似ているとして話題を提供している。

 以下、原作と映画版の違いについて。ネタバレもあり!

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『メッセージ』 宇宙船内の謁見の間。透明な壁の向こうに異星人が現れる。


◆避けられない事態
 原作者のテッド・チャンはこの原作を「人が避けられない事態に対処する話」と要約している(文庫本の「作品覚え書き」より)。「避けられない事態」とはルイーズの場合は、彼女の娘ハンナが若くして亡くなってしまうことだろう。そして、原作ではその対処の仕方として物理学の変分原理(フェルマーの最小時間の原理)が持ち出されるわけだけれど、それによって「避けられない事態」がどうにかなるわけではない。ここが大きなポイントだろう。
 「避けられない事態」、これは一切変更することはできないのだ。不幸な未来が見えたからそれを回避するというのでは、それは現実とはまったく乖離した絵空事になってしまうわけで、原作は「避けられない事態」に関してはまったく変更していないのだ。
 一方の映画版である『メッセージ』を観ると、ルイーズの決断によって未来が変わったかのようにも見えてしまう。ルイーズは中国のシャン上将を翻意させることで地球や人類を救うことになるのだが、ルイーズの行動がきっかけとなってシャン上将が考えを変えたように見えてしまうのだ。

◆視点の差異
 また、原作と映画ではルイーズの視点にも違いがある。
 原作ではルイーズはすべてを見通した視点から語り始める。読者はルイーズがすべてのことが終わった時点から(つまりはハンナが死んだあとから)語っているのだと勘違いする。実際にはハンナを産む前の時点が現在時として示されていて、そこから物語は語られていることが明らかになる。
 映画版では視点がちょっと違う。冒頭にダイジェスト版でハンナの人生が描かれることになる。ここはすべてを見通した視点から描かれているのだが、その後の異星人が現れる部分から物語はルイーズが体験する現在時を辿っていくことになる。
 冒頭のハンナの人生はルイーズの過去の出来事だとミスリードされているわけだが、しばらくハンナは登場しない。ルイーズがヘプタポッドの独特な言語を少しずつ理解する段階になって、間歇的にハンナの姿が現れることになる。それでもルイーズはハンナの姿を自分の娘とは理解していない。徹夜続きの疲れた頭が見せた幻影か何かのようにしか見ていないのだ。そして、映画版ではルイーズが覚醒する瞬間が描かれ、それによってハンナの姿は実はルイーズの未来の出来事であると判明することになる。

 原作は過去を振り返るような視点で物語られるのに対し、映画版では冒頭以外はヘプタポッドとの交渉に従事するという現在がリアルタイムで追われていくことになる。原作はヘプタポッドのようにすべてを見通した視点から語られるのに、映画版では途中までは未来のことを知りえない人間的な視点で描かれていくのだ。
 人間的な視点では、原因があって結果があるという因果関係が重要だ。それまで戦争に傾いていた国際情勢がルイーズの行動によって変わったとなれば、ルイーズの行動が原因となって新しい結果が生じたと考えるのが普通だろう(だからこそ最後にルイーズがハンナを産むという決断をすることが感動的にもなるのだ)。
 しかし、実際にはルイーズの行動しなかった未来が示されるわけではないし、ルイーズが何を見ていたのかもわからないわけで、未来が変化したのかどうかはわからない。その後のシャン上将との会話ではルイーズは自分がやったことを把握していないかのようにも描かれているから、映画版でも一応はルイーズの選択によって未来が変わったのか否かという部分は曖昧にされているとも言える。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『メッセージ』 ヘプタポッドの文字。どころなくウロボロスを思わせなくもないような……。

