大河ドラマ「光る君へ」‐42

~基礎情報学習帳:川辺の誓い~
NHKの大河ドラ「光る君へ」は「源氏物語」の作者・紫式部が主人公の物語です。これまでの大河ドラマでの見どころは合戦シーンでしたが、この「光る君へ」では平安朝の宮廷が舞台。煌びやか平安時代の貴族社会を描きます。
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誰もが知る「源氏物語」を書いた紫式部の誰もが知らない愛と情熱の物語でもあります。
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今回も「NHKドラマガイド」を基本にWikipediaなどネット情報も使います。


まずは粗筋の紹介です。
<第42回・粗筋・・・>
第42回は、宮中で、藤原道長と三条天皇の覇権争いが始まります。道長は娘・妍子(きよこ)を三条天皇の中宮にするも、三条天皇は長年付き添った東宮妃・娍子(すけこ)を皇后にすると宣言。そこで道長は権力を誇示するため、ある計画を立てます。しかし道長の体調に異変が・・・。
まひろは 、宇治にある道長の別邸を訪ねました。
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そして二人は川辺を歩きながら… 一方、まひろは里帰り中に、娘の賢子がケガをした双寿丸を連れているところに出くわす・・・という展開です。

<『光る君へ』の登場人物>
この大河ドラマの人物紹介では、藤原名が多いため分かりやすくする為に、ドラマの登場人物を複数回紹介します。
<三条天皇・・・>
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木村達成さんが演じる三条天皇・居貞親王は、一条天皇の譲位により即位しました。道長の次女・藤原妍子(きよこ)を中宮とし、長年寵愛をする藤原 娍子(ふじわらのすけこ)を皇后としました。人事などを通じて道長を取り込もうとするが成功しませんでした。やがて道長との間に軋轢が生じました。

<藤原彰子・・・>
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見上愛さんが演じる藤原彰子は、12歳で一条天皇に入内。翌年に中宮になります。皇后となった藤原定子の没後、その皇子を産みます。女房になったまひろに学び、教養を育みました。そして今回は「お上!お慕い申しております!」と叫び、一条天皇の心を動かす事になりました。その後、彰子は女児を出産しました。

<源明子・・・>
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瀧内公美さんが演じる源明子は、道長のもう一人の妻で道長との間に4男2女をもうけました。道長の嫡妻・源倫子の娘たちは入内、息子たちは若いうちから昇進するのを見てライバル心を燃やしていました。我が子たちの立身出世に期待をかけていました。

<源倫子・・・>
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黒木華さんが演じる源倫子は、道長の嫡妻で道長によく仕え、同志のように絆をはぐくみました。2男4女に恵まれ、娘たちはいずれも入内、その補佐役としても活躍しました。しかし夫や長女の藤原彰子が信頼を寄せるまひろには嫉妬心もありました。

<藤原妍子・・・>
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倉沢杏菜さんが演じる藤原妍子(きよこ)は、18歳年上の居貞親王(三条天皇)に入内、のちに中宮となります。三条天皇の長年の妃に4人の皇子がいたため、妍子も皇子を期待されます。贅沢好きであけすけな性格でした。

<藤原娍子・・・> 
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朝倉あきさんが演じる藤原 娍子(すけこ)は、父は大納言・藤原済時。三条天皇の皇太子時代に入内し、4男2女をもうけました。中宮には、道長の次女・妍子(きよこ)が立てられるが、三条天皇は娍子を皇后として寵愛し続けました。

<源俊賢・・・>
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本田大輔さんが演じる源俊賢(としかた)は、道長の政治を補佐。藤原彰子の中宮太夫となり、以後20年余年にわたり仕えました。この間に権大納言に出世。藤原公任、藤原斉信、藤原行成と並んで一条天皇朝の四納言(しなごん)と呼ばれました。

<藤原実資・・・>
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秋山竜次さんが演じる藤原実資(さねすけ)は、有職故事に通じた学識経験者。筋道を通す気質であるため、代々の天皇や公卿から信頼を集め要職を務めました。道長にもおもねず意見をする人物でもありました。64年に及ぶ日記「小右記」を書き残しました。

