(西側の)メディア報道ではウクライナの民間人が国を守る為に銃を持ち戦場に向かっていることを報道しています。
そして大手メディアでは彼らの戦死をことさら大きく取り上げています。
痛ましい事ですね。
でも、彼らが最前線で誰と戦っているのかといえばロシアという国ではなく、一人一人のロシア兵士と対峙し、銃を打ち合っているのです。
民間人であるウクライナの人々は国を守ろうという強い意思から戦っているのでしょうが、ロシア兵士たちは民間人ではなく、軍人です。
その兵士一人一人にも家に帰れば家族も友人もいる筈です。そして同じようにロシア軍人達も命を落としています。
確かにウクライナの人々は国を守るという明確な意思をもって戦っていますが、ロシア兵の多くは職業軍人という名の元に最前線であるウクライナに派兵されているだけです。
元々古い歴史からロシアもウクライナも兄弟と言われています。双方の兵士の間では銃を向ける相手に自分の親族や知人がいるかもしれません。
でも、ロシア兵たちは任務として戦わざるを得ないのです。ウクライナに対する強い恨みや憎しみ・怒りのある人の方が少ないかもしれません。
どちらの兵士も一人の人間として命の重さや尊さに違いがあろう筈がありません。西側の報道はなぜその事を取り上げないのでしょうか。
軍には「軍法」という軍の法律がどこの軍にも間違いなく存在します。そして自分が軍人となろうとした時、その軍法に逆らう事をしないと誓って軍に入る筈です。
軍の法律では軽い処罰から重い処罰まであります。その中で特に重い処罰は「敵前逃亡」なのです。
今のロシアの軍法がどう規定されているか分かりませんが、場合によっては兵士個人の意思で前線から離脱または逃げ出すことは銃殺が課せられるかもしれない程重い罰なのです。
(個人的感情や正義感など軍の中では通用しないのです)
このように戦争というものに「正義」などある筈がないのです。
ジャーナリズムとはどちらかに偏ることなく、公平な目で見る事こそ真の存在意義ではないでしょうか。
でも、今の報道は明らかに「大本営的」偏向報道にしか感じないのです。
ウクライナにもロシアにも言い分はあるでしょう。そして一人一人の民間人の命も尊いのであれば、リング上でプーチンとゼレンスキーが殴り合えばいい。
ある古いネイティブアメリカンの中には部族間の対立を双方から選ばれた戦士が「ラクロス」という競技で決着を着ける時代がありました。
これ程高い精神性を持っていた人類がいつから粗野で野蛮な狂暴性を見せるようになったのでしょうね
※このお話は都市伝説的にみれば深い闇が存在し、各国の元首さえ逆らえない裏のパワーが存在するのですが今回はそこには触れません。
戦争というものがいかに暮らしや精神を破壊するものか 今それを目の当たりにしています。
ウクライナ兵や民間人の死を悼む家族のシーンを流すのであれば、同じように一ロシア兵の家族の悲しみも伝える事こそがジャーナリズムと思うのです。
不毛の殺し合いの中に平和も論理も国際政治などという胡散臭いものもありはしないと思っています。
早くこの騒ぎが終息する事を願うばかりです。
# by farmemory | 2022-04-01 15:21 | ・ウクライナとロシア | Comments(0)