◆因果律的/目的論的
 だが、原作では「未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない」と明確に書かれているのだ。ルイーズの決断によってハンナが生まれるのであれば、未来は変えられることになり、未来を変えられるならばハンナが死なないことだってあり得るということになってしまうわけで、では最初に見たはずの未来は何だったのかということになってしまう。つまりはパラドックスが生じるわけだ。
 原作では「避けられない事態」はまったく変わらない。では何が変わるのかと言えば、ルイーズの認識である。原作者のテッド・チャンは変分原理というものでわれわれの考え方そのものを揺さぶることになる。
 人間は過去があって現在があり、その先に未来があると世界を把握している。そんな順番でしか理解できないのだ。原因があって結果が生じるというのが因果律で、人間はそれによって世界を把握しているからだ。したがって人間の言語も因果律に基づいていて、人間は物事を逐次的に把握していくことになる(逐次的認識様式)。
 ヘプタポッドの言語はそれとは異なる。現在・過去・未来を見通す彼らは、同時にそれらすべてを把握する。彼らにとって未来はすでに決まっている。その決まったところへ目的論的に進むことになる。ヘプタポッドにとってはすでに目的地はわかっていて、それに向かって最短の道筋を通るように進んでいくことになる。現在・過去・未来を同時に見通すならば、そんな世界の把握の仕方になるということだ(同時的認識様式)。
 因果律的な見方と目的論的な見方。それによって事象が異なるものになるわけではないし、「避けられない事態」にも何の変化もない。ただ、見方が異なると事象の捉え方も変わってくるのではないか。テッド・チャンはそんな別の視点を提示しているのだ。

◆ヘプタポッドとトラルファマドール星人
 テッド・チャン『あなたの人生の物語』は、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』と比較して語られることも多い。というのも、ヘプタポッドのように現在・過去・未来のすべて見通す目を持っている異星人は『スローターハウス5』にすでに登場しているからだ。
 しかし、ヴォネガットはすべてを見通す異星人(トラルファマドール星人)の存在を主人公ビリーの妄想のように描いている。第二次大戦の生き残りであるビリーのPTSDが、現在も過去も未来も一緒くたにしてしまうという症状として表れているということだ。
 一方の『あなたの人生の物語』は、そんな異星人の認識を物理学で説明しようとするのだ。大森望によれば「トラルファマドール星人の時間意識に科学的裏付けを与えた話」ということになる。テッド・チャンは変分原理を利用して、人間とは別の見方もあり得るのだと読者を納得させることに成功しているのだ。

 すべてを見通す目を獲得したものの、「避けられない事態」はどうしようもない。結末を知っていながらもそれに向けて着々と生きていくというのでは自動人形と同じではないか。そんなツッコミも当然あるだろう。
 『スローターハウス5』はどちらかと言えば悲観的で、「そういうものだ」というつぶやきに特徴的なように諦念に満ちている。(*1)しかし『あなたの人生の物語』はもっと前向きなものを感じさせる。子供が何度も同じおとぎ話を聞きたがるように、積極的に同じ道筋を辿ることもあり得るのではないか。そんなことを思わせる読後感になっている。

 自由は幻想ではない。逐次的意識という文脈において、それは完璧な現実だ。同時的意識という文脈においては、自由は意味をなさないが、強制もまた意味をなさない。文脈が異なっているにすぎず、一方の妥当性が他方より優れているとか劣っているとかではない。    『あなたの人生の物語』 p.263


 「避けられない事態」というものは誰にでも起こりうる。その受け入れ方も様々だろう。たとえばルイーズのように大切な人を亡くした人はどうするだろうか? ギリシャ神話の時代なら冥界まで亡くなった人を迎えに行けばいいのかもしれないし、SF映画だったらタイムトラベルでもって遠い未来に行って解決策を探してくればいいのかもしれない。ただ、どちらもあまりに現実からはかけ離れているとも言える。
 そんななかで『あなたの人生の物語』は「避けられない事態」への対処方法として、とてもスマートな解釈をしてみせたということになると思う。見方が変われば「避けられない事態」はそのままに受け入れるということがあり得るかもしれないのだ。
 しかし、映画版ではそうした認識の変容を描くのは難しい。どうしても主人公のアクション(行動)として物語を描いていく必要があったわけで、変分原理の部分を省いて構成するほかなかったということだろう。映画版を先に見ていたとしたら絶賛していたのかもしれないのだけれど、原作が好きなものだから微妙な違いが気になった。とはいえ、この作品の設定において自由意志の有無は、大きな違いなんじゃないかとも思うのだ。