<藤原教道・・・>
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姫子松 柾(ひもこまつ まさき)さんが演じる藤原教道(のりみち)は、兄・藤原頼通に続いてわずか15歳で公卿に列しました。26歳の時に大納言・藤原公任を超えて内大臣に昇進します。一条天皇朝から三条天皇朝まで65年にわたって政権の中枢を担いました。

<藤原道綱・・・>
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上地雄輔さんが演じる藤原道綱は、凡庸ながら道長の引き立てにより出世し、大納言になりました。居貞親王の東宮大夫、藤原娍子の中宮大夫なども務めました。娘の藤原豊子は中宮・藤原彰子の女房となります。

<藤原 賢子・・・>
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南 沙良(みなみ・さら)さんが演じる賢子(かたこ)は、まひろと藤原宣孝の娘。実の父は道長だったのです。祖父の為時にかわいがられて育ちます。まひろには反発する時期がありますが、その文才を受け継ぎ、やがて宮仕えする事になります。

<双寿丸・・・>
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伊藤健太郎さんが演じる双寿丸は、平為賢に仕える若武者で、賢子を盗賊から救ったことから、為時の屋敷に出入りするようになりました。武者である事に誇りを持ち、身分を気にせず思った事を言う青年です。そんな双寿丸に賢子は興味をだきました。

<立后‐解説1>
【立后 (りつこう)とは、皇后の位につくこと。天皇の嫡妻を皇后といい、令制では内親王を皇后としたが、729年(天平1)聖武天皇は藤原光明子を夫人から皇后に立てて令制の原則が崩れた。ついで平安時代に醍醐天皇の女御藤原穏子が皇后に立てられて以来、女御から皇后に冊立される例が多くなった。また皇后が後宮内の一地位となって、天皇と配偶関係がなくても立后が行われるようになった。しかし室町時代以降、江戸時代初頭に至る間、立后は中絶し、後水尾天皇の女御源和子を皇后に冊立して立后の儀が再興された。立后は光明皇后以来、必ず詔書(宣命)をもって行い、その時期は即位の儀の後を例とするが、とくに一定しない。また皇太子妃であっても、皇太子が皇位に即くと立后の儀が行われた。】より改訂新版 世界大百科事典より

<源氏物語‐解説2>
Wikipediaに解説がありました。
【『源氏物語』(げんじものがたり、英語: The Tale of Genji)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語。
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全54帖、文献初出は1008年(寛弘五年)、平安末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された。作者の紫式部は平安中期における和歌の名手の1人で、娘の大弐三位とともに「百人一首」や「女房三十六歌仙」の歌人として現代に至るまで永く親しまれており、源氏物語は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品である。日本の歴史上、貴族階級の全盛期だった平安中期に生き、宮仕えで宮中の内情にも日常的に接した紫式部が、和歌795首を詠み込んだ物語を通して当時の貴族社会を描いた。】とWikipediaに解説がありました。

<41回視聴率>
NHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜・午後8時)のNHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜・午後8時)の第41回「揺らぎ」の平均世帯視聴率が関東地区で9・5%だったことが28日、ビデオリサーチの調べで分かった。前週より0・3ポイント減となった。この日の放送は衆院選開票速報のため、通常の午後8時から午後7時10分に変更された。内容は即位した三条天皇と菅原道長の間では、早くも水面下で覇権争いが始まろうとしていた。道長の息子たちの序列争いも表面化し…。その頃、まひろは天皇を失った悲しみに暮れる彰子を慰め、和歌の会を催すことに。すると、招かれていないききょうが現れる。
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さらにまひろの実家では、娘の賢子と若武者・双寿丸が仲を深めはじめたと言う展開でした。

<平安案内>
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風光明媚な宇治で、藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたもの。鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、52体の雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏している。 壁扉画、日本三名鐘の一つといわれる梵鐘とともに国宝。浄土空間を現出させたという庭園は、史跡及び名勝に指定されており、近年発掘調査に基づく整備が行われた。平成13年には、博物館として鳳翔館が開館。

記:2024年11月3日
江戸探偵人

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