(*1) ヴォネガットは『スローターハウス5』において、「自由意志といったものが語られる世界は、地球だけだったよ」とトラルファマドール星人に語らせている。また、『タイムクエイク』は10年間の時が巻き戻され、もう一度同じ10年間を寸分違わずに繰り返すという話だが、この作品も自由意志が問題となっている。


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Date: 2017.05.28 Category: 外国映画 Comments (2) Trackbacks (13)

『夜に生きる』 ベン・アフレックの白スーツが気になる

 『アルゴ』でアカデミー賞作品賞を獲得したベン・アフレック監督の最新作。
 原作は『ミスティック・リバー』などの原作も手がけているデニス・ルヘインの同名小説。

ベン・アフレック 『夜に生きる』 ベン・アフレック監督・主演作。ゆったりとしたクラシカルなスーツが決まっている?

 禁酒法時代末期、ギャングの世界で名を挙げていく男の一代記。戦争から帰ってきたジョー(ベン・アフレック)は、戦場で善人ばかりが死んでいくのを見てきた。ルールを作る奴らはそれを守らない。だから自分は無法者として誰の支配もされずに「夜に生きる」ことを選ぶ。
 そんなふうにカッコつけて無法者の世界を生きるつもりのジョーなのだが、無法者には無法者のしきたりなんかがあったりして、結局、その世界のいざこざに巻き込まれていくことになる。

 最初の舞台はボストンだが、そこではイタリア系とアイルランド系のマフィアの争いに巻き込まれ、よせばいいのにボスの女(シエナ・ミラー)にも手を出したりして酷い目に遭う。それでも父親は警察のお偉いさんということもあって、何とか生き延びると舞台はフロリダ・タンパへと移る。ここは移民たちの街で、白人ばかりではなくキューバ人たちの勢力があったり、その反対にKKKの連中がちょっかいを出してきたりと厄介事は尽きない。

『夜に生きる』 ロレッタ(エル・ファニング)は民衆の聖母のような存在になるのだが……。

 舞台がタンパに移ってからのごった煮感はおもしろい。『ゴッドファーザー』みたいに美学に貫かれているという印象でもないし、エピソードを詰め込みすぎた感があるのだけれど、当時の歴史をジョーという男を狂言回しにして描いたということだろうか。
 クラシックカーでのカーチェイスや、何人かの女とのロマンスとか、最後には壮絶な銃撃戦もあり、なかなかのエンターテインメント作品となっていたと思う。監督・主演のベン・アフレックはおいしいところをすべてさらっていくし、テレンス・マリック風に波打ち際で妻役のゾーイ・サルダナと戯れるという『トゥ・ザ・ワンダー』のセルフ・パロディみたいなことまでやっている。

 登場してくるキャラもそれぞれにいい味を出している。ジョーの父親(ブレンダン・グリーソン)は警察幹部でありながらやっていることは裏家業と似通っていて凄みがあったし、KKKの手先であるRD(マシュー・マー)の完全にとち狂った感じも秀逸だったし、ジョーを取り巻く3人の女性も賑やかだった。
 ギャングたちの成り上がりとはあまり関係ないのに印象に残るのが、ロレッタ(エル・ファニング)のエピソード。ロレッタはハリウッドで女優になるつもりが、悪い奴らにだまされてクスリ漬けにされてポルノ女優にさせられてしまう(この時代のハリウッドはポルノ産業と裏で結びついていた部分があったらしい)。その後のロレッタは罪悪感から信仰に目覚めたのか、民衆の前で自分の体験を語り、民衆の聖母のような存在になっていく。
 エル・ファニングは総じて澄ました表情をしているのだけれど、最期にジョーの前で一瞬だけとてもあどけない笑顔を見せる。『ネオン・デーモン』でもそうだったけれど、エル・ファニングは大人びて見えるときもあれば子供っぽく感じられるときもあり妙に危なっかしい……。

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Date: 2017.05.21 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』 青臭くても無様でも……

 原作は詩集としては異例のベストセラーになっているという、最果タヒによる詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』
 監督・脚本は『舟を編む』などの石井裕也
 新人の石橋静河原田美枝子石橋凌の娘さんとのこと。

石井裕也 『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』 美香(石橋静河)と慎二(池松壮亮)は東京の街で出会う。


 主人公の看護師・美香(石橋静河)は病院で働きながらも、夜にはガールズバーでバイトをしている。もうひとりの主人公慎二(池松壮亮)は建設現場で日雇いとして働いている。そんなふたりが偶然出会って……。

 冒頭から東京の街の情景に美香の詩がモノローグでかぶさっていく。たとえばこんな感じ。

   都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。
   塗った爪の色を、きみの体の内側に探したって見つかりやしない。
   夜空はいつでも最高密度の青色だ。
   きみがかわいそうだと思っているきみ自身を、誰も愛さない間、
   きみはきっと世界を嫌いでいい。
   そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。


 美香は幼いころに母親(市川実日子)を亡くしているのだが、それが自殺だったのではないかという疑いを抱いている。だとすれば美香は母親から棄てられた娘ということになるというわけで、その辺が美香の屈託となり詩の言葉を紡ぐ要因ともなっているようだ。
 一方の相手役である慎二だが、彼にも抱えているものがあって、慎二は左目がほとんど見えない。慎二の視点へと移行すると、スクリーンの左半分が黒くマスクされ、外界はスクリーンの右半分に開かれた覗き穴から見たような状態となるわけで、こうした視野は慎二が自らの内面に閉じこもっていることを感じさせる。
 そんなふたりが何度かの偶然も重なったりしつつ近づいていくことになるのだが、美香は「この星に、恋愛なんてものはない」とも詠っているだけにふたりの関係もすんなりとはいかずに行ったり来たり繰り返すことになる。

『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』 新人の石橋静河は池松壮亮を相手にしても存在感があった。

 舞台は東京で、ふたりは身近に「死」を感じつつ生きている。ちなみにウィキペディアによれば原作者の最果タヒ(さいはて・たひ)の「タヒ」とは、漢字の「死」から採られたらしい。看護師の美香は病院で死んでいく患者たちを目の当たりにするし、慎二は友人である智之(松田龍平)や隣人の突然死に遭遇したり、仕事の過酷さにズボンのチャックも上げられない同僚・岩下(田中哲司)の自殺を心配してみたりもする。そして、美香と慎二の最初の共通点というのが、「嫌な予感がする」という部分でふたりが深く納得したことだった。
 おもしろいのはふたりの恋愛(もしくは腐れ縁?)が、いつ成就したのかは描かれないということだ。ふたりの関係がそれなりに確固たるものとなっても、それによって世界がバラ色に変わるわけではないし、「嫌な予感がする」という状態も続いている。ただ、ふたりが一緒にいれば美香の内面の声は減り、慎二の自閉も解消され、自然と対話の場面が多くなる。
 元々詩を詠うことも誰かに何かを伝えたいということなのだろうし、隣に誰かがいれば自分の気持ちをその隣の人に伝えることになるのは当然だろう。そして、ときには予想もしないレスポンスが生まれる場合もある。「嫌な予感」はどんな悪いことでも起きる可能性であると同時に、「いいことだって起こるかもしれない」ことでもあるのだ。これは美香ひとりでは到達できなかったところと言えるのかもしれないし、そこには少しだけ希望がある。
 しつこいくらい何度も登場する路上歌手(野嵜好美)が最後に成功を勝ち取るのは、まさにそんな奇跡なのかもしれない。「それでもみんなガンバレ」みたいな応援歌を恥ずかしげもなく謳い上げる歌手は、その歌声も容貌も「中の下」(『川の底からこんにちは』の登場人物たちと同様に)で、絶対売れることはないという見方がごく普通だろう。しかし、その予想は外れることになるわけで、ふたりの未来だってもしかすると奇跡的ないいことだって起こり得るかもしれないのだ。

 詩から発想された映画ということで、繊細と同時に青臭くも感じられる作品で好みは分かれそう。私自身は青臭いのを自覚しているので、嫌いではない。
 池松壮亮の慎二はその微妙なバランスを醸し出している。弱味につけこまれるのを嫌い、読書で何かから自分を防御しているようでいて、カラオケではなぜか「CHE.R.RY」を歌って呆れられるという浅薄さ。だけどスレてないところが美点だろうか。
 新人の石橋静河は、最近の『PARKSパークス』にも顔を出していて、今の世代とは異質な昭和の女を演じていても違和感がなかった。まだまだ若い人なのだけれど流行りなどには影響されない人なのかもしれない。この作品でもポケットに手を突っ込んで歩くたたずまいが堂々としていて、新人らしからぬ雰囲気があったと思う。

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Date: 2017.05.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『スプリット』 Rejoice!

 『シックス・センス』『ヴィジット』などのM・ナイト・シャマランの最新作。
 シャマランは今回も自ら予告編に登場して「結末は絶対に内緒だよ」などと煽っているし、本編にもチョイ役で顔を出して無駄話を披露したりして、復活してシャマラン印の作品が撮れるのを楽しんでるっぽい。

M・ナイト・シャマラン 『スプリット』 ジェームズ・マカヴォイの七変化!!

 拉致された3人の女子高生と、拉致実行犯の多重人格の男との攻防戦ということで、多重人格のケヴィンを演じるジェームズ・マカヴォイの七変化はおもしろい。同じように多重人格を題材にした『レイジング・ケイン』(ブライアン・デ・パルマ監督)では、ジョン・リスゴーが多重人格者を演じていて、このときは人格交替の際にはブランクを挟んでいたように記憶しているのだが、『スプリット』のジェームズ・マカヴォイは人格交替の場面もワンシーンでやってみせたりもしてなかなかの見せ場をつくっている。
 それからもうひとりの主人公であるケイシーを演じるアニャ・テイラー=ジョイがまたいい。拉致されたにも関わらず妙に冷静なのは、彼女が普段から危機的状況に接していたからなのだが、どことなく猫娘チックというか人間離れ(?)した容貌がこの作品とよくマッチしている。

 ※以下、ネタバレもあり! オチを知りたくない人は要注意!!



『スプリット』 ケイシーを演じるアニャ・テイラー=ジョイ。

◆トラウマすら肯定すること

 多重人格という障害は元の人格を守るために発生する病だと言われているようだ。『スプリット』ではケヴィンという元の人格を守るために、23の人格が現れることになる。母親からの虐待というケヴィンの置かれた悲惨な状況から、元の人格を乖離させることでケヴィンを保護しようとする。そうした人間の防衛反応が多重人格というものを生み出すらしい。
 さらにこの作品においてはフレッチャー医師(ベティ・バックリー)が主張していたように、人格が変わると身体までが変化するという可能性が示される。そしてラストでは、ケヴィンの24番目の人格であるビーストが登場する。ケヴィンのなかの一部の人格が待ち望んでいたビーストは、壁をよじ登りショットガンで撃たれても死ぬことのない、人間を超越した存在であることが明らかになる。
 トラウマを背負って多重人格という病を抱えることになったケヴィンだが、それこそが人間の進化につながるものなのかもしれない。このことが本作が告げ知らせる福音ということになるのだろう。だからビーストは、叔父からの虐待を受けているケイシーの人生をも祝福せんとして「Rejoice(喜べ)」という言葉を投げかけることになる。

◆さらなるオチ……
 一応はここまでで物語は終わってもいいはずなのだが、この作品の一番のオチはそれが『アンブレイカブル』というシャマラン作品と結びつくところだろう。『スプリット』は『アンブレイカブル』と世界を共有するものであり、次回作の製作も決定しているということだ。
 ただ、それが判明するのはわざわざ『アンブレイカブル』の主人公デイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)が登場してその関連を説明してくれるからで、それがなければその共通点を見出すことは難しい。『アンブレイカブル』を観ていない人にとっては意味不明だし、観ている人でもあまりの唐突さにちょっと唖然とするかもしれない。

 それでもあとになって『アンブレイカブル』を観直してみると、確かにつながっている部分があるということもわかる。
 『アンブレイカブル』では壊れやすい身体で“ミスター・ガラス”と呼ばれていた男が、そんな自分の人生を肯定するために自分とは正反対のアンブレイカブルなヒーローを見出すことになる。“ミスター・ガラス”はそのためにとんでもないことを仕出かすことになるわけだが、彼に見出されるダンも人生に虚しさを感じていた。“ミスター・ガラス”もダンも、自分の人生に意味を見出そうとする点では共通している。そして『スプリット』では、トラウマを抱えた人生そのものが肯定されることになるわけだ。
 “ミスター・ガラス”に見出されたダンは街の“守護者(ガーディアン)”として活動することになるのだが、一方のビーストはケヴィンの“守護者”である。ケヴィンを守るための別人格であるビーストだが、これは街に放たれれば街の人々にとっては害悪以外の何物でもないわけで、ふたりの“守護者”は対決(対立)することになるということなのだろう。
 今回はケイシーの変貌までは描かれることがなかったわけだけれど、次回作ではそのあたりも描かれるはずで、ケイシーを演じるアニャ・テイラー=ジョイがどんな変貌を見せるのかはちょっと楽しみ。結語が「次回作が楽しみ」となってしまう点では、この作品自体は壮大な予告編とも言えるわけだけれど……。

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『ノー・エスケープ 自由への国境』 砂漠のゼロ・グラビティ

 『ゼロ・グラビティ』の共同脚本を担当していたホナス・キュアロンの監督デビュー作。
 父のアルフォンソ・キュアロンはプロデュースのほうに関わって息子ホナスをサポートしたものらしい。
 この作品を一言で言えば砂漠を舞台にした『ゼロ・グラビティ』ということになるだろうが、もともとの脚本は『ノー・エスケープ』のほうが先にできていたということで、父のアルフォンソ・キュアロンは危機また危機というアイディアだけをいただいて、それを革新的な3D撮影技術とうまく絡めてアカデミー賞の監督賞まで獲得してしまったということになるのだろう。
 原題は「Desierto」で、「砂漠」とのこと。ちなみに『ノー・エスケイプ』(1994)という紛らわしい作品もあるようだが、まったく別の作品。

ホナス・キュアロン 『ノー・エスケープ 自由への国境』 舞台となる砂漠地帯はこんな場所。狂気のサムは岩の上から移民たちを狩る。

 舞台はメキシコ国境の砂漠地帯。メキシコからの不法移民が国境を示す有刺鉄線をくぐってアメリカ合衆国へと侵入する。広大な砂漠地帯には国境を警備する警察もいるのだが、摂氏50度を超えるという暑さにあまりやる気もなさそうで、その代わりというわけではないのだがライフルを持った狂った男が不法移民たちを狩りの獲物のごとく狙ってくる。
 砂漠にはほとんど隠れる場所はない。ひたすら逃げ惑うばかりの移民たちは動物たちほど俊敏ではないわけで、次々に銃弾に倒れていくことになる。周囲には誰も助ける者はいない。通信手段もない。この絶体絶命の状況から逃げ出すことはできるのか。

 不法移民の側の15人は、アメリカにあるはずの自由を求めてメキシコから渡ってくる。まだ若いアデラ(アロンドラ・イダルゴ)は故郷の町が麻薬などであまりにも物騒だから、親が彼女を安全なアメリカへと逃がすことを決めたらしい。モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)はアメリカに息子を残してきていて、息子との約束を果たすために再び国境を越えることになる。
 一方の自分勝手な独り自警団のサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、自分の庭を荒らされたとばかりに不法移民たちを問答無用で殺していく。サムの背景が詳しく描かれるわけではないのだが、不法移民を許すことができない愛国者というよりも、自分の不幸を外部の敵のせいにしているだけのように見える。そんなサムもかつてはこの場所が好きだったとも愛犬に語ったりもしていて、アメリカが誇ったアメリカン・ドリームも「今は昔」で、そんな夢が誰にでも行き渡るほどの余裕がなくなったからこそ勝手に自国へ入り込んでくる移民のことが目障りになったのかもしれない。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ノー・エスケープ 自由への国境』 サム(ジェフリー・ディーン・モーガン)と愛犬のトラッカー。トラッカーがサスペンスを盛り上げる。

『ノー・エスケープ 自由への国境』 モイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)とアデラ(アロンドラ・イダルゴ)はひたすら逃げ回る側。

 サムの狂気が露わになってからは狙われた獲物たる移民たちはひたすら逃げるしかない。『ノー・エスケープ 自由への国境』は、ただそれだけで約90分間を見せてしまう。砂漠といっても本作の砂漠はゴツゴツとした岩山のアップダウンや、多少のサボテンなどもある。そうしたわずかな場所に身を隠したりしながらも逃げ続けるのだが、サムの相棒にはジャーマン・シェパードのトラッカーがいて、この忠犬は獲物の匂いを嗅ぎ取り、ものすごい勢いで獲物を追いつめていくからほとんど安堵できる場というものはない。トラッカーの荒野を走り抜ける乾いた足音がハラハラさせて、さすがに『ゼロ・グラビティ』ほどではなかったにしても初監督作としては要所を押さえていたんじゃないだろうか。
 描写はなかなか容赦がなくて、ライフルの弾は移民たちの頭を破壊するし、トラッカーは移民の首元をカブリとやって息の根を止めてしまう。そんなサスペンスの一番の盛り上げ役でもあったトラッカーの最期もあまりに悲惨なもので、動物愛護団体の人が見たら卒倒するんじゃないかと思う。
 それから主人公たるモイセスも、自分が助かるために傷を負ったアデラを置いてきぼりにして逃げてしまうという展開もシビアだった。それだけにラストの希望に満ちた描写がちょっと浮いているような気もする。モイセスが瀕死のアデラを抱えて見たハイウェイの光は果たして本物だったのだろうか。絶望のなかで幻影が見えてしまうというのは砂漠ではよくあるネタでもあるし、『ゼロ・グラビティ』においても主人公は幻影に救われた部分もあったわけで、モイセスの見たものも幻影だったのかもしれない。
 主人公の名前がMoises(モイセス)というのは、ユダヤ教の預言者であるモーゼを意識しているのだろう。モーゼはユダヤ民族をエジプトから脱出させて砂漠へと導いたわけだが、その後ユダヤ民族は長らく砂漠を彷徨うことになる。そしてモーゼ自身はカナンの地へと入る前に亡くなることになるわけで、それを踏まえるとモイセスが見たのはやはり……。

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Date: 2017.05.07 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『草原の河』 少女の成長と中国の影

 一応は中国映画ということになっているけれど、チベット人の監督ソンタルジャの撮った作品で、エンドロールなどの字幕にはチベット語と思われる文字が使われているし、登場人物が話す言葉はアムド語という少数言語とのこと。
 また、この作品の主な登場人物を演じているのは、演技の経験のない素人とのこと。主人公となるのはヤンチェン・ラモという少女や、父親グルを演じているのは監督の親戚で、実際に映画の舞台となったチベットの草原に住んでいるらしい。撮影当時は6歳だったというヤンチェン・ラモは、この作品で上海国際映画祭のアジア新人賞・最優秀女優賞まで受賞した。

ソンタルジャ 『草原の河』 ヤンチェン・ラモは演技の素人だがとても表情豊かで癒される。

 ヤンチェン・ラモは草原を駆け回ったり母親に駄々を捏ねるくらいには大きいくせに甘えん坊で、未だにお母さんのおっぱいを欲しがったりする。というのも母親には新しい子供ができたばかりで、お母さんをいつまでも独占したいという気持ちが甘えにつながっているのだ。
 ヤンチェン・ラモにとって世界は未だに新しい発見に満ちている。母親から麦の増やし方を教わったヤンチェン・ラモは、大事なクマのぬいぐるみを増やすためにそれを大地に埋めて育てようとしてみたりもする。そんな勘違いを素直に信じてしまうヤンチェン・ラモがとてもかわいい。
 “かわいい”といった褒め言葉にも様々な種類があって、たとえば同じくユーラシアの草原つながりの『草原の実験』に登場する少女はちょっと近寄りがたい雰囲気すらあったのだけれど、『草原の河』のヤンチェン・ラモはわがままだったり不機嫌そうにも見えたりして、奈良美智が描いた子供みたいな雰囲気を感じさせないでもない。派手なところはない作品だけれど、とにかくヤンチェン・ラモの表情が豊かで癒されるものがある。
 撮影当時は6歳だったというヤンチェン・ラモがどれだけ意識的に演技をしていたのかはわからないけれど、草原での生活はいつものヤンチェン・ラモの生活であり、そんな普段の延長がドキュメンタリー的に捉えられている。ヤンチェン・ラモと一緒に暮らす子羊ジャチャとのやりとりは、ふたり(一人と一匹)が仲良くなければ成り立たないわけで、そんなふたりが引き離される場面は監督の演出を超えてヤンチェン・ラモとジャチャの深い交歓を感じさせる奇跡的な瞬間となっていたと思う。

『草原の河』 父親のグルは河を渡って祖父のところに行こうとするのだが……。妙に袖が長い服装はチベットの伝統的なものなのだとか。

 本作で重要となってくるのは、ヤンチェン・ラモの成長ではあるのだが、同時にその父親グルと祖父との関係も描かれていく。祖父は出家の身から一度還俗し、今ではまた世俗を離れている。グルが祖父に対して抱くわだかまりは、「世俗を捨てて生きる者」と「俗世を生きる者」との違いであり、グルは祖父の住む洞窟を訪れようとすると「草原の河」によってそれを阻まれることになる。タイトルの「草原の河」はグルと祖父の断絶を示しているのだ。
 しかし祖父の辿った変遷は祖父が移り気だったというわけではなく、チベットを支配する中国の動きがそうした状況を強いたということだ。祖父は一度還俗したことにより、グルという子供を授かることになるわけだが、祖父はもともと出家の身として生きていく決意だった。つまりは祖父が還俗することがなかったらグルは生まれていなかったわけで、ふたりの間の断絶にはそうした時代の流れが介在している。
 監督のソンタルジャ公式ホームページのインタビューでも語っているように、中国の改革解放という激変が祖父とグルの間にあるような断絶を生んでしまったということなのだ。ラストでは急激な雨で増水した河の前で、ヤンチェン・ラモも含めた三世代が佇むことになる。寡黙な男たちは何も語ろうとはしないし、作品内で国家の問題が盛んに言及されるということもないのだけれど、大きな何かに翻弄されるように世代間の断絶の象徴たる「草原の河」を見つめる姿は、「チベット問題」という中国の影を感じさせるに十分だったと思うし、それを三世代の家族の話として何気ない日常の風景のなかに盛り込んだ手腕も見事だった。

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Date: 2017.05.03 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)
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